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紅き深淵の魔女  作者: 白毬りりま
彼女が約束を想い出すまで
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4-3.花歌の月28日

「本日は実際に『命令』を体験して貰おうと思う。本来ならば大変お忙しい筈の団長殿が、わざわざ、お前たちの講義のために、ご協力をして下さると仰るからな。遠慮容赦せずに魔法をぶっ放て」


 台詞にかなり皮肉が含まれている気がするが、彼女に頼られることなど滅多にないことなので、ルーカスは気にしないことにした。剣をリーティアに預け、中庭の中央に出る。見習い騎士たちは緊張の面持ちで、この国の第2王子でもある団長と向かい合った。


 魔法は修め始めたばかりの見習い魔法騎士と言えど、彼らは上司相手に魔法を使うことに躊躇いを覚えた。本当に魔法を放ってもよいのかと、伺うようにルーカスを見る。

 リーティアの訓練に付き合ったこともあるため、ルーカスにとってすれば彼らの攻撃など、正直なところ、全く以って痛くも痒くもない。


「安心しろ。リーティアの本気で殺気の籠った攻撃魔法ならまだしも、お前たちの魔法ならそう労せずにして簡単に相殺できる」

「元々この訓練は、いざという時にお前たちが対人戦闘ができるように行うものだ。魔法は人を傷付ける力になり得るが、使い方によってはそうでないこともある。だがいざ魔法が必要になって時に、人に対して実際に魔法を施行できる、できないは訓練次第だ。今日はその第1歩である。此奴は動かずして、攻撃を捌くといってもただ魔法に命じるだけだ。弓の射撃訓練と同じように、格好の的がいるとでも思えばいいさ」

「……リーティアよ、去年もそんなことを考えてたのか?」

「いや、去年があったからこそ、今年はそう思うだけだ」


 経験は生かしてこそだ。白々しくもそう宣うリーティアに、見習いたちは余計に困ったような顔をする。


 ふむ。一向に動こうとしない見習いたちに業を煮やしたリーティアは、無言でルーカスの剣を抜いた。何度か感触を確かめるように振り回していたが、そのまま軽い動作で白刃を振り下ろした。

 剣身が淡く光を放つ。一瞬にして起こった灼熱の火焔が、真紅に燃え上がった。焔は一条の光の矢となって、真っ直ぐにルーカスに迫る。

 矢がルーカスを貫くと思った見習いたちは、思わずを呑んだ。彼が黒焦げになる様を想像し、ある者は目を瞑り、ある者は悲鳴を上げる。


 だが————


「《失せろ》」


 たった一言。澄んだ音を立てて、唐突に焔が消え失せる。僅かに熱風が金の髪を揺らすだけで、ルーカス自身は火傷のひとつさえも負っていない。

 リーティアの————本気ではないとはいえ、そこそこ威力ある————魔法でも傷一つない様を見てとり、見習いたちは歓声を上げた。

 危険がないことを理解したのだろう。最初に歩み出て来たのはベルガだった。


「よろしくお願いします!」


 声を張り上げてそう言った彼は、詠唱を経て魔法式を組み上げると、ルーカス目掛けて魔法を放つ。先程リーティアの放ったものよりも大分規模の小さな炎の矢だが、当たればただでは済まない。


「《転化》」


 ベルガの炎が突然空中で静止した。矢の形を取っていた炎は渦を巻き、勢いを増して空駆ける天馬と化した。悠然と空を舞い燃え盛る鬣を揺らす天馬に、見習いたちははしゃいだ声を上げた。


《————あの野郎、遊んでいるのか?》


 不意に聴こえてきた、男の声。不機嫌さを隠そうともしない声に、リーティアは苦笑した。ちらりと、何もいなかった筈の空間を見上げる。


「最近はこのような対魔法使いの訓練機会も少なくなっていたしな、奴にとってもいい練習になる筈だ」


 団長になってから責任が増え、肉体労働だけでなく書類仕事も増えた彼の近頃に、いい気晴らしになるのではと、リーティアはそう考えたのだった。でなくば仕事が滞ると、複数方面から苦情が来たのもあったが。


《ジルはどうしたんだ。彼奴も目付け役だろう》

「彼も今は一部隊の隊長だ。私よりも立場が上で……色々と責任も多く忙しいんだ」

《ほーぅ?》


 声に不機嫌さが増す。隣で揺らぐ陽炎に、リーティアは目を眇めた。


「いい歳した精霊が、魔力が漏れているぞ」

《ふん、俺たちの主人に面倒を押し付けやがって……ちょっとジルに文句言ってくる》

「私も好きでやっているんだし、仕事の邪魔はするなよ」

《レティに叱られない程度には善処する》


 隣から気配が消える。

 リーティアは嘆息を漏らすと、講義の方に視線を戻した。魔法を繰り出している見習いたちと、彼らの魔法を面白いように変化させているルーカスの姿がある。気が付くと縦横無尽に炎の獣たちが辺りを漂っていた。狭い中庭という空間でたくさんの火が集まっているためか、熱気が凄い。


「それにしても、何故、火属性ばかりなんだ……?」


 確か水も風も土も、ちゃんと基礎は教えた筈なんだが。リーティアは腕を組んで唸る。

 確かに火は魔法を使わずとも摩擦させるだけで起こり、適度に風を送れば威力も上がるが、火だけに特化することは魔法騎士になるものとしてはどうかと思う。もし相手が水に属していたのならば不利になり、何よりも雨天時など殆ど役に立たなくなる。

 それに。


「…………」


 本音を言うと……暑くて暑くて堪らなかった。頬を伝う汗に、リーティアは浅い息を漏らした。


「ううう……とけてしまいそう」


 彼女たちが今いる空間は、そう広くはない。おまけに周りは建物に囲まれていて、空気の籠り易いところだ。

 訓練場ならまだしも、中庭を選んだのは失敗だったかもしれない。段々と意識がぼんやりとしてきた。視界も霞んできたが、これが熱気によるものがどうかわからない。

 そもそもこの日の講義は、人間に対して魔法を使用することに慣れるために行っているのであって、別にどのような魔法を使おうが見習いの勝手である、という本来の目的を、リーティアは認識できなくなってきていた。足元がふらふらとして……なんだかきもちわるい。


「————うわぁっ!?」

「………………ぅ?」


 朦朧とした意識の中、悲鳴じみた声が聴こえる。

 魔力の注ぎ加減を誤ったのか、魔法式が成立しなくなったようだ。他の者の熱気に誘発されたことも大きいだろう、近くにいた者たちを煤塗れにし、弾けた火の粉が近くの枝に燃え移る。

 わたわたと狼狽える見習いたちの中を、リーティアはふらふらと覚束ない足取りで進む。

 最早魔法の域を超えた現象に、『命令』することのできないルーカスは静観することしかできない。傍らの紅い旋毛を見下ろすと、それなりに反省の色が漂っていた。


「今年も小火か。ちゃんと始末書を書けよ」

「…………面目ない」


 項垂れつつ、リーティアは消火の為に命令式を組んだ。彼女の意に反応して、離れていた水霊たちが集まってくる。

 何と無しにその命令式を眺めていたルーカスは、式の揺らぎに気が付いた。いつもは完璧な————それこそ完全無欠の繊細極まりない硝子細工のような命令式に、歪みが生じている。リーティアはそれに気付いていないようで、何処か虚ろな瞳で魔法を繰り出そうとしていた。


「……気分でも悪いのか?」


 不意に思い出すのは、幼い頃、嫌という程にまで繰り返し繰り返し言われてきた言葉。事ある毎に、セレーリアに言い聞かせられた言葉。


『不完全な構成式は、どのような現象を起こすのか、全く見当がつかない。その属性の精霊が応えることもあれば、誤って他の属性の精霊が反応することもある。だから魔法を使う時、魔法に干渉する時、十分に気を付けなさい————』


「リーティア、魔法を中断しろ! 式が不十分だ!」

「え――――?」


 リーティアは呆けた声を漏らした。その瞬間、焔を相殺するために展開されかけていた水の帳が――――命令式が、音を立てて崩れる。

 不意によく回らない頭の中に、暦が思い浮かんだ。


「――――まずい」


 不完全な命令式に、制御の効かない膨大な魔力が流れ――――次の瞬間、リーティアとルーカスの上に、いつくもの桶の水を一度にひっくり返したかのような水塊が落ちて来た。


「っはあっ!?」

「ぷはっ!」


 流されそうになっていたリーティアを慌てて抱き寄せ、ルーカスは水に干渉する。


「《失せろ》!」


 先程よりも強い声音に、激流は弾けて消える。残った飛沫がきらきらと日の光を受けて煌くが、誰も見惚れている余裕などない。

 水圧に負けて溺れかかっていたリーティアは、ぐっしょりと濡れそぼって咽ていた。辛そうに呼吸を繰り返している。

 見習い騎士たちは離れたところに立っていたためか、直撃は免れたようだ。制服が濡れてしまっているが、大した被害はない。

 ルーカスは荒い呼吸を繰り返す小さな背を撫でる。


「大丈夫か?」

「だい、じょ…っぶ……」

「全然大丈夫じゃないな」


 げほげほと咽ている彼女の、冷えた小柄な身体には力が全く入っていなかった。彼の腕を掴んで漸く立っていると状況の彼女を、ルーカスは軽々と抱き上げた。濡れそぼった前髪が鬱陶しくって、適当に掻き上げる。


 ちょうどその時、昼を知らせる鐘が鳴った。


「今日の講義はこれで終了だろう。もう部屋に戻って休め」

「…………あしたの、じゅんび、が……」

「これは命令だ。休め」


 リーティアはそれでも何か言い募ろうとしたが、鋭い紫の眼差しに押し黙った。息を吐き、上手く動かない四肢を彼に預ける。


 朦朧としていた意識が、いよいよ闇の中に沈んで行く。





 彼女が約束を想い出すまで あと266日




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