転生の拾 ぬるぽ
前編
「……っ!その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやるっつってんだよ!」
その言葉と同時に、背後で武器を準備していたのか、仲間の傭兵達が武器を片手に一斉に立ち上がり水棲人の男をぐるりと取り囲んだ。
「おいおい、サインならしてやるから順番に並べ。ああ、もしかして仕事の依頼だったならマネージャーを通してくれないか」
水棲人の男、ジューヌは酒場のカウンター席に座ったまま、酒精が半ば程注がれたグラス片手に不敵に笑った。
「っ!クソがぁ!」
★
俺の名はジューヌ。左手に杖を持つ転生者で冒険者さ。
この世界は酷く人間に厳しいが、転生してこっち、ずっと面白おかしく暮らしていけてるので不満は無い。
いやホント不満は無いんだ。
前世はごく普通の独身四十路サラリーマンだった俺だが、今はのんきなその日暮らしとはいえ毎日が夢のような冒険生活。
そう、夢のような生活だ———とはいえ俺にもあった若い頃に見た夢とは一味も二味も違うが。
若い頃に見た夢―――歌手になりたいと言う夢が。
人の夢と書いて儚いとはよく言ったものだと思う。
俺の夢は、まさに夢のまま、叶う事は無かった。
咽頭癌。
いわゆる喉仏に出来る癌だが、俺の場合声門に出来た。
普通ならば声の掠れなんかのせいで早い段階で判るらしく、早期治療が出来る類の癌なのだが、練習に明け暮れていたせいか、喉が枯れただけだと思い、放置していた。
そして、とうとう声が出なくなるに至って、ようやく医者にかかり、発覚したと言うわけだ。
咽頭全摘出。
それが進行した俺の癌への治療方法だった。
真っ白になった頭の中で、これからのことを考えながら、俺の夢は潰えた。
作詞や作曲には素質は無かったようだが、俺は歌を唄う事だけならば誰にも負けないと自負していたし、バンドを組んでいた皆もボーカルは俺しか居ないと言ってくれていた。
それなのに、だ。
歌を唄えなくなった俺は、せめて演奏の方でと考え色々と手を出したが、どれもこれも二流のケツ程度にしか届かなかった。
そうして夢を諦めた俺は、ごく普通に会社に勤めだし、ごく普通に日々を過ごして人生と言う蝋燭をジリジリと灯すだけの、ただのおっさんになった。
まあ、ただのおっさんにもそれなりの楽しみは見つかるもので。
暇つぶしにネットを覗いていた俺の眼に止まったネトゲ―――MMORPG『ALL GATHERED』―――これに嵌る事になった。
鳥瞰RPGとは言え、高い自由度を誇るスキルやキャラクターに、時間を忘れてログインする事しきりである。
そして―――
「夢じゃなかったのか…」
食道発声法ではない、自分の声。
再び聞けるとは思わなかった音の響きに、俺は歓喜した。
ahAAAAAAAAAAAAAA!!
天まで届けと、世にも満ちよと声を上げた。
「気持ちはわかるが、まあ落ち着け」
「誰かさんみたいな行動は慎んだ方が後々の事を考えるとベターかと」
「誰かさんて誰だよ」
「さて、私は寡聞にして存じ上げません」
振り返ると、巨人かと思えるほどの背丈をした男性の竜人と、闇エルフと呼ばれる肌の色が黒…というよりも褐色の、女性の部分がやけに女性女性している女性がいた。
「あんたら……誰だ?って、こっちはもしかして爺さん?」
竜人を指差して言う俺に、相手はにっと笑みを浮かべて頷いた。
「正解だ」
「私はヘスペリスです。改名はしておりませんので。今後ともよろしくお願いします、歌右衛門さん」
「いや、今はジューヌだから。歌右衛門はやめたから。流石にこの容姿でリアルに歌右衛門だと泣けるからさ」
怜悧な美貌をぴくりとも崩さないでそう言う闇エルフに、俺は焦って今世の名を告げた。
ジューヌ。
旧世界のとある国の言語では黄色と言う意味だが、俺には別の意味合いもある。
まあそれはそれとして。
カクテルライトを浴びたような、光の加減や角度によって色彩が変化する長い髪に、魚のひれのような長く伸びた耳。
細いが見た目に反して力強い、中性的な肉体。
要するに、俺の夢見た理想の肉体が、ココに顕現したのだ。
「ではジューヌと。とりあえず、仮設ですがギルドハウスへどうぞ。そのままの格好だとさすがにどうにもならないでしょう?」
ダークエルフ女性のヘスペリスに促され、俺は周囲の平原を見渡した。
地平線が見渡せる草原のど真ん中にポツンと立つ、丸太を組んだだけの簡素なログハウスが、視界に入る。
「…え、ギルドハウス?仮設て。天の磐船はどうしたんだよ」
俺の問いかけに、二人は若干視線を彷徨わせ、こう言った。
「シアがまだ来てない」
シア…俺らのギルドのギルドマスターの名だ。
使徒曰く、彼女の転生若しくは転移に付帯し、ギルドハウスはこちらに姿を現すのだそうだ。
その彼女がこちらに来ていないのならば、俺らは裸一貫この異世界で身を立てていかなければならない。
一瞬悲観しかけたが、それはそれで面白いと思ったのは、高揚した転生して間もない精神状態故だろうか。
ともかく、かくして俺の異世界生活は始まったのだ。
☆
そして、今現在。
俺は、とある酒場で今まさに大立ち回りをやらかす事になりそうな状況に陥っている。
いつもの俺なら馬鹿が馬鹿やってるな、と傍観を決め込むんだが、何がどうしてこうなったのか。
冒険者仲間の居ない店で飲んだせいか、つい鬱ブレイカー的言動になってしまったのは否めないが。
仲間が居たら、あんなセリフは恥ずかしすぎて言えないのである。
しかし、状況と酒の勢いで言ってしまったとはいえ後の祭り。
怖そうな顔の奴ら相手に立ち向かう所存である!
言うなれば、覚悟完了!当方に迎撃の準備あり!
目の前の男は置いといて、先ずは男どもに押さえつけられてひん剥かれようとしていた女性を助けなければ、と俺は動き出した。
スキル劇場型空間支配起動。
俺の声による思考誘導を行うスキルである。
水棲人の俺がこのスキルを使うと、常人には聞こえない音域による利用が可能になる。
まあ、言語が理解できる相手にしか通用しないし、相手が複数だと人数が増えるにしたがってかかりが浅くなると言う弱点があるが。
ゲームだった時には、叫び系のスキルの一種で恐慌状態に陥らせたり一時的な麻痺状態に陥らせる事が出来たりしてた。
『動くな』
超音波な周波数で声を発したと同時に手にした杖を目の前に立て、その先端に手の平をついて目の前の男の前で片手逆立ちをするように伸び上がり、そのままくるりと体勢を入れ替え腕だけで跳躍、飲んでいた席から離れるように宙を飛び、降り立つ。
無論、勿体無いので酒の残ったグラスは持ったままだ。
俺の降り立った脚の下には、不細工な傭兵の男の顔面があるが、それは気にしちゃいけない。
なぜならその男は、今まさに拘束していた女性の服に手を掛けていた張本人だからだ。
「おっと失礼。あんまり綺麗な床を汚しちゃいけないと思って汚れ物の上に降りようとしたんだが、あんたの顔だったとは」
「て、てめえ」
俺の一撃を食らったおかげで催眠状態からは開放されたみたいなので、もう一発蹴飛ばして眠らせる。
そんな俺を唖然とした顔で見上げるのは、この店の看板娘、セラ嬢である。
最近この街付近で狩りや収集やらをして生活費及びギルド設立に向けての費用を稼いでいるのだが、そんな折にふらりと寄った飲み屋に居たのがこの娘さんだった。
俺らみたいな根無し草には高嶺の花的存在の、町の人気者って奴だ。
相手がこちらを知らずとも、こちらは向こうを知っている。
遠くから愛でて、幸せを祈りたくなるような人物だった。
だから、無駄に喧嘩を売ってしまっている現状だが、俺は後悔はしていない。
あとで『すごくかっこいいせりふ』を言った自分に赤面する事になるだろうがそれはそれ、全力で相手を叩き潰す。
冒険者ギルド(仮)の掟の一つ、『やるからには徹底的に、相手が逆襲する気力がなくなるまで』を実行に移そう。
「お嬢さん、お怪我は無いですか?」
ふわりとした声で、彼女の震える手を取り立ち上がらせる。
「え、は、はい」
服こそ剥ぎ取られては居ないが、肩をあらわにされた、あられもない恰好のせいか、顔色が真っ赤である。
この世界の常識的女性としては、そりゃあ恥ずかしかったろうなぁ、と思いつつ、俺は付けていたマントを外して彼女にかけてやる。
そして彼女を背中にかばう様に身体を入れ替え、男達の前に立つと、スキルを解除、手にしたグラスを揺らしながら、こっちを向いた男どもに一言言ってやる。
「水溜りが無いと、水棲人は役立たず。そう言ってくれたねぇ?」
「違うってのか!?」
俺の一言におくさずに言い返すあたり、本当に知らないみたいである。
なので、俺はちょっと見せてやる事にする。
「あのさ、水って結構どこにでもあるんだよ?」
手にしたグラスを傾けて、口に含む。
そしてスキルを起動する。
口元に指先を当て、そのまま狙う先へと勢いよく振ると、指先から滴るように液体が飛ぶ。
種族特性である【液体操作】とスキルウォーターカッターの合わせ技、別名波○カッター。
思わず口から液体を飛ばす際に『パパウパウ』と擬音を幻視してしまうほどである。
狙い違わず俺を敵視する奴らの武器に直撃した酒は、音も無く金属の塊を切り裂いた。
ちゃんと威力は調整しているので、後ろの壁が切り刻まれたりはしない。
そんなミスは既に俺が十年前に通り過ぎた場所なのである。
「なっ…」
声を無くして呆然とする相手に、俺は更に言いつのる。
「さて、ココは酒場。テーブルには幾つものグラスや酒瓶。水たまりは無いけどね?」
すぐそばにあるテーブルに置かれている、エールの入ったジョッキに指を浸す。
そのままそのまま腕を上げると、指先に絡みついたエールが鞭のようにひゅるんと宙を舞う。
「俺の鞭は痛いじゃすまないぜ?」
言って振る。
軽く振り回す。
ひゅひゅんと唸りを上げる液体の鞭が、半ばから折れた奴らの武器を更に切り刻んでゆく。
「ひっ!?ひぃいいい!!」
情けない悲鳴を上げながら、男達は酒場からへっぴり腰で逃げ出していった。
話は変わるが…液体操作にはその液体に触れなくてはいけないと言う制約がある。
流石の俺も、触れたくない液体と言うのはあるのだ。
そんな汚い液体を垂れ流しながら、無粋な男どもは去っていった。
「あ、あの。ありがとうございました」
奴らが去って、戻ってくる気配もなさそうだと安堵して倒れた椅子やらを俺が元に戻していると、看板娘のセラ嬢を先頭に、店に残っていた何人かの客達が俺に声をかけてきた。
「…申し訳ない、ワシらは荒事はからっきしでのう」
なんと応えて良いやらわからなかった俺は、聞き流して奴らについて聞いてみる事にした。
「―――あー、俺の方こそ。もしかしたらあの連中がここの常連とかで、いつもあんな接客なのかも?ってちょっと逡巡してた。すまない」
もしそういうお店だったりしたら、二度とこの店に来る事は無かっただろう。
むしろ嬉々として来る奴が増えるかもしれなかったが。
幾分と言うかかなり失礼な事を言っている気はしている。
無論わざとだが、コレでこちらに対して気を使う成分が減ってくれると助かる。
どうせこの街には大して長居出来ないし、とっとと奴らの後を追って…生きてる事を後悔させてやらないといけない。
「んじゃ、俺はこの辺で」
「え?あの、何かお礼を…」
まだ何か言いたげな彼女を極力見ないようにして、カウンター席のそばに転がっている自分の杖を拾いあげる。
「礼?んじゃあ、こいつでも貰っていくよ」
手にした杖を軽く振り、カウンターに置かれていた酒瓶をこつんとはじき飛ばし、杖の端にぴたりとのせる。
「じゃあ」
そうして後ろも見ずに、俺は店を出た。
何度か声をかけられたが、俺は無視して目当ての場所へと足を進める。
「ずいぶんと恰好良い事してたじゃなーい?」
「本当、どこに行ったのかと思ったら、あんな隠れ家的お店見つけてたなんて」
日の沈みきった、人も疎らになった大通りをぼちぼちと歩いていると、いつの間にか俺の横手に、何人かの女性が並んで歩みを進めていた。
「…大通りに面した店なんて、隠すも隠さないも無いだろ」
俺の言い訳のような言葉に、くすくすと笑う面々。
俺と同じ水棲人の女性、ツィナー・ジャコビニ、真っ白な翼を背負う、翼人女性のナスカに、黄金色の豪奢な頭髪に、黒いラインが入った大柄の女性獣人のセイバーの三人であった。




