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ゆきばな  作者: ハデス
11/14

(――琴海)

 俺の頭の中で、その名前が爆ぜた。

「――っ!」

 俺は、走り出す。

 よぎった疑問とか、不安とか、不審とか、そんなものは何もかも置き去りして、俺は飛び出した。

 腕をつかまれて、俺は引きとめられた。勢いがついていたから、かなりの痛みが腕を駆け抜けた。

「――おい、志麻どうしたんだよ?」 

 俺の腕をつかんだ樋山が、声を上げる。

「離せ! 俺は、行かなくちゃならないんだ……!」

 痛みにもかまわず、俺は声を荒げる。

「行くって、どこへ?」

「帰るんだよ! 実家に……」

 あの公園に。

 あの公園の桜の元へ――

「おい、だけどおまえの実家ってここから無茶苦茶遠いんだろ? 今からで間に合うのかよ?」

 その言葉で、少しは冷静さを取り戻す。

 けれども、その程度のものはすぐに吹き飛んでしまう。

「間に合う、とかそういう問題じゃない! 俺は、行かなくちゃ行けないんだ!」


 ――琴海が、待っているんだ。


 きっと、待っていてくれるんだ。

 そんなありもしないことが、その時の俺には真実だった。

「少しは落ち着けよ!」

「離せよ! 樋山」

「――おい、何をさわいでいるんだ?」

 そこへ、誰かが声をかけてきた。

 小走りに駆け寄ってきたのは、ひとりの教師。

「織本先生」

 と、樋山。

 二十代半ばくらいの、その男性教師は、俺のクラスの担任でもあった。

「まったく、もう遅いんだから早く帰りなさい」

「…………」

 樋山はまだ腕を離さない俺と、教師を見比べてから言った。

「先生、確か先生は車で通ってましたよね?」

「あ? ああ、そうだが……」

「だったら、すいません。志麻を、駅まで送っていってくれませんか?」

「……樋山?」

 その言葉に、俺は意外そうな顔をした。その様子にもういいと思ったのか、俺の腕を離す樋山。

「ん? 志麻は、確か電車通学ではなかったよな。この近くで、独り暮らしだったはずじゃ……」

「先輩、急いで実家に帰る必要があるらしいんです。でも、今からだと遅いし……ここから駅までの時間も惜しいんですよ」

 ゆかりちゃんが、俺と樋山に代わって的確な説明してくれる。

 先生は俺のこと眺め、ほんの少し考えるような素振りをしてから、

「……そうか、わかった。送ってやる」

 駐車場の方角へと歩き出した。

 歩きながら、内ポケットから携帯電話を取り出した。最近流行りの最新式ではなく、古びた青い携帯電話だった。

「あ、なつみ? ん……悪い。今日ちょっと用事があってさ。少し、遅くなりそうだ」

 電話の相手は、奥さんだろうか。

「……樋山。ゆかりちゃん」

 俺は、ふたりに向き直る。ふたりは笑って、

「ほら、早く行けよ。急ぐんだろ」

「それじゃあ、先輩」

 ――そう言ってくれた。

 きっと、事情もわからいままに。


     ◇ 


「ほら」

 助手席に乗るやいなや、先生に何かを放られた。

 分厚い本。それは、電車の時刻表だった。

「え?」

「電車の時間、確認しとけ」

 困惑する俺にそれだけ言うと、すぐに車を走らせる。

「え~と、八時三十七分の普通が……」

「それだと朱鞠に着くのは九時前後か。都合よく乗り換えはあるか?」

 冷静に状況を把握して、問いかけてくる。

「八時五十五分……」

 それは、間に合わない。

 「――次は、九時三十分」

 三十分以上も乗り換えの時間があった。

 その時間は大きい。俺は唇を噛んだ。

「よし、それじゃあ直接朱鞠に行ってやる。それだったら、九時前に間に合うだろう」

 そう言って、先生は右折した。

「え? その……いいんですか」

 すぐ近くの枡崎駅だったらともかく、朱鞠までとなるとかなり面倒なはずだ。

「だって、それ逃がしたら今日中につかないかもしれないぞ?」

 それは、そうだろうけど――

「…………いいんですか?」

「ごちゃごちゃ言ってるな。大切な用事なんだろ?」

 俺の遠慮を、あっさりと切って捨てる。

「おまえの顔色を見れば、わかる」

「…………」

「そうだ」

 ふと、思い当たったと声を上げる。

「おまえ、金はあるのか?」

「……あ」

 俺の実家までとなると、電車代もそれなりにかかる。

 そこまで気が回らなかった。慌てて財布を確認する。基本的に金を持ち歩かない性格が、裏目に出た。

 千円札が数枚。他にいくらかの小銭もあるだろうけど、心もとない。

「すいません、一度アパートに」

 けれど、それは致命的なタイムロスだ。

 先生は器用に片手で財布を取り出した。

「ほら」

 今度は、それを放ってよこす。

「先生?」

 さすがに、そこまでは頼れないと思った。だけど、俺がそう口にする前に――

「馬鹿、全部じゃないぞ? とりあえず一枚もあれば足りるだろ。あ! やるわけじゃない。貸すだけだからな」

 念を押しながら、今度は左折。

「でも……」

「わざわざ駅まで送って、電車代ありませんでした、だったら間抜けすぎるだろうが」

「…………先生」 

「まあ、生徒に頼られるというのは悪くない。おとなしく頼っとけ」

「……ありがとうございます」

 俺は言葉に甘えて、一万円札を一枚借りることにした。


      ◇


 朱鞠駅に着いたのは、八時四十五分。

 まだ充分に間に合う。

 俺は先生に頭を下げて、せめてものお礼ということで手元に残っていた缶コーヒーを押し付けた。

 とりあえず適当に切符を買って、ホームに向かう。後で差額は精算すればいい。

 電車が来るまでは五分ほど時間があった。

 気が付いたら、喉がからからだった。自動販売機でジュースを一本買う。

 俺は――

 何を、しているんだろう。

 電車に乗り込み、少し落ち着いてきた俺は自問する。

 自分のとった行動。これからとる行動。

 それが、常識から考えれば、どれだけ馬鹿馬鹿しいことか――。

 それでも、心に刻み込まれた予感にも似た想い。そのざわめきが、消えはしない。

 先日出会った、不可思議な少女。

 ずっと前に、恋人から聞いた噂話。

 胸によぎるそれらが、どうしようもなく俺を揺り動かして収まらない。

 沸き立つ焦燥も、どうしようもないもどかしさも。

 ただ電車の進行に任せている今は、どうしようもない。

 今は、目的地に少しでも近付いていることを自分に言い聞かせながら――


「……琴海」

 その名前をつぶやくことしかできなかった。


      ◇



「は……はあっ」

 咲楽駅に着いた時には、すでに十一時近くだった。目的地となる公園は、ここからまだ遠い。

 バスなんて、もう出ているわけがないし。うまくタクシーがつかまるか。いや、つかまったとしてももう運賃を払うだけの余裕はない。

 ここから自宅まで駆けて行って、父さんに車を出してもらおうか。

 でも、こんな夜中にいきなり押しかけて、うまく説得なんてできるのか――

 考えをめぐらしながら、俺は息を切りながら改札を飛び出した。

「――友成」

 その瞬間、だった。

 俺を呼び止める声が、あった。

 聞き覚えがある声。

 何度も温かく、俺を包み込んでくれた声。

(……そんな)

 ありえない。

 そんなの、都合がよすぎる。

 あまりにも出来すぎている。


 駅前に車を止めて、そこにいたのは――

「……父さん」

 

 確かに。

 俺の、父だった。


 織本先生、奥さんの、なつみさん。

 むらさきひめを読んでくださった方、ありがとうございます。


 そろそろ完結いたします。

 ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

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