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その翅広げて天空に向かえ  作者: 澄夜
第1章 風は炎と出会い
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炎の覚悟

 キューイの怒りは深かった。翌朝になっても、彼女はディルスなどいないかのように振舞っている。挨拶するどころか視線を向けようともせず、彼が声をかけても完全に無視していた。

 そんな中、ハーゼルンが駆け込んできたのは、セランがさすがに仲裁に入るべきかと考え始めた昼過ぎのことだった。


 セランとディルスは昼食を終え、講堂と呼ばれている、術学で一番大きな建物に入ったところだった。前日よりも心なしかディルスの顔色が悪い。マントは着けずに剣を鞘ごと左手に握っていた。午後は基礎的な訓練の時間であり、最近術を学び始めた弟子たちが20名ほど講堂に集まっていた。

「先生! セラン先生!」

 ただならぬ叫び声は馬車の車輪が立てる音に乗ってやってきた。

「どうした。何事だ」

「スニウスだ! 配下の連中と一緒に町の門に来てる! 二十人以上だ!」

「スニウス?」

 疑問で返したのはセランではなくディルスである。セランが手短に説明する。スニウスはラアスの町の近く一帯を縄張りにする盗賊の頭である。術剣士の訓練を受けているらしく、しかも弱くない。配下にも術が使えるものが数名おり、半年ほど前には討伐のための軍を撃退さえしている。

 見通しが甘く、術士や術剣士を一人も伴わなかった指揮官にも問題はあるが、術の普及が害となる見本のような事例だった。

 簡単な説明を聞いて事態を察したディルスはすぐにうなずいた。

「分かった。俺は先に行く」

 そういって、一瞬だけ瑠璃の炎を現すと、彼の体は宙に浮き、全力疾走するぐらいの勢いでラアスの町めがけ飛び去った。

「では、わしは馬車に乗せてもらおうか。キューイ、お前も来なさい」

 剣を持って、と付け加える必要はなかった。スニウス、との声を聞いた時点でキューイは部屋へ駆け上がり、自分の剣を持ってきていたからである。

 キューイにとってはいささか不本意なことであろうが、未熟な彼女が「飛翔」の術を使うより、馬車のほうが速い。しかし、ハーゼルンが乗ってきたのは人を乗せるための馬車ではなく、貨物用だった。人を乗せるつくりではない上、全力で走る馬車である。当然、揺れは激しい。その揺れの中でセランはキューイに声をかけた。

「こうなった以上、先に話しておいたほうがいいと思うのだ」

「何をですか?」

「ディルスの怪我とは一体どこのことだと思う」

 キューイは息を呑んだ。言われてみれば確かにそうである。「怪我をして戻ってくる」そうセランは言っていた。しかし、これまでのディルスの動きを見る限り、体のどこかをかばうような様子はまったく見られない。

「体ではない、のですか? まさか、獣相?」

恐る恐るの問にセランは重々しく、しかしはっきりとうなずいた。


 術において一定以上の力をつけたものは体のどこかに力の顕現で構成された獣の相を持つ。ある者は太い尾が伸び、ある者は両足が獣の四肢に変わり、ある者は獣の目や耳を持つ。普段は隠されているこれらは獣相と呼ばれ、術の強さや相性と密接な関連を持つ。そして、獣相に大きな損傷を受けた術士は術そのものの力が落ちるだけでなく、日常生活における気力の消耗も激しくなる、というのが以前キューイがセランから教えられたことだった。


「それでな、スニウスが来ていることを考えるとディルスの奴はかなりの無茶をするかも知れん。そのときは、キューイ、お前にあいつの補佐を頼みたいのだ。いいかな?」

 突然の大任に、近づいてくるラアスの門を見ながら、キューイは緊張した様子であごを引いた。


 ディルスがラアスの町に来たのは昨日が初めてだったが、町に入れば、スニウスという術剣士の盗賊がどこにいるかはすぐわかった。

 彼が入ってきた門と町を挟んで反対、ラアスを貫く街道の逆の門に大勢の人が集まっている。近づくと人垣は門からやや離れたところを半円に取り囲んでいるのが分かった。

「悪いが開けてくれ。俺はセラン先生のところの者だ」

 声をかけて人垣を割り、前に出ると、典型的な姿がそこにあった。皮の軽い鎧に剣を持ち、だいぶ擦り切れたマントを背中に流している。剣を抜いてはいないが、左手に顕現を浮かべ、術剣士であることを誇示しているところまで類型的である。顕現は深緑の水だった。

「術剣士崩れのスニウスというのはお前か」

「訂正してもらおう。おれは”水刃”スニウスだ。おい、間違いないか」

 後半は後ろにいる誰かに向けられていた。

「はい、間違いありません。こいつです。こいつが“青の目”ディルスです」

 その言葉にディルスの目がすっと細くなった。

「へえ、狙いは俺かい。しかも二つ名までねえ。ということは、裏の賞金でも稼ぎに来たか」

「察しがいいじゃねえか。ついでに言っとくと、こいつはこの間までイェイムの町にいたんだ。あそこで何があったか、知ってんだぜ」

「なるほど、それで調子に乗って俺の首を取りにきたってわけか。だが、忘れてることがねえか」

「何をだ」

「イェイムの町からここまで結構あるってことさ。俺がその間一回も襲撃を受けなかったとでも思ってんのか」

「知ってるさ。だからここで待ってたんだ。お前の力が最低まで落ちるのをな」

 自信たっぷりに宣言すると、スニウスは剣を抜いた。同時に左手の顕現が一気に膨れ上がり、彼の全身を飲み込んだ。全身に広がった顕現は、今度はスニウスの頭めがけて収束し、新たな形を作り出した。

 いまや、スニウスの頭部は先ほどまでの人間のものではない。深緑の水がわずかな揺らめきを伴いつつ形成したそれは、熊の頭部だった。

「へえ、熊の獣頭か。しかも結構ましな形じゃねえか。どこで道を踏み外したんだか」

 ディルスのつぶやきにスニウスの怒号が重なった。

「うるさい! これで貴様も終わりだ!」

 大量の顕現がスニウスの剣に流れ込み、剣が深緑に輝く。おそらくは良く使われる「切断」の術だろう。術に対する抵抗力のないただの鋼なら手ごたえもなく二つになる。彼は輝きをまとった剣を振り上げ、そして振り下ろした。

 ディルスの左手に瑠璃の炎が湧き、鞘ごと握っていた剣に絡みつく。そのまま掲げられた剣が、いや、実際には鞘がスニウスの深緑の剣を受け止めていた。

 ディルスは剣の十字鍔に鞘を握った左手の親指を掛け、剣と鞘をまとめて持ったまま、スニウスの剣を受け止めたのだ。

 スニウスが両手で振り下ろした剣を、鞘のまま片手で受け止めるのは、かなりの高等技術である。まして、顕現による強化つきである。スニウスはディルスの技量に驚き、さらにその平然とした表情に慄いた。

 動揺がスニウスの動きを止めた一瞬だった。ディルスは左手の剣でスニウスの剣をはじき、同時に踏み込んでわき腹に蹴りを叩き込んだ。鎧越しなので怪我はないだろうが、スニウスは派手に倒れ、その手から剣が飛んで深緑の光を失った。

 一方、ディルスは表情にはまったく出していないものの、それほど余裕のある状況ではなかった。獣相の損傷による気力の減衰が限界に達しつつあるのだ。獣相が欠けると、体内を流れる五輝の量が激減し、それが気力の減衰を引き起こす。断続的にめまいが襲い、今の対決も必死に残った五輝を活性化してこなしたのだ。

 しかし、彼には計算があった。そして、予想通りのことが起きる。人垣の後ろから馬車の音が聞こえてきたのだ。

「悪ぃ。道を開けてくれ!」

 さっきのディルスと同じような声をかけて一台の馬車が人垣を掻き分けて入ってくる。ディルスたちが見えるところで止まった馬車の荷台に二人の人物が見える。もちろん、声をかけて人垣を割ったのはハーゼルンであり、乗っているのは二人はセランとキューイの二人である。

 馬車が止まり、キューイの補助を受けながらセランが地面に降り立つ。

「残念だったな。スニウス。これでお前の勝ちはなくなった」

「なんだと。そいつら二人が増えた程度で調子に乗るな!」

 その怒号は無視し、ディルスは背中越しに声をかけた。

「先生、後ろは任せていいですね」

「ああ、かまわんぞ」

 そしてセランはため息を一つついて続けた。

「無茶をするなといっても無駄だな」

「ええ、この状況で無理をせずにいられるような甘い覚悟で剣は握っていません」

 キューイは目を見張った。消耗しきった体で術剣士を含む多数の敵と向かい合っているというのに、ディルスには揺らぎが欠片もなかった。恐れることもなければ、無理に自分を奮い立たせようともしない。静かで、落ち着いてさえいる。決意と覚悟をもってまっすぐにスニウスを見つめるディルスの姿は信頼に足る柱のようだった。

「先生、最高位の「切断」を貸してください。今の俺では自力で術が発動できません」

「やはりそれを求めるか。キューイ、彼の覚悟をよく見ておきなさい」

 そう言ってセランは自らの顕現を浮かべた。朱色の雷である。右手の指先で描く図形と低いつぶやき、そして左手の杖から湧き出す顕現が瞬く間に複雑な図形を描き出す。

「バカが! 自分で言いやがった!」

 一方、ディルスの発言に活路を見いだしたのはスニウスである。剣を拾い上げて駆け出す。その剣が深緑の輝きに満たされた。

 しかし、彼の期待は裏切られる。彼の剣を受け止めた鞘には瑠璃の炎が絡み付いていた。

「なんで!?」

「本当にバカだな。この程度はまだ可能に決まってんだろうが」

 そう言ってディルスはスニウスの胸板を蹴飛ばした。スニウスがたたらを踏んで下がったところでセランの術が完成する。

「ありがとうございます。これで、攻撃に出られる」

 ディルスは剣を抜いた。そのまま左手の鞘は投げ捨てて、セランから送られた術の紋様-陣と呼ばれる-を掴み剣にたたきつけた。朱色の輝きを帯びた剣を手にディルスはスニウスを見据えた。

「スニウス。お前は俺を見誤った」

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