最終電車を見送って、
わざとだった。
「あっ、もう、電車なくなる」
時計をみてわざとらしく声をあげると、横で飲んでいた松木が酒に酔って赤みかかった顔を驚かせた。
今まで一回もそういう素振りをみせなかった俺の言葉に夢心地だった気持ちが乱暴に現実に引き戻されたというかんじだ。
「まじ? ちょっと、待て、ここから走れば、間に合うんじゃないのか?」
慌てて立ち上がる松木に俺も焦ったふりをして頷いてみせた。
二人で食べて――ほとんどビールを飲み続けていたわけだが、その勘定は松木が払った。急いでくださいと店員に言って急かすと、俺の手をとって走り出した。
おい、待てよ。そんなに俺を帰したいか、お前
俺は、心の中で罵った。
これは、俺の張ったちょっとだけ馬鹿みたいな罠だ。
松木と俺は同じ会社に勤めるサラリーマンだが、俺に比べて松木は仕事ができる。今日だって、松木が大仕事を終えたので、一緒に飲まないかと誘われたのだ。
同期なのに、仕事に長けている松木は俺なんかではとうてい足元に及ばないほどの重要な仕事をやりまくっている。
異性から見ても、素敵な人というものは、同性からみれば嫌われるか、好かれるか、どちらかだが、松木は後者だった。
優しい面持ちで、どこか人懐っこさのある幼さの濃い顔立ち。それがぱっと見ると懐かしい雰囲気をかもし出していて、ほっておけないと思わせる。松木は、そんな雰囲気に物腰の丁重さと謙虚なところが大抵の人から好意的に受け入れられる。もちろん実力もあるだろうが、こうやって人から好かれることが社会では大切なことなのだろうと松木を見てつくづく思う。
俺は、そんな松木が好きだ。
俺の罠に見事にひっかかった松木は、俺の手をひいて走っている。そんな背中を見ているとつくづく思う。俺はこいつが好きで、好きでたまらない。けど、こいつは俺のことどう思ってるんだろうな。
何度か二人で飲んでは、馬鹿みたいな話をして、酔っ払って、一度だけ松木のマンションに泊まったことがある。俺はこいつの寝ている顔を見てどきどきしたのに思わずキスをして(ああ、俺の変態! けど、起きないし)、手なんか握ったりして、それで―― 一発抜いた。(完璧な変態だ。俺は)
だが、馬鹿正直に寝ていた松木は、そんなことは知らない。男なんか好きになったことへの苦しみやら葛藤やらとか知らない。
会社で人好きする笑顔をふり撒いて、俺はどきどきしたり、他人に激しく嫉妬しているのも知らないのだ。
だから、わざと電車を乗り過ごす事にした。
「あっ」
俺は声をあげて、足をとめた。
「どうした?」
「携帯忘れた」
「ええっ」
「携帯ないと困る」
本当は、わざと忘れてきました。
「俺がとってくる」
と言って意気込んで走り出す松木。
「待ってて」
そう言い残すことも忘れない。律儀なやつ。
俺は、松木の背を見送りながら溜息をついた。もしかして、俺のことそんなにも帰したいのか?
明日。実はいうと俺と松木の休みが重なったことを内心、ほくそえんでいた。
飲みに誘うと嬉しげに応じてくれたのに一軒、二軒、三軒、先ほどが四軒目。二人とも飲みすぎず、食べ過ぎず。とにかく雰囲気がいいところ、いいところへと流れていった。
男二人ならぱキャバクラという手もあるが、金がかかるし、騒がしいを松木はあんまり好きじゃない。上司に誘われて、ときどき、渋々とついて行くぐらいだ。そういうところでも松木は女たちからモテる。下品なことはしないし、優しいからだ。
俺は、そんな松木が好きだ。
だから、寝ている松木をちょっとやっちゃったよ。うん、まぁしちまったよ。それはいい。それはいいんだ。問題は今だ。
松木の気持ちを知りたくて、わざと乗り過ごそうときめた電車。
「とってきた」
息を切らしてあらわれた松木の手には俺の携帯があった。
「ありがとう」
わざと置いてきた携帯電話を受け取りながら、胸が少しばかり苦しくなる。こいつをこんなふうに疲れさせたいわけではないんだ。
「あのさ、もう、電車間に合わない」
「えっ、まじ? あ、本当だ」
「……どうしようか」
俺としては、ここが一番の賭け。
「んじゃあ、俺のところに泊まる?」
そうだよ。その言葉が欲しかった。
「松木」
「ここからだと俺の家も遠いから、まずはタクシーを」
「俺、お前のことが好きだぞ」
後悔はないが松木がぽかんとアホ面を晒すのを見ると、俺自身とんでもないことをしたのだと震え画は知った。
「泊まったら、俺、お前になにかするかもしれないぞ」
「……西本?」
「本気だぞ」
俺は真剣に松木を睨んだ。
茶化されたくないし、逃げられたくないからこういう手段に出た。
「お前、気がついてないかもしれないけど、俺は、お前のこと」
「西本」
「なんだよ」
「とにかく、頭を冷やそう」
「へっ」
そういって俺の手をひいて歩き出す松本に俺は、内心、ぐちょぐちょだ。待て、頭を冷やすって、それだと酔っ払いの戯れ言みたいじゃないか。これでも俺は正気だぞ。
反論しようにも言葉が喉からまるで重石でも置かれたみたいに口に出てこない。松木に手を握り締められた状態では俺は情けない気持ちがいっぱいに、けど、手を握られたことが嬉しくて、ただひたすらに俯いて歩くしかない。
夜風に酒で火照っていた頭も心も、ついでに体も冷えていく。そうすると、どんどん自分が馬鹿みたいに思えてきた。
「あっ、自働販売機」
松木は嬉しそうに笑って指差した先には、ほのかな明かりの灯った自働販売機に駆け出していく松木は、すぐさまになにかを買って戻ってきた。
「はい。缶珈琲」
俺に差し出した缶珈琲。
手を伸ばすと、直接、頬にあてられる。温かさに体がびくっと震えた。
「ほら、あったかい」
「あ、うん」
「飲んで、飲んで」
缶珈琲を受け取って俺は、飲む事にした。
仄かに暖かくて、苦い味。
「いやー、寒かった」
そう言ってからっと笑う松木を見てちくりと胸が痛んだ。
俺は会社にはいったときは、それなりにいろいろとやろうと決めていた。そう、意欲いっぱいの新入社員だったわけだ。学歴に自信があったが会社では、そういうのは認められない。まずは仕事を覚えろ、この新米と上から叱られまくる。松木は俺よりもまぁ下の大学の出のくせに、笑顔と持ち前の人懐っこさと器用さで見事に切り抜け、何時の間にかすごく上にいた。なんだよ、くそったれ。俺は心の中で悪態をついて、憂鬱としていた。自分の今までのプライドを粉々に砕かれて、あせくせと仕事をして、なにがそんなに楽しいのか。そんなとき、横からすっと珈琲が出してきたのは松木だった。笑顔で「ねぇ、ここ教えてもらえません?」なんて、尋ねてくる。語学には自信のあった俺は自分のことが活かせることが嬉しかった。松木は、話せばいいやつだったし、すごく優しかった。
俺は、そんな松木を羨んで、嫉妬したりで汚かいやつなのに、変わらない他の奴らと松木の笑顔を向けられて心の底にある黒いもやもやが溶けていった。
俺は、松木のおかげで今は自分の得意なものを活かせる仕事をしている。
あぁそうだ。今飲んでる珈琲はあのときのはじめて松木にもらった珈琲に味に似ている。
「え、わ、どうして泣くの?」
「お前が悪い」
俺は珈琲を飲みながら洟をすすって、きっと松木を睨みつけた。
人の人生最大の告白にうんともすんともいわずになんなんだよ。珈琲なんて!
「終電、もうないのに……帰れないのに」
「終電、見送っちゃいましたね」
「ああ、そうだよ。お前の為に、わざと」
「俺もわざと」
にっこりと笑顔でなにを言うんだ。こいつは。
「終電だって、いわれたとき、ちょっとドキドキしたけど。俺、実は、今日は終電見送るつもりだったんですよ」
「はぁ?」
手をとられて、松木はにこにこと笑いながら歩き出す。俺はわけがわからなくて、ただ洟をすすって、しゃくりあげて、必死に考えた。
「もう、普段は頭いいのに、こういうとき鈍感だな」
「悪かったな」
「俺も好きってことですよ」
「はぁ? だって」
「さき越されたけど」
俺はむすっと松木を睨みつけていると目から溢れる涙をごしごしと手でこすり、なんとかかっこの一つもしけようと試みるが、うまくできそうにない。
「嬉しいけど、妙に悔しい」
「えー、さき越された俺だって悔しいんですよー」
「阿呆、焦らされた身になってみろ」
「あははは」
二人でとにかく歩いた。
寒い風も缶珈琲のおかげで温かい。
繋いだ手を離したくなくて、ただ離したくなくて、つよく握りしめて、夜だから、誰かの目も気にしなくていいだろうと心の中で考える。
「今日は帰ってください」
「あ、うん」
俺としてはこのあと当然、松木のマンションに行ってあんなことやこんなことが起こると考えていたが、そうはならないらしいのに多少、いや、かなりがっくりしていた。
「タクシー、五分くらいでくるそうですよ」
「あ、そうか」
「ねぇ」
「ん」
「俺が寝てたとき、俺のこと、ちょっと襲ったでしょ」
その言葉に噴出しそうになって、俺は慌てて松木を見た。
「なに、おまえ」
「いや、さすがに起きてたんですよね。実は……部屋に泊まったとき、キスされたりして」
「お前っ!」
は、恥かしい、俺の変態である思い出を!
「けど、起きたら、悪いかなって思って」
目の前がくらくらとしてきた。
こいつ、性格が実は、むちゃくちゃわるいんじゃないのか?
「けど、いやじゃなかったですよ」
「……松木、性格悪いだろう?」
「だって、いじわるしたくなるもん」
「お前なぁ」
そうこうしている間にもタクシーがきたのに、俺は怒鳴りたい気持ちをひっこめた。
言い争いしてもはじまらない。
「帰る」
「うん。あ、待って」
そういって松木が俺の手をとると、唇に触れた。
キスだ。
冷たくて、かさかさしていて、珈琲を飲んでちょっと暖かいような、苦味のある。
「俺、本気ですからね。嬉かったから、だから今日は帰します。大切にしたいから、けど、次はなにもかも用意して、もう帰しませんから」
タクシーの前だぞ、こんなところで、するなよ。馬鹿、――ああ、けど、けど
顔が茹蛸のように真っ赤になって、嬉しくて、なんだかもう、どうしたらいいのかわからなくて。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
罠にはめられたのは、俺だった。




