転生の拾弐 家中みんなで
「これはなんとも……にわかには信じられないな」
「そう言われると思ったからこそ、お前さんの目の前でやってみせたんだろうが」
ゴール王国の内陸部東端に位置する都市、アルゲントラトゥム。
その都市の外縁部に、広大な敷地を擁する貴族の館が――いや、規模的には面積においても構造においても、城と形容しても過言ではないが――存在する。
この地を治める伯爵家の邸宅であるが、有事の際には砦としても機能するように築かれた、質実剛健な機能美が見る者に迫力を与える、貴族の住まう屋敷としては比較的装飾の薄い部類の建物である。
今そこの一室で、一風変わったやり取りが取り交わされていた。
とある竜人の男が一人、昔馴染みなのか伯爵と言う高い身分である館の主人に対しても臆すること無く、実に気負ったところのない口調で話を進めていたのである。
この館の主人、名をジョセフ・ジョフル。
伯爵位を受け継ぐ“青い血”であり、『剣戟』と称される程の名立たる武功でその名を高め将軍の地位を得るに至った、歴戦の強者である。
その伯爵が、目を見張り口ごもるなどという事態。
予め今回の訪問は『内密に見せたいブツがある』と竜人に言われていたため、当の竜人と将軍の二人しかこの場には居ない。
ジョセフはその気遣いに今更ながら感謝をしていた。
「……古代の魔法文明全盛期には、当たり前のように有ったって話だし、王宮の宝物庫にも、目録に載ってたってのは聞いたことがあるが…」
「その口調じゃそいつも残ってなさそうだな…。俺らは基本的に回復スキル持ちだし、神聖魔法の使い手が山ほどいるからなぁ。ただの傷薬は、然程重要じゃあ無いんだわ」
「ううむ…」
彼の執務室に設えてある、気の置けない来客だけを迎える為の応接セットに差し向かいで座っているのであるが、つい先程目の前で実演して見せられた事実を前に、驚愕を隠せなかったのである。
「ヒールポーションとは、ね」
「ああ、こいつなら外に出しても問題にはならんだろう、って事でな。今、魔法の傷薬なんざロクに流通してねえだろ?」
そう言って、飲み干した空き瓶を摘み上げ、弄ぶ。
カレアシンは、ジョフルの目の前でその腕に自身の鋭い爪を突き立て、そうして傷口を改めさせてから、魔法外傷薬を飲んでみせたのだ。
ジョフルの手元にも、同じ容器が箱詰めにされて纏まった数が置かれているが、そちらは蜜蝋の封が施されている未開封の品だ。
「で、こいつを売ってくれる、と」
「ああ、そろそろ確実に日銭を稼げる手段を持っとく必要が出てきそうなんでな。手っ取り早く、需要の有りそうな品物で他所に真似できない奴をって所だ」
「……ちょっと待て。コレを売ってくれるってだけじゃないのか!?」
「いんや?こいつは見本だぞ?ご自由にお試しくださいって奴だ」
ジョフルは慌ててカレアシンに問いただした。
今では秘宝級の扱いになっている魔法の傷薬、それを纏まった数だけ手に入ったからと、昔の誼で先ず自分の元に売り込みに来たのだとばかり思っていたのだ。
ソレが蓋を開けてみれば、自分たちで作り上げたというのだ。
しかも量産が可能だという。
「……お前さんらに驚かされるのはもう慣れたと思ってたんだが」
「別に驚かしてるつもりはないんだが」
結果的に驚かされたら同じ事だ、と苦笑したジョフルは、それならばと目の前の未開封の容器の一つに手を伸ばした。
「ちょっと俺も試してみるか」
「おいおい、怪我もしてないのにか?」
「なに、先の話通りなら、そう貴重な品でもないのだろう?どんな感じなのか、実際に体験しとく必要があるだろ」
そう言って立ち上がり、ヒールポーションを持ったまま執務机に戻ると、机の引き出しから小振りのナイフを取り出し、鞘から少しだけ剣身を露出させると躊躇いなく自身の指を当て、滑らせた。
「さて、と」
親指の腹を、指の太さの半ばまで切った彼は、呆れるカレアシンの視線を気にも止めず、手にした容器の蓋をネジ切り、一気に飲み干した。
すると、見る間に指の傷は塞がり、何ら違和感なく、傷跡すら残さずに完治してしまった。
「おお…こいつは中々。神聖魔法もいいが、そうそう使い手がなぁ……って、なんだ?」
「おいおい、マジか」
指の傷跡があっと言う間に完治したのは間違いなくヒールポーションの性能を遺憾なく発揮した結果なのであるが、その後がいけなかった。
ジョフルの鼻孔から、つーっと、真紅の液体が垂れてきたのである。
「おい、カレアシン。こいつはどういうこった」
「……あー、多分あれだ。元気になりすぎたんだろうよ。どうもお前さんには、ちょいとソイツはキツすぎたみてえだな」
鼻血を垂れ流すジョフルに向かって、カレアシンは申し訳なさそうに鼻先を掻いた。
「ぬう…飲み過ぎた、と言うわけでは無いのか?」
「いんや、ソレはその量で適正だそうだ。それ以上少なくちゃあ、効果が出ないらしい。しかし、お前さんでソレかぁ……どうすっかなぁ」
流石に、怪我が治ったとはいえ、鼻血を垂れ流すのでは少々問題が有る。
冒険者らが自ら薬の効き目を試した際には、何ら不都合な点はなかったというのに、である。
カレアシンは、一旦持ち帰り、生産担当責任者であるドワーフのアマクニに相談することにして、早々に辞去することになった。
「改善したら、当然真っ先にウチに持ってくるんだろうな?」
「ああ、そのつもりだ。次は間違いのないモンを持ってくるからよ、いい値を付けてくれるのを期待しとくぜ」
「ああ、その辺りは任せてもらおう。いっそ軍で全部引き取らせて貰いたいくらいだ」
そう言って笑うジョフルに、カレアシンは笑いを噛み殺しながら手を振った。
「お前さんのところに優先的に回すのは構わんが、どうせなら手広くやりたいんでな。コレが一般に普及すりゃあ、死なずに済む奴らも増えるだろうしな」
そう言って背を向けた竜人に、ジョフルはそれ以上何も言わずに送り出した。
暫く後、巷に魔法軟膏なる即効性の高い外傷薬が出まわる事になるのだが、それが実は粘度を高めた上で患部に直接塗りこむ事でようやくこの世界の常人に適応した薬効になった品だと言う事を知る者は少ない。




