プロローグ
――その桜には、伝説がある。
もう、ずっとずっと……何十年も何百年も花を咲かせることのないその桜。
それでも、八年に一度。
雪が舞う中で、たった一日だけ。
心の底から通じ合った恋人同士だけが、咲き誇る桜を見ることができるのだと言う。
そんな話を、彼女から聞いた。
「それで……その桜を見ると何かいいことでもあるのか?」
「ううん、別に」
「つまんねえの。何か願いがひとつでもかなうとか……せめてテストの山でも当たるとか、そういう特典はないわけ?」
「……あのね」
「そもそもさ……そんなことあるわけねえじゃん」
そうやって返した俺に。
「そうだけどさー」
彼女は少し頬を膨らませてから――
「でもさ」
と、微笑んで。
「……本当だとしたら、ちょっと夢があっていいと思わない?」
桜の木の下には死体が埋まっているとか。
桜の花びらは、あの世への入り口だとか。
そういう話よりも、ずっといいと思うよ?
「――そうかあ?」
「そうだよ」
そう言われれば、そうかもしれないと思った。
確かに、悪くはないと思った。
「いつか……一緒に見られるといいね?」
――そう言って、また微笑んだ彼女に。
俺は、なんと答えたのだろう。
どんな返事を返したのだろう。
もう、思い出せない。
記憶は、そこで止まるから。
その先は、覚えていないから。
彼女は、もういない。
一条琴海。
風になびく、ながい黒髪。無邪気だった、その笑顔。
大好きだった恋人。
俺が、本当に大好きだった彼女は、もうこの世界のどこにもいない……。
今回の作品は、それほど怪異描写はありません。前作「むらさきひめ」と多少リンクする予定ですが、未読でも問題ないようにいたします。ちょっとしたお遊びの様な感じにいたします。