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紅き深淵の魔女  作者: 白毬りりま
彼女が約束を想い出すまで
10/55

3-2.花歌の月14日

 だれかが、さけんでいる。


『異端の魔女の癖に』

『——を惑わす悪しき娘が』

『やはり厄災、禍姫(まがつひめ)だったか』


 ちがう。そう幾ら必死に訴えても、聞き入れられることはなかった。


 浴びせられる、罵倒の数々。名門の伯爵令嬢のため、家族や彼がいるときには投げかけられることはなかった。

 けれど独りでいる時を狙って確実に突き刺さってくる悪意の刃は、確実に幼子の柔な心に切り込まれていた。


 何度か周りに助けを求めようとした。けれど自分のことで家と彼を煩わせることは、どうしても嫌で……


 たすけて


 その一言が、どうしても言えなかった。


 両手で耳を塞いでも。身体を縮めて耐えようとしても。 

 どれほど、ちがうとさけんでも。


『ちがう……ちがう…………わたし、は……っ』




「————厄災では、ないのに……っ!」


 はっと。悪夢から目を覚ましたリーティアは、早鐘を打つ心臓を押さえた。どくどくと嫌という程、鼓動が早く大きく聞こえる。


「……なによ、あのゆめ……」


 わたしの、かこ……?


 どくどくと、どくどくと。聴こえてくる鼓動に、重なる憶えのない(・・・・・)怨嗟の声に、両手で耳を塞ぐ。

 うるさい。うるさい。幻聴だとわかってはいても、振り切ることができない。


 何かを探して右手が彷徨うが、指先は虚しくシーツに届くだけだ。かたかたと、みっともなくシーツを握り締める手が震える。


「…………」


 色を失った唇が何かを紡ごうとして————音をなさない。


《————リーティア様》

「っ!?」


 華奢な四肢がびくりっと硬直する。シーツの間から恐る恐る貌を上げると、仄かな萌黄の光が寝台の傍らに生まれ、一瞬の後にひとりの少女が現れる。

 リーティアの傍らに跪くのは、彼女に付き従う精霊のフルーウだ。風もないのに柔らかな萌黄色の髪を靡かせた彼女は、震える白い手に己のを添えた。薄紅の双眸を揺らし、青白い美貌を見上げる。


「私たちは『彼』の代わりにはなれないけれど……けれど、『彼』と同じように、私たちも貴女を護れたらとは思う」

「…………」

「どうか、過去(あくむ)に魘されないで。折角、忘れていられるのだもの、貴女の幸せを、私たちは望んでいるの」


 だから、今はまだ————

 フルーウの言葉のひとつひとつが、静かに心に沁み渡っていく。まるで魔法でも使っているかのように。

 手の震えが止まり、強張っていた四肢からゆっくりと力が抜けていく。

 碧の双眸に、理性の光が宿る。


「……ルゥ……?」

「はい、リーティア様」


 見慣れた淡い若草色の天井を仰ぐと、次第に気分が落ち着いていった。重い身体を緩慢に起こし、リーティアは細い手を額に添える。

 時計を見ると、記憶にあるものよりそう時間は経っていない。どうやら明日の衣装について悩んでいる内に、転寝をしてしまっていたようだ。枕元にある照明の温かな光に、ほうっと息を吐き出す。


 じっとりと、嫌な汗を掻いている。髪が肌に張り付き、不快だ。

 貌を顰めていると、閉ざされていた窓がひとりでに開き、春の夜風が入り込んで来た。淡い香りがひんやりと肌を撫でていく様が心地よくて、彼女は目を細めた。


「…………ありがとう」


 感謝の言葉はか細く、頼りなかったが、不安げな面持ちだったフルーウには十分だったようだ。ほっと安堵の息を吐き、一礼して夜闇に溶けていく。彼女が姿を消すと、ひとりでに窓が閉まった。


 気を落ち着かせて寝台の傍らに置いてある卓を見ると、真綿を敷き詰めた蔓籠の中で蜜色の精霊が眠っていた。先日の実習でリーティアが召喚した、蜃気楼の精霊だ。ミュエルと名付けられた彼女は、幸せそうな顔をしている。もう時間帯としては遅いので、ぐっすりと深い眠りに就いているようだ。

 その姿に微笑ましさを覚えつつ、リーティアは見慣れた部屋を眺めた。



 結局あれからルーカスには会わなかった。

 忘れたかなと思ったが、甘かった。祭りの最中だというのに研究室に籠っていたリーティアの許にフィオナがやってきて、「明日はいよいよ団長とお出かけですよね。最近の団長、急に入ってきた仕事も嫌な顔一つせずに物凄い早さで処理してて、物凄く機嫌よさそうにしてるって先輩たちが言ってました」と爆弾を落としていった。


「普段からちゃんと仕事しろよっ!」


 感情のままに抱き枕を寝台に叩き付ける。以前ルーカスより贈られた、気の抜けるような顔をした猫の抱き枕だ。首に薄紫のリボンの巻かれたそれは、ぼすっと軽い音を立ててシーツの上に沈んだ。

 ミュエルは余程深い眠りに就いているようで、目覚める気配はない。ふみゃふみゃと寝言を言っている。 

 寝台に腰かけていたリーティアは、若草色の寝衣の裾が捲れるにも拘らず、すらりとした白い脚を組むと苛立ちのままにぼすぼすと抱き枕を叩く。大した力もないため、抱き枕は萎んでもまたすぐに元に戻る。


 騎士と言っても華奢な四肢をしているリーティアは、それ程力が強いわけではない。剣を扱う時も魔力を体力に変換して、腕力を上増ししていた。

 教官役になって訓練時間が減ったことも大きいだろう。普通の少女と変わらない白い手に、彼女は口を尖らせる。



 彼がどういうつもりで自分を誘ったのか、よくわからない。

 自分は彼の幼馴染で、部下だ。ただそれだけならば、誘いを素直に頷けたのに。


「私は魔女なのよ」


 独りきりの室内に、彼女の言葉は虚しく溶ける。ぽすっと、力なく白い手を抱き枕の上に下ろした。

 罵倒の声が、耳の奥で響く。


「私は魔女なの」


 白いシーツの上に流れる真紅の髪を手繰り寄せる。くるくると白い指に巻き付けると、湯上りから大分経ってはいてもしっとりと濡れているようで、異様な程に艶めいて見えた。


「私は、魔女なのよ」


 こてんっと。シーツの上に倒れる。膝を折り、もぞもぞと小さくなったリーティアは、灯りの中でぼんやりと浮かび上がる、壁にかけられた白いドレスを見つめた。


「魔女だけれど…………あなたはわたしがそばにいてもいいの?」


 碧の双眸を揺らし、ぎゅっと、彼女は猫の枕を抱き締めた。





 彼女が約束を想い出すまで あと280日





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