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「……樋山」
次の日の休み時間。俺は、樋山のクラスを訪ねた。
教室の出口に立っていると、樋山のクラスメイトが呼んでくれた。
「お、おう……志麻」
明らかにうろたえた素振りを見せる友人に、俺は声をかけた。
「少し、話をできないか?」
「あ……いや~、そのすまなかったな」
「……は?」
さて、どう切り出したものか、迷っていたところに不意打ちの謝罪。
俺は間の抜けた声を漏らす。
「なんで、謝るんだ?」
「え? いや……だって、昨日おまえを騙したようなものだろ。それで、文句を言われるかと思ったんだけどさ……」
『違うのか』と肩を揺らす樋山。
「いや……俺が、怒られるかと思ったんだ」
その言葉に樋山は眉を寄せてから、思い当たったとばかりに、
「ああ……ゆかりのことか」
声をひそめて――昨日、俺が振ってしまった少女の名前を口にした。
意識して、少し身体がこわばる。
「だけど、それは仕方ねえよ」
「……え?」
樋山の言葉は、予想外のものだった。戸惑う俺に構わず、気付かずに続ける。
「だってさ……それは、結局はゆかりと志麻の問題だろ。まあ、お膳立てした俺が言うのもあれだけどさ……」
どちらともなく歩き出し、人目の付かない階段わきに移動していた。
「だけど」
「あん、じゃあ何か?」
樋山が、俺を睨みつける。
「俺に気まずいから、義理立てしてゆかりと付き合うのか? その方が、俺は怒るぜ」
「…………」
「まあ、そういうことだ。ただよ……しばらくは無理だと思うけど、あいつのこと避けないでやってくれ。今までは、それなりに仲良くやってただろ? さすがに……かわいそうだからさ」
そう気遣うように言ってくる樋山は、妹思いの兄の姿だった。
「それは、大丈夫だよ。ただ、彼女の方が辛くないのか?」
想いを伝えて、振られた相手と何事もなかったかのように付き合うなんてこと――
「それは平気。そこまでやわじゃねえよ、ゆかりは。俺と違って、うじうじしてねえから」
「……そうなのか?」
そこまで強そうには、見えなかったけれども――
「ああ」
樋山はそう断言する。俺よりもずっと彼女に近しい、そいつが。妹を兄が。信頼して、そう言葉にする。
その姿が、素直に、心に甘く染み渡る。
「あ……たださ、ゆかりのこと嫌いってわけじゃないだろ?」
不安そうに、付け加える。
「そんなことはないさ」
俺は正直に答えた。
男女を抜きにすれば、素直に好意を抱ける相手であることは間違いない。
「そっか、それはよかった。いや……それなりに大切な妹だからな。おまえに嫌われているとなると、ちっとへこむ」
「彼女は、いい子だと思うよ。俺じゃなかったら――」
言いかけた言葉を飲み込む。
「――樋山?」
樋山の視線の温度が、先ほど以上に下がったからだ。
昔、俺を殴りつけた友人の姿がそこによぎる。
「俺じゃなかったら……何だよ?」
「あ、いや……」
「ゆかりは、おまえだから好きになったんだ。誰でもいいってわけじゃない。だから、そんなことは言うなよ」
その声は、半ば本気で怒っているものだった。
「……悪い」
素直に、俺は謝る。
「ん……いや、いいけどさ」
すぐに、樋山は許してくれた。固い口調が、和らいだ。
「…………」
「…………」
その先の会話は続かない。お互いに適当な言葉が見つからなかった。
居心地の悪い沈黙が、落ちる。
その静寂を破ったのは、始業をつげるチャイムだった。
「あ、やべ」
途端に慌てる樋山。
時間がない。煮え切らないままに、会話が中断させられてしまう。
「おい、早く行こうぜ」
「……あ、ああ」
俺と樋山は、小走りになった。
「おい、志麻」
それぞれの教室への分かれ道で、樋山が声をかけてきた。
「今日の昼は、一緒に食おうな」
「…………」
俺は、少しだけ戸惑ってから――
「ああ、わかった」
そう答えた。
にっと笑う樋山。
つられるように、俺も少しだけ笑った。
「何やってんだ! おまえら、早く教室に入らんか」
その時、絶妙のタイミングで、どこかの教師の怒鳴り声が聞こえてきたのだけど――まあ、聞かなかったことにしておいた。




