転生の八 ムシムシ大行進
「どっせい!」
その掛け声と共に振り下ろされたのは、鉄塊といって過言ではない代物であった。
人の背丈を超える刃渡りのソレは、幅広く、分厚く、長大な、それでいて研ぎ澄まされた刃を持つ、精錬の極みともいえる巨大な片刃の剣だ。
それが叩きつけられた相手は、その切れ味と超重量によりまるで鉈で小枝を払うがごとく頭を叩き切られ、躯となって大地に横たわっていた。
「御美事にござりまするw」
「やかましい!とっとと剥ぎ取るぞ」
剣を、その超重量の剣を片手で握り締めて、残心の姿勢をとっていたカレアシンが、かけられた声に反応して剣を肩に担ぎなおす。
その姿を見て、熊子は二つに分かたれた大型乗用車程もある昆虫もどきに近寄り、断面を覗きこんで些か呆れ気味にコメントを吐き出した。
「ありゃ。切れ味が格別なのはいいけど、魔晶結石までぶった切れてるじゃん。もうちょい考えて斬ってくんね?」
「おろしたての剣だっての。慣れねえウチは細かい加減なんざ出来ねえよ」
「さよけ。いやー、それにしてもいい仕事してますねぇ、アマクニのおっちゃん。硬い硬いと巷で有名な硬殻枝角蟲をここまで綺麗に切れる剣、ホントに鍛えちゃうとはねー」
硬殻枝角蟲と呼ばれる巨大な節足動物は、平べったい胴体と一対の大顎を持つ事で知られている。
前世のクワガタムシを大型化した姿に、無数の足が付け加えられている形状であるが、その巨大な自重を支えるために外骨格が分厚く重いため、飛行は出来ない。
並の剣では傷もつかない強度を有する外殻を持つため、鈍器による打撃か魔法による攻撃でないと仕留められず、更には肉食で動くものなら何でも食らいつく習性があるという、些か厄介な生き物である。
戦闘時の動き自体は素早いが、幸いにしてその体格が災いし長時間速度を維持しての移動は出来ないため、この世界の住人達にとっては姿を見たらとりあえず逃げるのが一番の対応策という、危険ではあるが比較的対処の楽な部類の魔獣であった。
しかしながら正面から戦って倒すには、多数で取り囲み鈍器で息の根が止まるまで叩き続けるか、魔法で焼くかであるが、そうすると肝心の剥ぎ取れる外殻部分の品質が下がるため碌に値が付かず、そのため好んで狩ろうとする者は居ないのが現状である。
とはいえ基本的に虫なので、集落の近くで発見されれば餌で釣って落とし穴などの罠にはめ、油を注いで焼き殺す、と言った駆除方法が一般的であり、実際人里に現れた際には然程被害を出さずに退治することが可能なのだ。
だがこんがり焼けた死体からでは、熱で変質していない外骨格や大顎などの部位が得られる事は極めて稀で、燃え残りのごくごく一部が市場に出回る程度だった。
それらは重量で比較すると、通常の革や金属素材よりも遥かに硬く強靭で、加工者の熟練度によっては非常に高品質の製品となるために、珍重されてきたのである。
そんなわけで、冒険者たちは荒稼ぎと自前の装備更新の為の素材採取の手段として、“いのちをだいじに”を念頭に置き、こういった獲物を率先して狩る活動を行なっているのだ。
「俺としちゃあ、剣じゃなくても良かったんじゃないかと思うけどな。槍でもいいし、エストックみたいに突き刺すのに特化するなり鶴嘴もどきの長柄武器とかよ、楽できるやり方があるだろうに。まあただ倒すだけなら鈍器最強なんだろうが、その類じゃ倒せはしても外殻がボロボロになるって話だから却下なんだろうけどよ」
巨大な死体からナイフ一本で色々と切りとってゆくのを横目にそんな事を言いつつ、剣にブレード・プロテクタを被せ、「そもそもこの剣を振れる奴がそうそう居ないだろうが。意味なくね?」とぶつくさ言う。
長大故に鞘に収めると抜くのに手間取るため、刃にカバーを被せる事で携行時の安全を確保しているのだが、そのあたりも若干趣味に合わないらしく、剣を振るう立場の者としては納得の行くものではないようである。
不満気な表情を崩さない竜人を見て笑いを噛み殺すと、熊子は剥ぎ取りを続けながら剣であることの意味を口にした。
「いやいや。刺す系だと、抜けなかったりするし?そうなった状態で一撃で仕留められてなかったら武器持って行かれちゃうかもじゃない?他に敵がいるかもだし、それに刺突が効かない相手が出た時用に別の武器持ち歩く気?だみだよー、旅の荷物はできるだけ減らさなきゃ。そもそも死亡フラグは出来るだけ潰すのが基本なりぬりはべりいまそかり」
「…つか、【装甲値無視】スキル持ってるから、それ使えばあえてコレ使う必要は無いと思うんだが」
巨大な剣を肩に担ぎ、剥がされてはこちらへと放り投げられてくる素材を片手で受け取りながら、カレアシンは皮肉気に言う。
スキルを使用すれば、不慣れな剣での攻撃を行う必要はないからだ。
しかしその意見は別の方向からやってきた女性の言葉によって違う意味で否定された。
「スキル持ちだと知れ渡ったら、暢気な生活が遠ざかりますよ」
「んだよ、スキルの一つや二つ、知られたところでたいした事じゃねえだろ」
「甘いです。甘い事この上ないです。そんなだから糖尿になって寝たきりになるのです」
「ばっ!?糖尿じゃねえ!寝たきりになった原因は通風だ!」
現れたのは、褐色の肌に銀の長髪、おまけに長い耳と胸部に巨大な膨らみを持つ、ダークエルフのヘスペリスあった。
「そもそもこの世界、現在はスキルを持っていると言うだけで、『スキルホルダー』などと呼ばれているそうです。しかもスキル持ちは多くが宮仕え。いえ、名の知れたスキル持ちにはほぼ確実に、国からの招聘が来ると言った方が良いでしょうか。強力な兵器と見做されて、極力体制側に取り込もうとされるみたいですよ」
「げ、そいつは願い下げだなぁ」
「親方日の丸的な生活、殆どの方が望むかと思いますが、私たちは違いますしね」
「ウチも勘弁してほしいかな。不自由になるの目に見えてるし、っと。ホイ、これでラスト」
最後に剥がし終えた素材を放り投げ、熊子は硬殻枝角蟲の残骸から飛び降りた。
彼女から受け取った硬殻を重ねて束ねた竜人は、それの結び目を適当に剣の先に引っ掛け、肩に担いでヘスペリスへと向き直って言った。
「んじゃ帰るか。お後よろしく」
「もう始めてます。あとは彼らに委ねれば」
声をかけられた彼女は目を軽く閉じ、両手をゆったりと動かしてそう答えた。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、目の前に横たわった巨大な蟲の残骸が、ゆっくりと地面に沈み込み始める。
「……あんまり見てて気持ちいいもんじゃねえな」
「同意ですが、このまま放置するよりははるかにマシですから」
程なく全てが地面の下に消え、それを確認してから三人は連れ立ってその場から離れた。
「わざわざ土に返すところまでやるってのは面倒なこった。まあ仕方ないっちゃ仕方ないんだが」
「前世の捕鯨のように、余すところなく使いきれるのなら良いのですが、流石に大半が利用価値のない獲物の場合は、きちんと後始末までしておかないと。普通の生き物なら腐肉あさりの生物が処理してくれますが、魔獣に関しては厄介なことになりかねませんから」
「だねぇ。あれだけの大きさだと、でっかいのからちっさいのまで、千客万来だ。当たる可能性が増えるだろうねぇ」
魔獣は魔に触れた生き物が変質して生まれる。
様々な要因から魔に触れる機会はあるのだが、その一つが魔獣の死体を食らうこと、である。
通常の獣が魔獣の死肉を食らうことで、その生物自体が魔獣になる事が稀にあり、それが起こらずとも次の世代の子が魔獣として生まれる可能性が高くなるのだ。
無論、何事も無く普通の獣が生まれることのほうが多い。
経口摂取による魔獣化は、通常ならば心配するほどの割合ではないからだ。
人工的に魔獣を生み出す事が可能なのではないかと、野生動物に魔獣を食らわせ続けた実験が行われた形跡も古代にはあるが、結果としては自然発生と大した違いは生まれなかったという。
なぜか。
魔獣になれるほどの量を喰らうのが、常識的に無理だからである。
例えば焦げた肉を食うと癌になる、という話を耳にしたことはお有りだろうか。
あれは、焦げた部分に発がん性物質が含まれているのだが、その物質が実際に発ガンを誘因する程の量になるためには体重の数倍の焦げた部分、焼き魚等に換算すると数百トンを摂取しなければいけない計算となる。
これと同様の事が、魔獣化にも言えるのであった。
とは言え危険なのは間違いなく、特に哺乳類等よりも遥かに世代交代が早く、多くの子を生む虫の類は、その発生率が段違いであった。
「精霊さん達が、虫達が集まるよりも早く骸を土に返してくれます。これで問題はありません」
「んー、蟲系の魔獣牧場とか、作れば儲かる?どうかにゃー」
「まともな神経持ってたら、そんなことする連中とは縁切るだろうよ」
「ですよねー」
恐ろしい魔獣を使役する故にある種の敬意を持って恐れられ敬われる魔獣使い達ですら、従える魔獣によっては白い目で見られる事もある。
魔獣を家畜化して繁殖させるなど、自宅で危険な肉食動物を飼育しているどころの話ではなく、間違いなく異端視される事であろう。
「まあそれはともかく、取り敢えずこの素材を持って帰れば装備の更新は何とか成るか」
「そうですね。量的にもこれまで獲り貯めた分で賄いがつくでしょうし」
「まあねーちんがさっさと来てくれたらこういう面倒も無くなって、一番いーんだけどねー」
後は狩りの成果を持ち帰るだけとなって、一息ついた竜人とダークエルフの二人であったが、それに口を挟んだ熊子の言葉に彼らは同時に頬を引きつらせた。
「あ、あれ?どしたのふたりとも」
「あーうん、嬢ちゃんなー。いつ来るんだろうなー」
「本当に、いつになるのか。あの娘の行動だけは、私にも読みきれません」
一気に消沈した二人に、一人ワケがわからないままアタフタとするが、竜人もダークエルフも視線を彷徨わせて薄く笑うだけであった。
「え、なんで?来てほしくないの?え、なに?って、もー!早く来てー!ねーちーん!」
とぼとぼと歩くだけになってしまった二人を追って、熊子は大空に響く様に声を張り上げるのだった。