第十輪 術 師 の 軍
第十輪 術 師 の 軍
1
その晩、ヴァイスは二人の若い男を連れて部屋へやって来た。とても対照的な印象を与える二人はヴァイスの信頼できる友人で、ローゼの協力者だという。
筋骨隆々の錬金術師はベルムートと名乗った。ハイリンリヒト卿の軍に所属し、その若さにして大佐の地位を持っているという。長身であることと、無愛想な左目の下に切り傷の跡があることが特徴的だ。
もう一人は雪の紋章が描かれた白衣を纏った施術師のイェルク。魔術医療の学者であり、研究チームの代表者だという。眼鏡の奥では穏やかな笑みを浮かべ、人よりも一歩下がって歩きそうな性格に見える。両者ともヴァイスより年上だが、腐れ縁と呼び合えるほど長い付き合いだと説明するヴァイスが続ける。
「術師の中にはクラウス様やシュヴァルツに反意を抱く者が少なからず残っています。だから、その者達を誘い入れ軍を成しておいた方がいいと考えました。今後のことも考えた上でベルムートにはローゼ様の護衛をしてもらおうと思っています」
と、言いながらヴァイスはローゼに一枚の紙を渡した。そこには組織表が描かれてある。
「ハイリンリヒトに所属している術師は、全部で六種類います。半分を占めるのが魔術師で、次に多いのが軍隊組織をもつ錬金術師。その他の施術師、妖術師、占星術師、鳥占術師は全員合わせても二割程度かと思います」
「ハイリンリヒト反対派の人数とその所在は?」
ヴァイスはテーブルに手を添えると魔術を用いて、城内図を立体的に浮き上がらせた。
「この城の説明をします。この部屋は本堂最上の五階に位置します。この本堂を中心に司令塔が二塔と鐘塔が一塔。地下は最高で五階まであり、蜘蛛の巣のように広がっています。地下の面積は本堂の約十倍といったところでしょうか。地下は様々な箇所に《術印》が埋め込まれていますので隠し扉や騙し絵が行く手を阻む仕組みとなっています。三十分ごとにパターンが変わる仕掛けですので地下へ行く際はご注意ください……。今まで地上階はクラウス様をはじめとする高位の者達が使用する場所、地下はそれ以外の術師たちの居住スペースや書物管理室、貯蔵庫などがあります。その為、一般術師は滅多な用事がない限り地上階へは上がらないのですが…………」
ヴァイスは苦い顔をローゼに向けた。
「ブレイラント国王が亡くなってから先程まで、本堂には高度な結界が張られていたのです。魔力量からしてシュヴァルツによるものだと思われます。今朝ほど結界が消滅していることに気付き、本堂内を調査したところ倒れていたローゼ様を見付けたという経緯です………」
「………でも変よ。前に私の使用人が訪ねて来たことがあったわ」
「……それは、計算外だったのではないでしょうか?」
イェルクが口を挟む。
「シュヴァルツ様の結界は魔力を反発させるものでしたから、一般人には無効だったのかもしれませんね。もしくは彼自身がその使用人方を受け入れたかとしか考えられません……」
ローゼは「なるほど」と溜め息を出した後も立体地図を舐めまわすように見入った。
「ここはなんの部屋?」
疑問に思った箇所に指先を向ける。その場所は地下四階。一際目立つ細長い廊下を経た先にある、色の塗られていない長方形の枠。
ローゼの一声に場の空気が変わっていた。
「どうかしたの?」
「………いえ、その部屋だけは行かないようにお願い致します」
「どうして?」
顎を引いたヴァイスを見計らってベルムートが前へ出る。
「そこは《空白の部屋》と言われ、近付くことを禁じられている。つまり姫がその部屋で何かあれば我々は助けに行くことができない、ということだ」
「何かって、シュヴァルツが来る可能性があるという意味かしら?」
「彼も行かないでしょう。呼び名の通り空の場所ですから」
イェルクも追い打ちを掛けるように付け足した。
それは異様に感じたが、それ以上問い詰めるのをやめにした。
「………わかったわ。話を戻すけれど、その反対派の術師は私に賛同し、私が信用する見込みはありそうなの?」
無骨な印象の錬金術師が、腕を組んで頑なに言う。
「術師の世界で生きる者ならば賛同することは契約を交わすことに等しい。契約を交わした以上、破った者には罰を与えればいい。姫自身が互いに良い意味での契約内容を提示すれば問題ないだろう」
「僕達、施術師は医学を始めとする様々な研究にしか脳がありませんから。研究場所と時間さえ最低限あれば賛同するでしょう。それに施術師は慈悲深い者の集まりですから、きっと姫様のお力添えになると思います」
「へぇ………、イェルクとやらは何の研究をなさっているの?」
「主に薬剤系に力を入れています。魔力と結合させることにより、治癒能力を高め、少しでも多くの人に貢献できるようにと―――」
「でしたら、学者の方々には研究に専念してもらうわ。その代わり私に賛同してくれる者だけよ。研究内容は素人でも理解できるレポートで細大漏らさず報告しなさい」
「かしこまりました。きっと研究ができることを皆喜び、ローゼ姫に感謝することでしょう」
「ヴァイスは初めに頼んだことを。そして軍をつくる準備を進めて。公約や利益は追って連絡します」
「承知しました、ローゼ様」
「では今晩より頼むわ。―――ベルムートと言ったかしら? あなたは少し残って」
2
「何の用だ? 俺は姫の護衛をするようにヴァイスから頼まれているが」
ヴァイスとイェルクが部屋を出て行った後、ソファーをひとりで陣取るローゼと、少し距離をおいて壁に寄り掛かったままのベルムートとの談話が始まった。
「これから護衛を頼むのだから、色々と質問させてもらおうと思ったのよ。そこへ座っていいわよ」
くすりと笑いながら優雅な手付きで近くの椅子へ座るように促したが、ベルムートは「立ったままでいい」と呆気なく断った。
「そう………」と関心のないローゼは無理に命令する事もなく、二人の間には規制線があるような妙な距離感が保たれた。
「呼び方はベルムートで良いかしら?」
「ああ」
「じゃあベルムート、あなたの自己紹介を聞きたいわ。答えられる範囲で構わないから」
「名はベルムート。真名は術師になる際に捨てたからその名しか持っていない。ハイリンリヒト卿第四防衛軍に所属し、大佐の地位の元、十九名の部下を持つ。戦闘専門の錬金術師だ」
「年齢は?」
「二十七だ」
「あら、思ったより若いのね。それで大佐なのだから相当な実力の持ち主ということね」
口元を隠しながらローゼはくすくす笑う。その間もベルムートは微動だにせず、ただ元姫君の綺麗な顔立ちと、笑わない片目を見て眉をぴくりと寄せた。
「ベルムート、もうひとつ質問するわ。私の何に不満があるのかしら?」
「………………」
口角を上げたまま笑い声は止んだ。瞬きすら忘れてしまったように鋭利な眼光を効かせて、ローゼは無表情の錬金術師を窺った。
「仕える者に不満など持たない」
それが彼の回答。
「そう――、でも不満がないようには見えないわ。私が年下のせい? 気取った女のせい?」
何度追求してもベルムートは「不満はない」の一点張りだった。痺れを効かせたローゼは溜め息とともに追求を諦め、乱暴な仕草でソファーへ深く座り直して足を組んだ。
「はあ……、もういいわ。術師のすべてとでも言う〝契約〟をしましょう。お互いに納得いくものになればあなたの不満も解消されるでしょう」
「だから不満は………」
「うるさい、大事な契約の話をするのだから少し黙りなさい。
その護衛役についてなんだけど、私は頼んだ覚えがないのだからヴァイスが勝手に依頼したのでしょ? だから契約もなにもなく破綻しているのが本音よ。今までも自分の身は自分自身で守るようにしてきたの、もちろん今後も同様に。―――けど、魔術とは無縁だったことを考えると自分の力に限界があることは想定できる。だから、命と両足と片腕だけを守るという契約を提示するわ。それだけ残れば生活に不備はないでしょう」
「それが契約内容だと言うのなら従おう。……だが、初めから全てを守れと願われた方が楽なんだが……」
「仕事量を最低限にしてあげただけよ、文句言わないで」
紅い瞳は片方を失ってもなお、威力をもっているように我が儘に恐ろしく光る。
「ヴァイスは私に仕える際、条件を提示してきたわ。だからあなたも何か条件を―――」
「別に利益がなくとも俺は自分に課せられた責務を全うする」
掻き揚げられた赤茶の髪に、黄緑色の双眸をしたベルムート。それは己自身に揺らぎがないとでも言うように真っ直ぐ先を見据えているようだった。
「………ヴァイスの条件だけを受入れては、あなたとイェルクに不公平だと思ったから訊いているの。それに、あなたの様子を見ていると本当に私に力を貸してくれるのか疑いそうなのよ。不満はないと言い張るけれども思ったことがあるなら言ってみなさいよ。でなければ私は命を預けられないわ」
「………人の手に縋ってまで欲しいと思うものはないんだが―――」
顎に手を当てながらベルムートはしばし考え込んだ。
「戯れ言を言うとしたら、安心かな…………」
短い沈黙を経て、ボソっと述べた彼にローゼは訝しい表情を向ける。
「は? ……これから私は危険を起こそうとしているのよ。そんなの保証できないわ」
「俺の言う安心は、命の安心ではない。身の安心だ」
「……み?」
「錬金術師というのは《術陣》を描いた武器を用いて戦場で闘う者達だ。云わば術師ではなく、魔力を有した軍人として扱われてきた。術師の世界では魔力量で地位や権位が決まる。だから手持ちの刃ではなく魔術事態を武器とする魔術師には到底及ばない低位にいるのが錬金術師。魔術師の飼い犬のような扱いを受け、彼らの代わりにずいぶんと手を汚してきた。――これは俺の一意見だが、今まで歴史が変わることなく地位と名誉の格差が在り続けたことは間違っていると思うんだ。錬金術師だからというレッテルを貼られるのではなく、ひとりの術師として……ひとりの人間として生きる意味を持ち合わせてもいいはずだ―――――」
いつしかベルムートの拳には力が入り、やり切れないとでも訴えるようにローゼへ冷たい視線を向けた。その眼差しは誰か別のひとを想っているようだと、徐にローゼは思う。
「魔術師の犬ねぇ………。今まであなたがどんな苦労をして来て、どんな仕打ちをされて来たか私には想像もできない。―――でも、きちんと吠えることを知ってるじゃない?」
「………………」
茶化すように、またローゼは面白おかしく口角を上げる。
「ねぇ、もう一度言うけど、そこへ座らない?」
熱弁に水を注がれたベルムートであったが、眉間に皺を寄せながら今度は素直に席に着く。
「ベルムート、軍人なんて辞めて私に雇われてみない?」
「……な、」
「だって私に不満があるんじゃなくて、ハイリンリヒト卿に不満が大ありじゃない。そんな所で働き続けても、つまらないだけでしょう? なら、事が済んだ後もあなたが飽きるまで私の護衛をするというのはどう? 私から首を切ることはしないし、犬扱いもしない。言いたいことは言いたいだけ言ってもらうから」
「だが、そんな簡単に契約解除はできることでは……」
「この場で交わす契約は『私の命と両足と片腕を守ること。その代わりにあなたの望む身の安全場所を用意する』ということ。その身の安全場所に来るか来ないかはあなた自身が答えを出しなさい。後者の契約猶予は私が目的を果たすまでだからもたもたしている時間ないわよ」
ローゼは立ち上がり、ベルムートに手を差し伸べた。
「ベルムート、私はあなたを信じてみようと思うわ」
「契約内容に異論はない、だが少しは考える時間をもらおう………。こちらもローゼ姫が良き主権者であることを信じる」
互いに握手を交わし、二人の契約は晴れて成立した。
「さっそくだけど、扱いやすい剣を用意してちょうだい。できれば軽い物がいいわ」
「何を言っている? 護衛の契約を交わしたばかりだぞ、姫には不要だろう?」
「命と両足と片腕だけでしょ。それ以外は自分で守るつもりよ。それに着替えている時や入浴中に何か遭ったらどうするのよ」
「いや、だが危険過ぎる。だいたい簡単に剣を扱える訳が………」
「女だからって嘗めてるの? これでも父親の反対を押し切って剣術と護身術を習っていたのよ。そう簡単には殺られないわ」
ベルムートは呆気に取られた様子だったが、少しだけ鼻で笑った。
「一国の姫君とは思えないな………。承諾した、今夜中にでも《陣》を組んで姫の剣を作っておこう。それからお手並み拝見とさせてもらう」
「ええ、喜んで」
負けず嫌いのローゼが楽しそうに笑みを浮かべていたが「ただし条件がある」と鋭い声を浴びせられた。
「剣を持ったからと言って城内を一人であることは禁ずる。それと目の傷が完治するまで不用意に剣を振ることも禁止だ」
「それじゃあ話が違うじゃない! それになんで二つも提示してくるのよ」
「どうせ二つ目はイェルクが注意するだろう。城内のどこかにはシュヴァルツが潜んでいる可能性が高い。それを踏まえた上で言っているんだ」
「私に命令しないで!」
「姫だからといって考えの甘い子供だ。ましてや術師の事もろくに知らない。子供は子供なりに大人の忠告を受け入れるべきだ」
「―――――――はあ……、あなたと言い合うと疲れそうだわ……。私は勝手に行動するつもりよ、お節介に働きたいのなら勝手に動けばいいわ!」
「ああ、そうさせてもらう」
***
―――――深夜。
暗闇の中、欷泣の音が絶え間なく鳴る。
夜だからこそ許される――、本来の脆弱な姿。
寝台の上で、右手にある蒼石の指輪を握り締めて蹲る。
もう、名前を呼んでも、振り向いてくれない、彼を思い描いて―――――