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盲目の王女  作者: 結月一華
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第十五輪  丹 碧 の 空

 第十五輪  丹 碧 の 空



       1


 ローゼは夢を見ていた。

 しかし瞼を開けた瞬間、その場景を忘れた。

 まるで掌から水がこぼれ落ちるように、虚しく消えていくようだった。

 静寂、薄暗く、鼻腔を刺すほど冷たい空気……。窓の先では冬の空が奇妙な色に沈んでいた。

 ベルムートに担がれて部屋へ戻ってきてから、ローゼはずっとベッドの上に横たわっていた。

 護衛役の指定席に彼の姿はなく、何時間眠っていたのか訊く術がない。

 無駄にしている時間はないというのに、身体が言う事をきかない。

 なぜか………、心臓が激しく蠢いている。まるで、なにかを、忠告する、かのように―――


「―――――――シュヴァルツ……」


 夢を思い出そうとしている訳でもないのに銀髪の彼の姿が浮上し、ローゼの唇がその名を奏でた。沈んだ顔で、俯いたシュヴァルツの背中が脳内に描かれる。その背景には―――

 ローゼは躊躇うことなく部屋を飛び出した。そして冷え切った身体を叩き起こすように城内の大階段を五階から駆けずり下りる。

 一階のエントランス内を出鱈目に走り回っている時だった。

「姫っ………………また勝手に、部屋から………………」

 息を切らせたベルムートが現れた。

「あなたを探していたのよ。いきなり走り出したら、直ぐに、来てくれるんじゃないかと思ってね。手っ取り早い方法でしょう?」

 服に隠し描かれた《守護印》の魔力を利用した結果だった。

 ローゼも同様に息切れを起こし、息を整えながら二人は人気のない場所へ移動した。

「それで? 急用なんだろう?」

 訝しく険しい表情のベルムートが問う。

「夢を見た気がしたの。少し気掛かりだから司令塔まで案内してほしい」

「シュヴァルツがいるのか?」

 喉元を鳴らしながらローゼは俯く。

「ただの《夢》かもしれないから断言はできない。日没前の空に、細長い建物の中にいたことしか覚えてないから、それが司令塔かもわからないわ」

 鋭い目付きに変わったベルムートは、第四部隊大佐の肩書きを窺わせる勇ましい顔で頷いた。

「わかった、だが万が一を考えて部隊も動かす。第一司令塔、第二司令塔、鐘塔の三ヶ所へ同時に突入しよう。―――陽が沈む前に、十五分後、決行する」

「シュヴァルツを発見次第、直ちに確保をと命じて」



       2


 定刻を迎え、大佐であるベルムートを指揮官に、ローゼは第一司令塔へと塔乗した。

 螺旋階段を上がり、各階ごとに隈なく見回る。そして、屋上の手前の階層へ辿り着く。

 そこは空闊とした場所だった。一際天井が高く、四方面には縦長の窓があり、絨毯のように分厚い紋章入りのカーテンで陽の光を遮っている薄暗い部屋。

 ローゼは一番近いカーテンを捲ってみると、階調の美しい丹碧色の空と、隣接する本堂の見え方に、どこか見覚えがある気がした。

 中央にある石台の上にはなにもなく、本棚も空隙が多く残された書物は少ない。

 宮殿へ移籍する為に、有りとあらゆる物を運び出された形跡だけが石床に残り、とりわけ目立った物は何もなかった。人がいるような気配もまったくなく、ただ紙屑が散乱しているだけ。

 ベルムートの指示に部下たちが動くが、残念な結果に終わりそうだ。

「ここはハズレのようね。無駄足を使わせて悪かったわ………」

「気にすることはない。直ぐに隣の二塔の者と連絡を取ろう。とりあえず今は退却し―――」

「大佐!」と、ひとりの錬金術師の叫び声にローゼとベルムートが振り返る。

「!?」

 二人の目にしたものは、錬金術師が次々に倒れていく光景。

氷呪(ひょうじゅ)》だった――――。ローゼも経験した、身動きを止める氷の魔術。いつしか床には巨大な結晶が描かれたように凍り付き、足元には銀色できらきらと耀く霧が流れていた。

「姫っ、急げ!」

 ベルムートは煌く空気を《風》で薙払うと、ローゼの腰を掴んで出口へ走った―――

「……きゃ!」

「っ!」

 唯一の出口である螺旋階段には白い煙が充満していた。まるで生き物のような動きをする煙は二人を丸呑みするように上から降り注ぐ。密閉された空間で、それを防御するにはベルムートが扱える《風》の量があまりにも少な過ぎたのだ。煙はその場にいた全員を呑み込んだ。

 身を呈してローゼを庇ったベルムートも崩れ落ち、煙を吸ったローゼもまた天地が逆さになるような目眩を起こして倒れた。意識が遠のく中でも賢明な護衛役はローゼの腕を放さず、必死に起き上がろうと足掻いている。

 腕の動かし方を忘れたかと思うほど脱力した身体は地に這ったまま動かない。

 ローゼの意識は途切れる直前、ベルムートの手が放れた。

 そしてローゼの身体は簡単には持ち上げられた。

 その手は、とても、冷たい。



     † 3 †


 005209番と009630番の男女は湿っけのない大地で、崖付近の岩陰に隠れていた。

 目先には猪のような牙を持つ四足の魔物が群れている。二人では太刀打ちできない数だ。

 生き長らえる為には、奴らに気付かれずに岩陰を伝って進むしか手段は浮かばない。

 少し遠回りをしてでも安全な道を歩もう………、そう二人で合致した時だった―――。

 嫌な音がした。血の気が引く。恐れていた最悪の結末音。


 ――――――ピッ


 その機械音に慌てて振り返ったのは005209番の男だった。

「ごめんなさい……私もう駄目みたい……」

 後ろにいた彼女は平然と、普通の表情でそんなことを言う。

 他愛ない台詞ように、この瞬間は朝陽が巡るように必然的に訪れるものだとでも言うように。

「約束守れないね」

 生き延びる、約束。彼の落ち度だった。自分が彼女を守っていれば生き続けることができる、という浅はかさが生み出した失念。恐れるべきことは目の前だけではないことを。

「ごめんなさい」………彼女は微笑みながら再び謝罪を口にする。

 この刹那、死ぬとは想像できないほど少しはにかんだ笑顔で。

 男は言葉を紡ぐことができず、ただ彼女を強く抱いて、それから彼女の肩を突き飛ばした。

 彼女の身体が崖の外側へ遠退いたその瞬間、世界が緩んだような、視界に映る何もかもがゆっくり見えた。穏やかな表情で涙する彼女の体は宙を舞い、崖の外へと墜ちていく。

 墜ち逝くなか、彼女の唇は動いていた。

 しかし最後の言葉を聞き取ることは出来ない。きっとこれは彼の後悔へ繋がるのだろう。

 地に辿り着く前に、爆発音が辺りへ響きなった。

 黒の魔物の足音は崖下を目指し進んでいく。

 行く手に魔物がいないことを確認すると彼はその場から駆け出した。






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