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紅き深淵の魔女  作者: 白毬りりま
彼女が約束を想い出すまで
11/55

3-3.花歌の月15日

*2015/05/08 改稿.

 他の騎士に比べて体力のないリーティアは、暮れの10:00には床に入ることを自分に課している。だがこの日は悶々と考え込んでいる内に、何時の間にかまた寝入ってしまっていたようで、起きると明けの9:00を少し過ぎた頃だった。


「寝坊した……っ!」


 似たようなことを、ついこの間も仕出かしたというのに。慌てて寝癖の付いた髪を直し、寝衣を脱ぐ。

 下着姿で部屋を横断する彼女の目に、壁にかけられた白いドレスが入った。ふっと動きを停め、リーティアはドレスを見つめる。


 昨夜遅くまで着ていくかどうかを悩んでいた、可憐な白いドレス。丈が膝程までしかなく、頭のお堅い貴族の連中が見れば足を晒すなんてはしたないと騒ぐだろうが、手触りのよい上質な薄絹でできている。繊細なレースを重ねた裾や袖口が美しく、色を添えるように幾筋もの細い薄紅のリボンの装飾が絶妙に配された上品な代物だ。


 成人した時に師である『白き静寂の魔女』から贈られたものだが、着る機会がなかったためまだ一度も手を通したことがない。襟ぐりが広いので、肩まで剥き出しになるのが恥ずかしいという思いも、少なからずあった。

 何やら『祝福』の魔法がかかっているらしく、貰った頃から何十年、或いは何百年経とうとも劣化することはないだろうが……


「……やっぱりやめよう」


 魔女が着飾って何になるのか。ただただ悪目立ちするだけだ。

 深く溜め息を吐き、深い色のチュニックを取り出す。髪に無造作に櫛を入れ、見た者に与える印象が薄くなるように魔法をかける。


 最後に宝石箱から銀の飾りを取り出した。一粒の紅玉の煌くそれは、魔法の補助のためにリーティアが作ったものだ。普段は腕輪として手首を飾っていたため、彼女の魔力を帯びている。

 煌く紅い宝石は、白い肌の上でよく映える。石に籠めてあるのはちょっとした防御結界の命令式だが、街中で早々剣を揮えないため、気分的に無いよりはましだろう。


 机の上のミュエルが構って欲しくって鳴いているが、そんな時間もない。脱ぎ捨てられた寝衣を回収してくれていたレティアーミュにミュエルの世話を頼み、鏡の前で一応の身嗜みを確かめる。


 そうこうしている内に待ち合わせ時間が近付いて来て、リーティアは待ち合わせ場所に急いだ。





 祭りの日でも、騎士の仕事はなくはない。


「――――朗報だっ!!」


 詰め所に勤めていた騎士たちは、急き切って飛び込んできた同僚の姿に目を丸くした。


「どうしたんだ、そんなに慌てて」

「今日リーティが団長と出かけるんだと!」

「それは本当かっ!?」

「見習い共からの確かな話だ」

「見守り続けて幾星霜。遂にふたりの仲に進展が……!」


 団長であるルーカスが、妹弟子のリーティアに好意を抱いている。あからさまに表に出そうとはしないが、ぎりぎりを確かめるように、彼女に触れている。

 それは周囲の知るところで、下手にリーティアに下心を抱こうものなら明日はないと言うのは、彼女が入団した年からの騎士団における暗黙の了解であった。

 オーガストが一団員であった頃からの騎士たちは、他に何か思うところがあるようで、何も知らない若者に対し、彼女に近付かないように度々牽制している。


 上司の複雑な愛情表現を知る騎士たちは、鈍過ぎるリーティアが今日こそはたくさんのことに気付くことを祈るばかりだ。傲岸で不遜で言葉の端々に棘のある高圧的で尊大な物言いをしようとも、可愛い可愛い妹分。幸せになって欲しいのは、騎士全員の想いである。


 感極まって言葉が出なかった彼らだが、ふと視界の隅に鈍い真紅の煌きを認めてそちらに目をやり――――別の意味で無言になった。

 その間にも煌く真紅の髪はくすみを増し、ただの赤毛に変わる。丈や裾が長く飾り気のない簡素な濃紺のチュニックに、同色のリボンで無造作に編まれた赤毛を纏め、枯葉色の編み上げ靴を履いたリーティアは慌てた様子で駆けて行く。


「………………団長と出かけるんだよな。何あの色気の欠片もない恰好」

「彩花の祭りだぜ? あれが歳頃の少女の恰好か? 化粧すらしてない」

「いや、リーティは化粧の必要はない。そこは問題にしなくてもいいだろう」

「俺、普段の格好の方がまだマシに見えたぞ」


 肩を寄せ合って、騎士たちは真剣に議論を交わす。彼らは至極真面目なのだが、ここに女性騎士が現れようなものなら、むさ苦しいと一蹴されるところだろう。幸いなことに、今は出払っていなかった。


「もしかして、団長の護衛か何かだと思っているとか……?」


 騎士のひとりが戦々恐々とした面持ちで言った言葉に、誰もがはっとする。


「…………」

「………………」


 騎士団の団長だが、ルーカスは一国の王子だ。好からぬことを考えている輩が……まあ、いなくもない。権力争いに心血を注ぐ貴族の中には、未だに切れ者の王太子ウィリアムでなく、まだ御し易いのではないかとルーカスを推す者がいるくらいなのだ。実際は全く以ってそうではなく、ルーカスはルーカスで扱い辛い存在だというのに。


 ちなみに「一度逆鱗に触れてしまうと完膚なきまでに叩きのめされるってことを知らない愚者共は、ある意味幸せなのかもしれないなぁ」とは、先輩騎士の言である。


 剣の実力で言えばルーカスの方が上だが、妙に律儀で正義感の強いリーティアなら、護衛なら仕方ないと思っているかもしれない。

 しれないが。


「……ま、大丈夫だろ」

「そうだな」


 彼らはただ、今日一日が平和に終わることを祈りながら業務に励むのみだ。





「済まない! 待たせてしまったか?」


 城の通行門で立っていたルーカスは、待ち合わせている少女の声に視線を向けた。

 向けて――――つい先程の騎士たちと同じ類の渋面を浮かべた。


「そんなことはないが……何ともまあ色気のない姿で」

「……悪かったな」

「顔も少し変えてるし」


 ルーカスも簡素な平服に身を包んでいるが、リーティアの恰好はその上を行くものだった。

 国内で一、二を争う美貌の、しかもまだ誕生して20年も経っていない本当の意味で若い盛りの魔女が、何故こんな地味な恰好をしているんだ。


「本当に15、6の娘か?」

「何が言いたいんだ?」

「実は500年近く生きて、なんか色々枯れかけたりしているセレーリアだったりしないよな?」

「お前、寝首をかかれるぞ」


 ルーカスは頭を抱えると、徐に彼女の手を取った。


「予定変更」

「予定?」


 有無を言わさずにきょとんとするリーティアの手を引いて城の外に出ると、ルーカスは近くの服飾店に入り商品を物色した。王子の来店に浮足立つ店員や他の客たちを尻目に、1着のワンピースを手に取ると、リーティアに差し出す。


「これに着替えろ」

「はあ?」


 ルーカスはワンピースを押し付けるように渡すと、リーティアを奥の試着室に押し込む。


「こ、こらっ」

「いいからそれに着替えろ。上官命令だ」

「職権乱用だ。訴えるぞ」

「その時はその時だ、揉み消してやる」


 じとっと睨み上げるが、彼は飄々と笑うのみだ。それどころか、ワンピースに合うように靴やら髪飾りやらまで持ってくる。

 このようなくすんだ赤毛に、それら似合うとは思えない。そもそも魔女が着飾って何になるというのか。他の客の嫉妬や蔑みの視線が痛い。そんな本音を押し隠して、リーティアは高い位置にある彼の顔を睨み付ける。


「寝言は寝て言うがいい」


 端的な言葉にルーカスは僅かに首を傾げ、ひとつに編まれた赤毛を手に取った。艶のない髪を留めている濃紺のリボンに指を掛ける。


「《解除》」


 たった一言。されど一言。リボンが解け、姿を偽るために自身にかけていた魔法の全てが解けた。赤毛からはくすみがなくなり、澄んだ真紅に。何処かぼんやりとした印象に残らない面差しは、鮮烈な美貌に。

 程なくしてリーティアは魔女としての本来の姿を取り戻していた。


「折角の魔法が……」


 恨めしげに見上げても、彼は着替えろの一点張りだ。

 もう着替えたように見えるように、自分に幻影魔法をかけてしまおうか。命令式を組み立てようとした右手は、しかし大きな手に掴まれて阻まれる。


「ひとりでできないなら手伝うぞ」

「っ、できるもんっ!」


 勢いよく試着室の扉を閉めると、小さな笑い声が聞こえてきた。からかわれたことに対する腹立たしさと、無意識に子どもの様な言動を出てしまった羞恥心に、魔力が漏れて弾ける。


「むかつく……!」


 だがリーティアの中に、逃亡の言葉はない。そのようなことをするくらいならば闘うのが、ユフィーノに生まれた騎士の信条だ。

 憤然として濃紺のチュニックを脱ぎ、渡されたワンピースを掲げる。


「……このような恰好は久々だわ」


 さりげなく胸元に白い清楚なレースの施された、膝丈の柔らかな薄紅のワンピースに、髪を飾るのは揃いのリボン。同様にレースが施されている薄紅の靴は華奢で、歩く度に澄んだ音を立てる。

 普段は近付き難くさえ見える彼女の美貌を、可憐に引き立てる春めいたそれらは、彩花の祭りにぴったり。

 真紅の髪は元々波打っているのだが、編んでいたためか、いつもよりも強めに巻かれているようだ。リボンを絡ませると、女性らしさが際立ったような気がした。


 すっかりと着替えを終え、姿見と向き直る。

 鏡の中に映る自分は綺麗に飾り立てられていて、普段の姿からは微塵も想像がつかない。

 嵌まり過ぎているルーカスの見立てに、姿見の前のリーティアは内心複雑だ。髪を一筋手に取り、口を尖らせる。


「……恋人でもいるのかしら」


 ルーカスは今年で19歳になる。立場的に恋人のひとりやふたり――――3人や4人いても可笑しくはないのだ。


「…………さすがに4人はないか」


 面倒とか言われそう。以前に廊下で貴族の令嬢に囲まれたルーカスの、周囲の空気を凍り付かせる勢いで機嫌が悪くなっていった姿を見たことのあるリーティアは、乾いた笑い声を漏らす。


 それ以前に恋人がいるのなら、リーティアは今ここにいる筈がない。


 試着室から出ると、ルーカスはやはり少女たちに囲まれていた。王子がいるということを聞きつけてか、若干数が増えている気がする。一見無表情だが、少女の甘い声に不機嫌そうに眉根を寄せていて、隠し切れていない苛立ちが見て取れる。


 感情を律しきれていないなんて、剣士失格なのではないの? 心の中で嘯き、声を掛ける。


「ルーカス」


 思っていたものよりも、囁くような声になってしまった。聞こえないだろうかと思ったが、弾かれたようにルーカスは貌を上げた。そしてすっかりと姿を変えた華奢な少女の四肢を、頭の上から足の先まで呆けたように眺め、嬉しそうに頬を綻ばせる。


「……可愛いじゃないか」


 満足げに笑う彼の大人びて精悍な筈の貌が、子どものように無邪気に見えて、リーティアは思わずそっぽ向く。


 リーティアが元々着ていた衣服は、騎士団まで届けてくれるらしい。既に支払いを済ませていたルーカスは、一刻も早くこの場所を脱したいらしく、嬉々としてリーティアの白い手を取る。


 赤毛の野暮ったい少女が真紅の髪の絶世の美少女に変身したことに、店員も客も動揺を隠せなかった。ある者は息を呑んで彼女に見惚れ、ある者は悔しげに唇を嚙む。


「よし行くか」


 このような調子で一日中付き合わされるのだろうか。体力保つかな。

 少々鬱気に思いつつ、彼女は当然のように繋がれた手を見つめる。


 それでもこのぬくもりが嫌だとは、どうしても思えなかったから。





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