3-4.花歌の月15日
*2015/07/15 改稿.
ルーカスは人望の厚い王子だ。幼少時から講義や鍛錬の合間にひょいひょいと城を抜け出しては街に溶け込んでいたため、民にしてみれば最も親しみ深い王族だった。
その都度、街に繰り出していた彼を連れ戻すために、周りの者は奔走する羽目になっていたが。
「殿下じゃないですか!」
平民に扮した第2王子の姿に、お祭り騒ぎで舞い上がっている民がわらわらと集まってくる。
「どうです? 一緒に呑みませんか?」
「いや、リーティアと一緒だから遠慮しておく」
聞きなれない女の名に、皆一様に首を傾げる。何処かの令嬢かと視線を巡らせ、うちひとりが異様な美しさを持つ少女の姿に気付いて……固まる。
気付かれた。ルーカスの陰に隠れ、意図的に気配を薄くしていたリーティアは顔を強張らせた。無意識的に踵を返そうとし、それよりも先に紫の双眸に射抜かれ、地面に足を縫い留められる。
「リーティア」
手を強く握られてしまっては、転移命令式を組もうとしてもすぐに気付かれてしまう。逃げることも離れることもできず、リーティアは渋々彼の斜め後ろに立った。
鮮烈な真紅の髪に、宝玉の煌きを持つ碧眼。滅多に目にすることのない魔女の姿に、好奇と畏怖の視線が集まる。特に突き刺さってくる年若い少女たちの、侮蔑の視線が痛い。
そんななか彼は何の躊躇いもなく細い腰に手を回し、華奢な四肢を抱き寄せた。ぱっと白皙の頬に朱が散る。
「ほら行くぞ」
離れないように、指を絡めるように手を繋がれる。呆気に取られる民を尻目に、リーティアは周りに聞こえない程度の声で抗議の呻り声をあげる。
「私は護衛だろう? 別に並ぶ必要はなかろうに」
「は? 休暇まで引っ張り出して、可愛い幼馴染に護衛をさせるような俺じゃないぞ」
「え、違うの?」
思わずと言った風情で、紅い唇から本音が漏れる。指を口元に添えて思案する彼女に、ルーカスは立ち止まった。
「誰が何時、そんなことを言った?」
「この間、貴様が講義中に乱入して来た時に、私は『護衛なのか』と訊いた。するとお前はジルは忙しいと言ったから、てっきり私がお前のお守りをするのかと」
「ああ、あれか。俺は肯定してない」
「否定もしていない」
「…………」
そう言えば、彼女は妙な所で純粋だった。
頭の痛い思いで、ルーカスは彼女の手を握り直した。目を離すと、その純粋さが、彼女を勝手に何処かに連れて行ってしまうような気がして。
逸れないように繋がれた手。リーティアはぼそりと皮肉げに呟いた。
「酔狂で魔女を連れて歩くなど…………正気を疑う」
「何故? 昔はよく並んで歩いていただろう」
むっとしてリーティアは反射的に言い返す。同時に白い光が脳裏に閃く。
「だって、あの頃の私は————わたし、は……?」
私は――――どうした。あの頃とは、一体何時のことだ。
ぽっかりと空いた空白に、リーティアは立ち止まった。瞬きもせずに呆然と動きを停める少女に違和感を覚え、ルーカスも足を停める。
「どうした?」
「わたし…………いままでにお前と祭りにきたことある……?」
「はあ? 何を言っているんだ。あの時のお前はもう7つの」
胡乱げに聞き返し――――ルーカスは不意に舌打ちした。驚くリーティアの前で、無造作に前髪を掻き上げる。
「……お前、祭りの後にはしゃぎ過ぎて熱出して打っ倒れたから、よく覚えてないんだろ」
「そう、なのか?」
「そうそう」
投げやりな返答に、リーティアはぱちぱちと目を瞬かせた。彼の前に回り込み、紫の双眸を覗き込む。
「何を怒っているんだ?」
「誰が怒っている?」
「お前が」
何か気に喰わなかったり腹立たしいことがあると、お前はよくそうやって無造作に髪を掻き上げる。そう指摘すると、彼はばつの悪そうな顔をした。
「怒ってない」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「怒っていないというのなら、何故機嫌が悪いんだ。私が何かしたか?」
「店主、これひとつ」
「こらっ、話を――――はむっ?」
口の中にクリームと果実を挟んだ焼き菓子を押し込められ、リーティアは咄嗟にそれを咀嚼する。
滑らかなクリームが舌に触れ、甘酸っぱい果実の香りが口いっぱいに広がる。普段あまり食べることのない、素朴な食材のそのものに近い味付けだが、これはこれで美味しい。
もきゅもきゅと頬をいっぱいにするリーティアに、ルーカスはご満悦のようだ。
「今日は存分に遊ぶぞ」
高らかに宣言する彼に、リーティアはむっと口を尖らせた。都合の良いようにはぐらかされたような気がする。
だがその時ルーカスは、期待を膨らませる子どものように碧い瞳が輝く様を、確かに見た。
最初は強引に連れられて街中を歩き回っていたリーティアだが、祭りを楽しんでいる自分に気付いて目を瞬かせた。綻んでいる頬を押さえる。
久し振りに…………笑ったような気がする。
だが大抵は食べていたような気もする。その事実に気付いてずーんと気分が下降したリーティアは、己の腹に手を添えた。
「…………これ以上太ったらどうしよう」
とても小さな呟きだったが、ルーカスには聞こえてしまっていたようだ。彼はふむ? とリーティアの四肢を見下ろす。
「多少なりと運動しているから問題ないだろ。今日も歩き回ったし。寧ろもう少し柔らかくても」
「貴様の好みなど知らぬ」
ルーカスの言葉を斬って捨て、リーティアは溜息を吐いた。こめかみを押さえる。
「どうして此奴と幼馴染なのか……」
「何か問題でもあるのか?」
「ありそうでないから嫌なんだ」
そう言うと、ルーカスは嬉しそうに微笑していた。笑みの理由のわからないリーティアは首を傾げる。
だがその疑問は、微かに届いた声によってすぐさま霧散した。
「――――放して……っ!」
悲鳴じみたか細い声。恐怖を孕んだ声に、リーティアは弾かれたように貌を上げた。
賑わう雑踏の向こう。魔女の人並み外れた聴力でなければ、決して声の届くことのなかったであろう距離。人気の少ない離れた場所で、暗い色のローブを纏ったまだ麗若い少女が、あまり素行の善くはなさそうな男ふたりによって、裏道へと強引に連れ込まれようとしていた。うち片方が少女の手首を掴んでいるのを認め、リーティアは忌々しげに端正な貌を顰める。
「ルーカス、あれ」
「ん? ……ああ、毎年毎年飽きずに湧くな」
祭りの陽気に中てられて、毎年碌でも無い事件が多少に起こる。ちょっとした喧嘩ならまだいい。酷い時には、恐喝や強盗にまで発展することがある。また騒ぎに乗じて、誘拐事件が起こることもあった。
そして女子どもや魔法使いは、その最もな対象であった。
それら事件を取り締まり、未然に防ぐのが、ギルフィア騎士団の役目。
風もなく、真紅の髪が揺れる。彼女の纏う空気が、冷たく研ぎ澄まされていく。
俄かに殺気立つ彼女と自分の心境はそう変わらないであろうと、ルーカスは薄く笑う。
「責任は取ろう。あまり大事にはするな」
「――――了解」
隣にあった彼女の姿が消える。ほぼ同時に男たちに囲まれていた少女の前に、真紅の髪が翻った。
突然現れた異様な美しさを持つ少女に、男たちは虚を突かれたようだ。
「なんだ? お前、今何処から現れた?」
「彼女は困っているだろう。今なら見逃してやっても構わない。疾くと失せよ」
偉そうな物言いの彼女に最初は戸惑いも露わだった男たちだが、麗しい容姿に惹かれたようだ。にたにたと卑下た笑いを浮かべる。
「綺麗な娘だな。珍しい髪色だし、お前も魔法使いか?」
「なあ、こいつも連れて行かないか? 凄い美人だし、いい値になるだろ」
下心以って伸ばされた手。魔法使いに対する侮蔑を隠しもしない彼らに、何の感情もなく、リーティアは冷たく払い退けた。物陰でも鮮やかな琥珀の双眸を潤ませる少女を一瞥し、碧い瞳が煌々と輝く。
「私は魔法使いではない――――『紅き深淵の魔女』だ」
詠唱もなく小さく弾ける紅い閃光。彼女の周りで冷やされた水蒸気が凝縮され、氷の飛礫となって煌いている。
薔薇色の唇から覗く鋭い犬歯に、男たちは短い悲鳴を上げた。
「き、騎士団の魔女……!」
男は少女を突き飛ばし、裏通りへと逃げていく。咄嗟に少女を受け止めたリーティアは、すっと自分の中で何かが冷えていくのを感じた。脚力を魔力で補助し、迷わず彼らを追いかける。
裏道はそこここに荷物が置かれていて、通り難いことこの上ない。リーティアは騎士の中では身軽な性質だが、普段引き籠っている彼女に比べ、地理の利は彼らの方にあるだろう。
ならばと、リーティアは素早くワンピースの下に隠していた投擲矢を、男たち目掛けて投げる。
命令式の刻まれた銀色の矢は2本。真紅の光を纏い、男たちに迫る。
捕縛の意味の込められた命令式は、対象に触れた瞬間に発動する仕組みだ。矢に込められた魔法は、相手の四肢を拘束し、動きを阻害する。
けれども、うち1本は真っ直ぐに男の脇腹に刺さったが、もう1本は皮膚を掠めただけで足止めには及ばなかった。地面に着弾し、紅い光が弾ける。硝子の砕けるような音が辺りに響き渡った。
舌打ちをし、リーティアは新たに矢を構える。
だがその矢は、後ろから伸びて来た手により取り上げられた。銀の光が空を切り裂く。
「え――――?」
「――――ぃだっ!?」
今まさに積み上げられていた木箱を乗り越えようとしていた男は、足を射られてその場に崩れた。紅い魔法の帯が男の手足に纏わり付き、躓いた木箱が派手な音を立てて崩れる。
リーティアは呆然と傍らの男を見上げた。
何時の間に追いついて来たのか、男に矢を命中させたルーカスは飄々として立っていた。彼は腰を抜かしている男に向けて、凄味を利かせる。
「魔法使いに対する奴隷行為、或いはそれに準ずる行為は規律違反だ。まあ、人攫いは人間相手でも当然刑罰に処されるが」
これに懲りたら、2度と魔法使いに手を出さないことだな。
怒った時のルーカスは、無駄に面差しが整っていることも相まって、同じ騎士であり魔女であるリーティアにとっても恐ろしいと感じさせるものだ。男たちはかたかたと震えながら、何度も頷いている。
「面倒だし、眠らせておけ」
「あ、うん…………いや、もう意識はないようなのだが」
「うん?」
見ると確かに、男たちは失神しているようだ。恐怖の限界とでも言ったところだろう。
「根性のない奴らだな。最初からこんなことしなければよかったのに」
「根性がないからこそ、このようなことをするのではないか? それよりもあの娘はどうした。適当に置いて来た訳ではなかろうな」
「あ、忘れてた。もう家に帰ったんじゃないか?」
「…………最低」
リーティアはじとっと睨み上げるが、彼は何処吹く風で明後日の方角へと視線を逸らす。腹立たしいのでぺしぺしと背中を叩いておいた。
気が済むと、彼女は投擲した矢を回収した。捕縛魔法はそのままに、男の足から矢を抜き、治療を施してやる。
「…………」
相手は素早かったが、絶対に当てる自信があった。だが自分の矢は男には届かなかった。
だというのに後から現れた彼は、的確に足を狙って見せたのだ。
「遠距離攻撃は得意だったのに……」
悔しげに唇を噛むリーティアに、ルーカスはぎょっとした。
「噛むな! 血が出てるぞ!」
「うう……腕が鈍った……」
「ほら、落ち着け。また鍛え直せばいいだろ?」
「貴様に負けたことがこの上なく屈辱的だ……!」
「あー、うん。それは仕方ない。お前に負けるわけにはいかない」
悔しい。人間の彼に負けたことが悔しい。
だが悔しさの原因は、決してそれだけではなかった。魔法使いであろう少女の声と、隠されることのなかった蔑みの眼差し。ぐるぐると昏く濁った感情が渦を巻き、外に飛び出そうと荒れ狂う。
感情を抑えようと、彼女は唸り続ける。魔女の鋭い牙が皮膚を破り、唇を紅く濡らす様に、ルーカスは痛ましげに眉根を顰めた。無理矢理口を開かせようと手を伸ばしたら、碧の瞳を大きく揺らして噛み付いて来た。
「ううぅ……っ」
「…………」
彼女が自虐しなくなったのはいいが、意外と痛かった。
爆発が起こったと近隣住民から通報を受けてやって来た騎士は、暗雲を背負ってえぐづく同僚の魔女とそんな彼女に手を噛ませている上司、そして失神した男ふたりと野次馬という、混沌とした状況に出くわすこととなった。