前途多難過ぎる恋 29
突然イシュタルが身を乗り出して、フィニアに手を伸ばす。フィニアがぽかんとしていると、彼女の右手の指先が軽く唇に触れた。
「クッキー、付いてるよ」
「……うわぁ!」
イシュタルはフィニアの食べ残しである口の周りのクッキーを取り、可笑しそうに笑いながら「フィニアのこういうところ、なんか女の子って感じですごく可愛いから」と言う。フィニア的には口に周りにクッキー食べ零しなんて恥でしかないので、穴があったら入りたいくらい猛烈に恥かしくなった。いや、それ以上にイシュタ ルの指が自分の唇に触れたことが嬉恥かしくて、フィニアはまた顔を真っ赤にする。
「あああぁあ、ごめんなさい! すいません、だらしなくて! い、いつもはもっと上手く食べるんですけど!」
フィニアはこれ以上恥をかかないように、もうクッキーは食べないぞ! と胸に誓う。おそらく二時間後くらいには、そんな誓い忘れているだろうが。
イシュタルはフィニアの慌てっぷりを見て、可笑しそうに控えめな笑い声を発していた。
「本当、フィニアって見ていてすごく楽しい」
「あ、はは……そうですか……?」
◇◆◇
フィニアとイシュタルがほのぼのお茶している頃、苦労人のロットーはオリヴァードと共にアザレア王の元へ相談の為に呼ばれていた。ロットー的には『相談されるのはフィニア一人で十分』という心境なのだが、相手はアザレア国王なので断ることも出来ない。
「で、フィニアの見合いの事なのだが……ロットー、二人は今どんな感じだ?」
アザレア王が若干緊張した面持ちでロットーに聞く。ロットーは「俺の目には親密になっているように見えますが」と、思ったとおりのことを王に報告した。
「ふむ、そうか……しかしフィニアは、その……知っているのだろうか? 王子がその……」
なにか言いにくそうに口ごもる王を見て、オリヴァードは「王、いかがなさいました?」と聞く。何となく王が口ごもる理由がわかってるロットーは、このまま話が進まないのも面倒なので思い切ってこう口を開いた。
「イシュタル王子の秘密ならフィニア王女も知っていますよ、王」
「な、なんだと!」
ロットーがさらりと驚くことを言うので、王は珍しくうろたえる。オリヴァードは事情を知らないのか、「何のことですかな?」と怪訝な顔で王とロットーを交互に見遣った。すると王はまだ少し動揺しつつも、「ロットー、今の話は本当か?」と確認するようにロットーへ聞く。ロットーははっきりと首を縦に振って、「えぇ」 と返事をした。
「イシュタル王子の方から、王女に説明があったとか。でも二人はこのまま予定通りお見合い続けるって事で話が纏まってるようですよ」
「うむむ……そうなのか」
王とロットーの間だけで話が進むので、オリヴァードは一人怒ったように「わたくしを呼んでおきながら、わたくしを無視して話を進めないでくだされ」と王たちに抗議する。王はオリヴァードに視線を向け、「いや、すまない」と頭を下げた。
「……フィニアもロットーも知っているのか。ならば話は早いか。……オリヴァードにも、今回のフィニアとイシュタル王子の見合いの真相を話しておこう」
そう言って王は神妙な面持ちで今回のお見合いの恐るべき真相を語りだす。それはロットーにとっては『やっぱり』な内容の話だったが、王の話す真実にオリヴァードはたいそう驚いた。
「な、なんと……王子は女性だったと!」
「そうだ。だからフィニアとの見合いはウィスタリアにとってもうちにとっても都合の良いものだったのだが……」
イシュタルがフィニア同様国の事情で性別を偽っているという話は、オリヴァードに大変な衝撃を与える。そして同時に王たちがお見合いをしようと言った訳はそういう理由だったのかと、彼は納得した。
確かに本当にイシュタルが女性ならば、フィニアとの結婚はごく普通の男女の結婚ということになる。……なるはず、だった。
「しかしフィニア王女は現在女性ですぞ。これは……」
「そうなのだ。だからどうしたものかと……」
王は困ったように溜息を吐いた後、「しかし、今のフィニアは可愛いのでそれはそれでいいんだ!」と変に力強く言う。ロットーは心の中で『アホな事言ってないでしっかりしてくれ、親馬鹿』と突っ込んだ。
「……で、相談なのだが……」
王は自分が信頼するオリヴァードと、それとフィニアの友人でもあるロットーに、これからどうすべきか意見を聞きたいと二人をここに呼んだらしい。そして王に相談を受けたオリヴァードとロットーがまず考えた事は見事に一緒だった。
「王、失礼を承知で申し上げるが、フィニア様が一人で暴走する前にあの方に王子の正体を話しておくべきだったとわたくしは思いますぞ」
「俺もそう思いますね」
相談以前の問題を二人に指摘され、王は居心地悪そうに大きな体を丸める。それだけが原因というわけではないが、しかし王と王妃がフィニアにどっきりを仕掛けようと悪ふざけでフィニアに真相を話さなかった為に、フィニアは”あんなこと”をしてしまったのだ。フィニアにイシュタルの情報が正しく伝わっていれば、おそら くここまで事態はややこしくならなかっただろう。
「お、俺だってそれはわかっている! しかし過ぎたことを今更色々言っても仕方ないだろう! それよりもどうするかを考えるのが大切だ!」
正しい事を言っている様で自分の失敗を誤魔化そうとしている王に呆れながら、ロットーとオリヴァードは仕方ないので王の言うとおりに考える。ロットーが「ちなみに王の意見は?」と聞くと、王は「このまま王子がフィニアを嫁に貰っていってくれればなぁ」とか人事のように言った。
「……王よ、それでよいのですか」
「ウィスタリアと繋がっておいて損はないだろう。その為には是非フィニアと結婚を……」
「そうではなく、フィニア様やイシュタル殿のお気持ちの問題もあるでしょうとわたくしは言いたいのです」
オリヴァードは「お互いに女性で結婚したいなどと思いませんでしょう」と、王を咎めるように呟く。そしてオリヴァードが真面目に指摘するので、王も「それは俺もわかっているが」と言い苦い顔となった。
しかしその点については、フィニアはむしろイシュタルと結婚したいと言っていることをロットーが二人に説明すると、二人の表情が変わる。王は嬉々として喜び、オリヴァードはまたまた驚いた様子で目を丸くする。
「ま、王子は男装していても美人ってわかるくらいに綺麗な方ですからね。おまけに優しいし強いときたら、そりゃフィニア王女もときめきますよ」
「確かに……フィニア様には不釣合いなくらいに出来すぎた王子ですしなぁ」
「おいオリヴァード、遠まわしに俺の息子を駄目だと言うな。あいつはあいつなりにいいところがたくさんだぞ」
「王の親馬鹿はさておき、いくらフィニア様が乗り気でもイシュタル殿はフィニア様との結婚など考えていないでしょう」