第十三輪 撞 着 の 伝 達
第十三輪 撞 着 の 伝 達
「ローゼ姫、ご一緒にお茶でもどうですか~?」
ほとんど手付かずの夕食を済ませた直後、陽気な顔をしたイェルクと、それとは対照的なベルムートが部屋に入ってきた。
「悪いけど、遠慮するわ。暇を持て余す時間はないの………」
「気を抜く時間も少しくらい必要ですよ。それに右目の具合も診に来ました」
「痛みは引いたわ。片目だけでも慣れてきたし何も問題ない」
どうでもよさそうにあしらうローゼは席から立とうとするが、主治医の仕事も担うイェルクに肩を抑えられて座り直された。不愉快そうにローゼは睨め上げるが、それに対してイェルクは気の抜きすぎる笑顔で言った。
「なら、左手を診せてください。後々痛まないように治療しておきますので」
「………」
瞬時にベルムートを睨んだが、彼は白をきるように馴れた手付きで紅茶の準備をしていた。
「まぁ念のためですから、ね?」とローゼの了承も聞かぬうちに左手を取るとテーブルの上へそっと置いた。人差し指で円を描くように手の甲をなぞり、ローゼの手を温めるように両手を重ねると、薄ら黄色い光が現れた。湯桶の中へ手を沈めた時のようにじわじわと暖かさを感じ、とても心地良い治療であった。
「ローゼ姫、僕からお願いすることは変かもしれませんが、ヴァイス君のしたことを許して頂けませんでしょうか。冷静な彼があのように取乱すのは珍しいことなのです……」
「! あれは……私も感情的になって少しは非があったから許すもなにもお互い様というか、」
にっこり微笑んだイェルクの顔から目線を外して口篭るローゼ。
手が痙攣するほど自分の身体が魔術を恐れ、同情したベルムートに頭を撫でられたこともイェルクは知っているのだろう。それを思うと気恥ずかしさが募った。
「はい、治療は終わりました。お茶とお菓子でも頂きながらお話し聞かせてください」
「………話? なんの?」
「あれ? 姫様に迷いが見られたとベルムートから伺ったのですが?」
「また余計なことまで………」
イェルクの隣に座るベルムートを怒る気にもなれず、ローゼは溜め息とともに頭を抱えた。
「はあ―――――、否定させてもらうわ。私に迷いはない」
強がりとかではない。確かにヴァイスの前では魔術に怯んでしまったが根本の目的から外れた訳ではない。それを果たすためにローゼには時間がないのだ。
「ヴァイスから詰め寄られた時の顔はなんだと言うんだ?」
「あれは迷いではない。たとえ私が殺されたとしてもその命は無駄にせず奴を止めるわ」
「止める、だと?」
「え、シュヴァルツ様を?」
ベルムートとイェルクは間抜けたように訊き返してきた。
「は? あなた達こそ何を言っているの? 何も訊いてないの?」
「………何も訊いていないと言うか、昨日まで本堂は結界が張られた状態にあった。中での出来事や情報が届く訳ないだろ。それにブレイラントの宮殿へ移った上層部の術師たちも城まで情報を伝える余裕はないはずだ……」
「じゃあ―――、どうして私に協力したの?」
辻褄が合わなすぎる。鼓動が先走って、嫌な予感が背筋を駆け上る。
「ヴァイス君から『姫が、片目を奪ったシュヴァルツ様に復讐をしたいと望んでいるから力を貸して欲しい』……と聞いていますが」
「復讐? 私そんなこと一言も………」
ローゼは発言を急ぐ前に回想を優先させた。シュヴァルツに眼球を奪われた日、ローゼは混乱した状態で彼の弟のヴァイスと対面した。感情が乱れていたせいでヴァイスに間違った意思を伝えてしまったのだろうか。それともヴァイスが誤解したままなのか。そもそもヴァイスは結界の張られた地下にずっといたはず。なら、シュヴァルツの計画をいつ知ったのか……。
ヴァイスは言った。
『―――ローゼ様の不幸は少なからずヴィオレット(あの子)のせいなんですよ―――」
何故、彼はそんなことを知り得たのだろう。
「………矛盾しているわ」
自然と険しい顔になってローゼは口を開く。
「単刀直入に言う。私は復讐などに興味はない。私の眼を奪ったシュヴァルツがクライン・ダート帝国全土の国民を利用して神の強大な力を得ようと企んでいる。それを阻止することが私の目的よ」
二人はきょとんとして目を丸めた。
「……神の力だと? そんなもの存在し得ないだろ」
「私を誰だと思っているの?」
意地の悪い笑みを浮かべるローゼにベルムートは眉を寄せて黙する。
「…………まさか、実現能力ですか?」
イェルクがか細い声をうな垂れた。確信はなかったのだろう、口元が歪んでいる有り様だ。
国民から愛されていたブレイラント王妃を殺したと噂された力。ローゼにとって最強の武器であり、己を呪縛し続ける最悪の能力。
「イェルク正解よ、さすが学者様は物知りね……」
と、その言葉を最後にローゼから女性らしい柔らかな笑みが消えた。
「〝神の力を作り上げた悪夢〟を知らない間に埋め込まれたの。それを私が夢の中の夢で見てしまった。国民の意識はその夢の中に閉じ込められてしまって神の力を手に入れる為に奴隷のように働かされているわ」
「《固有結界》か、シュヴァルツの得意分野だな……」
と、ベルムートが感慨気に言って続ける。
「ブレイラント領土の国民を利用していると言ったな。意識を夢の中へ納めるだけでも膨大な魔力が必要だ。シュヴァルツ一人の魔術量では、どう考えても見合わない」
ベルムートが言う《固有結界》とは、つまりローゼが見た《悪夢の世界》を表しているらしい。実在しない幻想の中へ相手の意識だけを幽閉する、ハイリンリヒト家の人間が得意とする質の悪い魔術。
「……私は魔術の知識に関しては無一物だけど……、国民を一時的に《魔睡》させているのがハイリンリヒト卿だとしたら、それは可能かしら?」
「なんだと………」
「ブレイラント国王が薨去なさった後、宮殿内部は混乱状態になった。そこへハイリンリヒト卿まで立ち入ってきたという事実が国中に広まったら、国が焼け落ちるほどの暴動が起こり得たでしょうね。国王とハイリンリヒト卿、それから領土に定められた〝境界線〟は一般国民と術師達がお互いに共存する為の柱となっていたから。ハイリンリヒト卿は柱が崩れれば後に何が起こるかの予測できていたのでしょう………、だから国民全員を一時的に眠らせた」
あの小春日の朝。執事ルハルトと、侍女セルシアが訪れた時に教えてもらった事柄。目の前にいる二人は本堂に結界が張られていたこともあり、そんな情報は知る由もなかったようだ。
ローゼはハイリンリヒト卿が宮殿へ攻め入った時、権力を奪われるかもしれない恐れとブレイラント側の頭首を失った危機感に感情が入り乱れていた。だから話し合いもろくにせず牢屋へ押し込まれてしまったのだ。けれど平常心を取り戻した今はハイリンリヒト卿への怒りは持っていない。寧ろ、国中の混乱や暴動を防いでくれたことに感謝している。眠らせる決断は正しかったと思っている。―――だから、国王がハイリンリヒト卿に遺言を残したと知った時、すべてを放棄しようとローゼは決意した。そして「愛している」と言ってくれたシュヴァルツの傍で静かに暮らせればいい……そう思っていた。それなのに…………
――― ダンっ!
ローゼは拳をテーブルへ叩き付けた。
「……それなのに、シュヴァルツは眠っている国民を奴隷のように扱って、私を利用して、夢見の能力までも奪った」
これ以上、感情の出し方がわからないほど、歯痒い気持ちがローゼの喉を締め付ける。
「すべてを仕組んだのがアイツでも実現化してしまったのは私のせい。………だから、私にはシュヴァルツが《神の力》を手に入れる前に彼を止める責任があるの」
どんなに無茶なことを宣言しているのか、ローゼ自身も理解していた。ハイリンリヒト卿の次期後継者に選ばれるほど有能な魔術師であるシュヴァルツに、無能な自分では歯が立つはずがない。けれども今ローゼが歩みを止めてしまえば全部がシュヴァルツの思い通りになり、神の力が現実世界に出現してしまってからではすべてが手遅れになってしまう。だから、ローゼは命がけで阻止する覚悟があった。―――自分に帰るべき場所がなくなった、その時から。
「…………重い責務、ですね」
必死に言葉を探した末に、ぼそりと言うイェルク。
それが愁いなのか、同情なのかはわからない。
「国民を助けるためよ………。国王が退位なさった時、私には国民達を導く使命があったの。でも《悪夢》に巻き込んでしまった。私が未熟すぎて……、弱かったから――――」
「―――ローゼ姫」
バラの名前を呼び、湯気の立った紅茶を差し出すイェルクは、眼鏡の奥で薄ら微笑む。
「ローズヒップを淹れてみました。少し、休憩しませんか?」
「………………ありがとう」
ティーカップを受け取りピンクベージュの優しい色を眺めた。爪が食い込むほど握り締めていた拳を癒すように温かく、とてもいい香りが体の中へ染み入る。
「僕が焼いたクッキーもありますので良かったらどうぞ。ベルムートも食べるよね?」
「ああ、イェルクの焼き菓子は好きだからな。姫も食べなくては後悔するぞ」
溜め息をつきながら「人が真面目な話しをしていたのに……」と言いつつも、ローゼはクッキーを口へ運ぶ。そして本日のまともな食事がこのクッキーだと気付く。
「それから……、姫、時間がかかって済まなかった。お望み通りだといいんだが」
そう言って、ベルムートはローゼの前に剣を差し出した。金色を貴重に使った細い鞘に一輪のバラで飾られた柄。花弁の色はラピスラズリのように煌く蒼だった。
「私の望み通りのデザインね。それに軽くて握りやすい」
「刃を細めた分、軽量はできたが強度はさがった。だが切れ味だけは格別にしておいたから、くれぐれも自分を切らぬように注意しろよ」
「美味しいお茶を頂いてる時にそんな物騒な話しやめてくれる………?」
「悪いなっ………」
「でもその剣、姫に似合ってますね~」
「―――――――イェルク……」
新しい剣の具合を念入りに確かめたローゼは、はた迷惑になることを承知で口を開く。
「あなたに頼みたいことがあるの………」
少し驚いた様子だったが、イェルクは極めて冷静に普段通りの笑顔を浮かべた。
「どのような内容ですか? 僕で力になれることなら何なりと」
「……《悪夢》に閉じ込められている国民の状況を調べてほしいの。実現化する夢の中で多くの人々が命を落としていたわ。確信はないのだけど嫌な予感がするの。だから国民の安否確認と夢の中から助け出す手立てを調べてほしい。施術師なら方法を知ってるかと思って」
勢いのない声が途切れると無音が生まれた。問い掛けられたイェルクは紅茶の色を見つめて、何も言わずに考えに浸っているようだ。
「私に協力してくれるのなら条件を提示しても構わないわ。だから―――――」
「見返りなんて欲しませんよ、施術師は。………術師は条件や契約が絶対ですが、差別なく傷ついた人を助けるのが我々の役目ですから」
イェルク特有の緊張感のない口調が続いた。
「……でも、あえて条件を言わせて頂けるのならば、今の姫で在り続けてください―――」
「……………なに、それ?」
ローゼは驚くというより、意味がわからず唖然となる。
くすくすと眼鏡の奥では楽しそうにイェルクは笑う。
「姫は誰よりも温かい心を持った方ですから。そんな人が君主であれば、配下を裏切ることはないと思いますし、きっと姫の周囲は居心地の良い場所になります。ブレイラント国王が健在の頃は、国と術師の距離を法律のように区切っていましたが、僕は安定していたあの頃は嫌いじゃなかった」
この本音はベルムートも虚を突かれたようだった。
「承諾したわ。………それから、できればヴァイスには黙っておいてほしい」
「何故だ?」
「……色々と考えがあるのよ」
ローゼとイェルクの間に訝しげに顔を出したベルムートであったが、イェルクは素直に承知した。
「国民の安否ですが、一軒一軒回って確かめる必要があります。眠っているのがハイリンリヒト様の魔力で、夢の中に入れられたのはシュヴァルツ様の魔力。となると同時に魔力供給を停止しなければ複雑に絡み合ってしまうかと………。でも試す価値はあると思います。時間がかかる可能性がありますがよろしいですか?」
「それでも頼むわ」