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その翅広げて天空に向かえ  作者: 澄夜
第2章 輝く翅を広げ
7/14

炎の実力

最後の部分を掲載し忘れていたので追加しました。(1/16 20:00)

 翌日の昼過ぎ、キューイはセランから書庫の鍵を借りていた。先夜のセランとディルスによる協議の結果、午前中行われたセランの講義は陣に関するかなり難しいものとなり、しかも出された課題も同様であった。それゆえ、参考資料を求めて書庫の鍵を借りることになったのだ。

「『風の顕現を雷の顕現に変える陣を三つ書き、それぞれの長所と短所を述べよ』なんでこんな難しい課題になるのかしら。一つだけはわかるけど、後二つなんて想像もつかないんだけど」

 愚痴を言いながら彼女は先に自室に寄ってマントを取った。屋内でもマントを欠かさないのは貴族に見られる風習だが、今回は事情が異なる。なにしろ、季節は初夏、快晴の昼過ぎにふさわしく半袖姿だというのに、手に取ったのは厚手の綿のマントである。

 メモ用の小さな黒板と白墨、鍵とマントを抱えてキューイは書庫に向かった。鍵をあけて戸を開くと、中は真っ暗である。窓がないからだ。そして、季節に合わない冷たい空気が流れ出してきた。

 マントを羽織って首元をピンで留め、暗い室内に一歩はいると、キューイは右手に顕現を浮かべた。その顕現を戸の右側にある親指ほどのガラスの塊に流し込んだ。

 すると、書庫全体が白い光で満たされた。やや黄色い気がするのは萌黄色の顕現を流した結果だろう。マントの前をしっかり合わせ、冷気に備えるとキューイは課題の参考になりそうな本を探しにかかった。

 

 これは、書庫の壁、床、天井のすべてに「吸熱」の術がかけられ常時発動しているからである。理由はひとつ、火事の防止である。書庫に窓がないのも同じ理由による。田舎の小さな術学とはいえ、歴史が古いというだけで貴重な文献が存在する十分の理由になる。

 火事を防ぐため書庫内の全面にかけられた「吸熱」の術により、書庫では蝋燭もランプも松明も使えない。持ち込んだ瞬間、熱を奪われて消えてしまうのだ。それゆえ、明かりはガラスの塊に「光」の術をかけたものを用意し、それに顕現を流し込むことによって得る。火が消えればよいので弱く抑えられているとはいえ、床、天井、壁の全面で「吸熱」の術が働いているため、防寒のマントは必須、というわけである。

 書庫に入ってしばらく経った時である。戸が開く音がした。書庫内に用意された閲覧のための机に向かって何冊もの資料を広げていたキューイが入り口のほうを向いた瞬間、その身を照らす光の量が一挙に増えた。

 そのまま、遠慮のない足音を立てて姿を現したのは予想通りディルスだった。

「何だ、お前いたのか。あんな暗い所でよく勉強できるな」

 足音に遠慮がなければ、発言には気遣いがなかった。五輝を使う地力に差があるのにそんなことを言われれば、ムッとするのも当たり前である。

「あのね!」

 キューイの眉が鋭く吊り上がり、きつい声が出るが、あっという間に怒りは向かう先を失う。ディルスはキューイが使っている机の左の机に紙束、インク、ペンなどをまとめて置くと、怒りの声も無視してさっさと書棚の間に消えてしまったからである。どうやら、悪意ある皮肉ではなく、無神経なただの感想だったらしい。

 結局、キューイも椅子から上げかけた腰を下ろし、本に視線を戻した。


 わかっていた事実ではあるが、”好奇心とはなかなか厄介である”ということをキューイが改めて思い知ったのはそれからまもなくである。数冊の本を抱えて戻ってきたディルスはそれらの本を参照しながら紙に何かを書きつけていく。その細かさたるや、キューイの使っている黒板と白墨では何枚あっても足りないと思わせるほどである。

 そっと横目で伺うと、簡略化された陣が所々に見える。片手を開いたぐらいの大きさの紙が見る見るうちに埋まっていく。

 一方でキューイの手は進まない。隣で書いているものに対する興味が動きを鈍らせる。自分より上の使い手が何かを研究する場面など見たことがない。どんなことをしているのか関心だけが募っていく。

 やがて、余白のなくなった紙がキューイのほうに滑ってきた。別に見せてやろうというわけではなく、右手でペンを走らせ、左手で本を繰るために空いていたところに置いただけのことだろう。だが、キューイにとっては絶好の機会だった。

 視線だけで覗く。そして、衝撃を受けた。

 意味がわからない。もちろん文字は読める。だが、”ヴァルガ空間陣の重複において複略陣の融合を回避するには”とか”裏面加速の途中で反転させる場合、停滞の否定を用いることで正転とつながる”とか”相似陣の鋭角化、対面化、連機剛回は困難”などという文の意味はまったく理解できない。

 獣相も解放していない半人前であることは自覚しているが、それでも少しはできるつもりだった。年下の子供たちや、大人になってから術を学び始め、まだ数年にしかならないレイジーやヴォアンの課題を手伝ったこともある。年数だけを言うなら、彼女は十年近く学んできたのだ。

 これがセランならそれほどの衝撃は受けなかったかもしれない。だが、十しか離れていない兄弟子が理解不能な文と陣で紙をすらすらと埋めていくのを見て、彼女のささやかな自信は打ち砕かれた。

「手が止まってるぞ。人の研究見てないでさっさと課題終わらせろよ」

「はいっ!?」

 顔も上げずにいきなり言われて、変な声が出た。顔が赤くなっていくのがわかる。その顔に視線を向け、ディルスはにやりと笑った。

「獣相の解放までは、複雑な術の修行はできないんだよ。お前も獣相を解放したら修行の質が変わるぞ」

 考えていたことを見抜かれたような言葉にキューイは思わずうつむいた。

 ほとんど集中できなかった結果、課題はまったく進まなかった。


 翌朝、キューイとディルスはそれぞれの剣を手に向かい合っていた。

 すでに三日目。キューイもすっかり慣れている。キューイが萌黄の光の粒を全身から吹き上げて切りかかり、瑠璃の炎、一瞬送れて萌黄の光の粒が激しく立ち上る。それが三回繰り返された。

 早朝にもかかわらず、術学のほとんど全員が起きて来て二人の修行を見物している。

 しかし、この日の最高潮はこの後だった。

 顕現のやり取りを予定通りの三回終え、二人が剣を鞘に収めたときだった。

 必要な程度の力を回復したディルスが声を張った。

「キューイ!」

 その声の強さにセランを除く全員が彼を見た。否、セランは初めからディルスを見ていた。

「お前の獣相は解放直前にある。よって、これより、俺か先生の立会いがない状況での術の修行を一切禁じる!」

 一瞬の沈黙を置いて、空気が湧いた。

 弟子たちの輪の中から、白銀の髪を長く伸ばした女性が飛び出してキューイに抱きついた。髪に寝癖がついたままであちこち跳ねているのもお構いなしである。

「やった、やったね、キューイ」

「うん、うん、やった」

「がんばってね。あんたなら絶対すごい獣相を解放できるからね」

「ありがとう、レイジー。あたし、がんばる。絶対最高の獣相にして見せる」

 だが、喜んでいる弟子たちとは異なり、師であるセランと、キューイの獣相解放に立ち会うべきディルスはいささか表情が硬い。無理もない。解放された獣相の質はその直前の修行の質が大きく影響する。良い師と忍耐を知る弟子のどちらが欠けてもよい獣相の解放はない。これまで修行を指導してきたセラン、獣相の解放までを導くディルス、どちらの責任も重い。

 盛り上がる弟子たちを見ながら、セランは傍らに来たディルスに声をかけた。

「おぬしの準備がまだだろう」

「ああ、明日の朝だな。それでいける」

 その朝がひとつの転換点となることを彼らも、弟子たちも、当のキューイ本人もまだ知らない。

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