不穏な影 36
「はーい」
「フィニア様、夜分遅くに失礼します」
ドアの向こうに声をかけると、昼間のこともあり配置された警備の兵士の声が返ってくる。フィニアがドアをあけると、兵士が「こちらの方がフィニア様に用事があるとのことで」と言った。フィニアが疑問の眼差しのまま兵士が指す後方へ視線を向けると、そこにはイシュタルの付き人であるメリネヒの姿。
「あれ、メリネヒさん」
「あ、王女~すみません~お休みの時間にぃ~」
ずれた眼鏡の位置を直しながら、メリネヒが申し訳なさそうな様子でフィニアに声をかける。フィニアは「大丈夫だよ」と言ってほほ笑んだ。
「それより用事って?」
「あのあのぅ、お部屋でお話していいですかぁ?」
どうやら立ち話で済む話ではないらしい。すかざず兵士が「危険なものは所持しておりませんでした」と答えると、メリネヒも「何もないですぅ~」と手を挙げた。
「手ぶらです~せめてお菓子くらい持ってくればよかったですかぁ~?」
「え? いや、いいよ! それより大丈夫、入ってください」
慌ててフィニアがそう部屋の中へ入るよう促すと、メリネヒは「ありがとうございます~」と勢いよくお辞儀をして、その拍子にまた彼女の眼鏡はずれた。
「それでメリネヒさん、用事というのは……」
人前で寝間着なのはちょっと落ち着かないけれど、着替える暇もなかったのでフィニアはそのままの姿で室内の談話スペースへ移動する。正面の椅子に腰を下ろしたメリネヒに改めて用事を問うと、メリネヒは「それが……」と珍しく少し困った様子を見せた。
「王女様、落ち着いて聞いてほしいんですが……」
「は、はい……」
「あのあの、内緒ですよぅ~? 静かに、ですよ~? びっくりしても大きな声、出さないでくださいね~?」
「なんですかその厳重な前振り、怖いんですけど……」
メリネヒの怪しい言葉にフィニアは怯えつつ、「わかりました」と頷く。するとメリネヒは小声でやっと本題を話し出した。
「実は……王子がさっきから行方不明なんですぅ」
「えぇ~?!」
秒で約束を破ったフィニアが思わず叫ぶと、メリネヒは慌てて「だから静かに、ですよぉ~!」とフィニアに注意する。直後に部屋の外から「どうかしましたか?」と兵士の声がして、フィニアは「なんでもないです!」と反射的に答えた。
「え、いや、全然何でもないことないけど……っていうかメリネヒさん、それ本当ですか?」
メリネヒから告げられた衝撃的な言葉に、フィニアは軽く混乱する。するとメリネヒはやはり小声で「はいぃ」と頷いた。
「お食事を終えてからぁ、おひとりでお部屋に戻られて……で、さっき『王子、おやすみなさ~い』って声をかけようと部屋に入ったらぁ」
メリネヒは突如胸元をまさぐりなにか一枚の紙を取り出す。すごいところから紙を出してきたことにフィニアはドキドキしつつ、彼女から取り出された紙を受け取った。
「そのメモがお部屋にあって……」
「メモ? えーっと……『少し出かけてきます、心配しないで』」
ピンク色のかわいらしいメモに書かれていたのは、やはりかわいらしい字でのメッセージだ。この女性的な丸い文字はイシュタルの字だろうか。花柄のメモと合わせてかわいい趣味にフィニアは思わず頬を緩めてしまう。いや、そんな場合じゃない。
「出かけてきますって、いったいどこに……」
「ですよねぇ~? 昼間のコハク王女のこともあるので、私心配でぇ~」
メリネヒはブンブンと首を振りながら「王子は強いですけどぉ、でも今おひとりで行動するのって危険ですよぉ~」と涙目で訴える。それは確かにその通りだと、フィニアもメリネヒに同意した。
「確かに心配だね。探しに行かなきゃっ」
「ですよね、行かないとです」
思い立ったら即行動なフィニアは勢いよく立ち上がり、「あ、ロットーとかにも声をかけよう」とメリネヒに言う。
「探すなら人数多い方が良いでしょ? なんならほかの兵にも声をかけるし……」
しかしこのフィニアの提案に、メリネヒは少し困った表情を見せた。
「あうぅぅ、それはそのとおりなんですけど……でも、王子になにもなくてただの散歩だったらぁ、私、恥ずかしいと言いますか……大事になって何もなかったら、私、また王子に呆れられちゃうので……まだそこまで大事にはしないでほしいですぅ」
「あ、そうだね……」