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群馬県の祠についての報告書  作者: 九條葉月


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8/16

前日譚 三ヶ月前 明美

 






 明美は人生の絶頂にいた。


 高校時代から狙っていた男に、とうとうプロポーズをしてもらえたのだ。


 良い男だった。

 まず何より顔がいい。


 本人は無頓着だが、街を歩けばほとんどの女が振り向くほどのイケメン。そんな彼の隣を歩くことは明美の自尊心を大いに満足させた。


 しかも出た大学は超有名校で、就職先も大企業。将来の不安など微塵もないし、結婚すれば専業主婦として悠々自適の生活が約束されていた。


 さらに最高なのが……彼が、あらゆることに興味を抱いていないことだ。


 高校時代の『事件』をきっかけに無気力となった彼は、きっと明美が金を浪費しても何も言わないだろう。男友達と出かけても何も言ってこないはずだ。


 普段は家でのんびり過ごし、刺激が欲しくなったら別の男と遊ぶ。テキトーに主婦をやっていれば働かなくていいし、お金の心配もない。これからバラ色の人生が待っていると明美は希望に満ち溢れていた。


 そんな、幸せの絶頂の中。


 かちゃん、と。


 そんな音が聞こえるようになった。


 最初は家の中で。

 金属と金属が小さく打ち合わされたような音だった。


 何かが落ちたかなと思ったけれど、それらしきものは見つからなかったし、なによりあんな金属音がしそうな物もない。


「別の部屋かしら?」


 集合住宅は他の部屋の物音も結構響くので、明美はそう結論づけた。早く結婚して新居に引っ越したいなぁと考えながら。どうせ彼は興味を抱かないだろうから内装なども明美の好きにできるはずだ。


 かちゃん、と。


 次に聞こえたのは風呂場。シャンプーをしていたときだった。


「……もう、なによ」


 髪を洗っているときに後ろに――というのはホラーの定番であるとはいえ。自分で経験したいものではない。


 気のせい。気のせい。


 自分に言い聞かせながら、明美は努めてその『音』を意識しないようにする。お腹に力を込め、奥歯を噛みしめて。平然と、なにも気づいていないように装いながら髪を洗い終え、シャワーで泡を流す。


 そうして水を止め、鏡を見た瞬間。


「――ひっ!?」


 明美は思わず仰け反った。


 鏡に、鎧武者が映っていたのだ。


 仮面をしているので表情は分からない。だが、何らかの強い感情を感じてしまう明美だった。


 心臓が飛び跳ね、息が止まる。


 しかし。瞬きをすると鎧武者の姿は消えていた。


「み、見間違い……? そ、そうよね。落ち武者なんているはずがないし」


 恐る恐る後ろを振り向くが、やはり誰もいない。そもそもドアを開けた音もしなかったのだから人がいるはずもないのだ。しかもこの時代に、甲冑を着けた人間なんて……。


「……まさか」


 あの『かちゃん』というのは、甲冑の音だとでも?


 いいや、違うと明美は首を横に振る。そもそもあれは見間違いなのだから音もするはずがないと。


「疲れているのかしら?」


 プロポーズしてくれた彼氏は出張中なので、むしろ気ままな生活ができているはずなのに。


 疲れを取るためにもゆっくりと湯船に浸かる。そうして気分をリフレッシュさせた明美は火照った身体に不快感を覚えつつ髪を乾かした。


 夏場に長風呂は失敗だったかと少し後悔する明美。しかしもう全てが遅いので、エアコンを付けたまま眠りにつくことにした。タイマー設定すれば風邪を引くこともないはずだから。


「……明日は帰ってくるかしら?」


 同居人。恋人。いや、プロポーズしてくれたのだからもう婚約者と呼んでいいのかもしれない。そんな婚約者はプロポーズしたばかりの明美を放って出張に行ってしまった。


 どこに行ったかは分からない。良くも悪くも、彼はそういうことに無頓着なのだ。そのくらい話してくれればいいのに。


 いつものことなので気にしていないものの、今日は風呂場で妙な幻覚を見てしまったせいか人肌恋しい明美だった。


 帰って来たら思い切り抱きしめよう。彼は抱き返してくるような甲斐性はないけれど、振りほどきもしないはずだ。


 そんな幸せな明日に想いを馳せつつ明美は睡魔に身を委ねる。


 少し、肌寒いかもしれない。


 しかし半ば眠りに落ちていた明美は起き上がることができない。風邪を引いちゃうかもと思いつつ、まぁいいかと意識を薄れさせていき――


 足を、何かに掴まれた。


「きゃ!?」


 思わず身を縮めると、足はすんなりと腕で抱くことができた。本当に誰かが足を掴んだのなら、こうも簡単に引き抜けないだろう。


 眠りに入るとき、足を誰かに触られたらどうしようと不安に思うことはある。そんな経験は一度や二度ではない。


 だが、こんな風に足を掴まれたのは初めてだった。いや、実際に掴まれてはいないのだから空想なのかもしれないけれど……。


 布団の中を確かめる勇気はない。

 また、あの甲冑武者がいるような気がして。


「もう! なんなのよ!」


 足を限界まで折りたたみつつ、枕元に置いておいた無線のイヤホンを耳に付け。大音量で音楽を流しながら無理やり眠りにつこうとする明美だった。


 気のせいだ。

 気のせいだ。

 気のせいだ。


 風呂場には何もいなかったし、布団の中にも何もいないはずだ。全ては気のせい。疲れているのが原因だ。


 乱れた鼓動を落ち着かせるために何度も何度も深呼吸する。


「……早く帰ってきてよぉ」


 愛しい彼の名前を何度も繰り返しながら。明美は気絶するように眠りに落ちていったのだった。




        ◇




 翌日。

 愛しの彼は帰ってきてくれたのだが。


「はぁ!? また出張なの!? しかもすぐ出発!? 四日間って何よ!?」


 ついつい大声を出してしまう明美だった。職業柄なのか出張が多いことは実感していたとはいえ、こんなにも無茶なスケジュールは初めてだったのだ。


 愕然とする明美に対して彼はすまし顔だ。


「しょうがないだろ? 仕事なんだから」


 いつもそう。この男は感情の起伏が少なすぎるのだ。


「でも、帰って来たばかりなのに……」


「たしかに珍しいけど、そんなもんだよ。今は大事な時期なんだから」


「……実は、幽霊が出たのよ」


「は? 幽霊?」


 キョトンとする彼に向けて、明美は昨日の出来事を説明した。風呂場での甲冑武者や、布団の中で足を掴まれたことを。


 甲冑武者という単語が予想外だったのか彼が僅かに眉をひそめたが、すぐに小さくため息をつく。


「気のせいじゃないのか?」


「本当よ! 絶対幽霊なんだから!」


 まるで信じた様子のない彼に怒りが湧き、さらに大声を出す明美。


 そんな彼女に対して、彼の反応は冷ややかだ。普段から明美に振り回されているのが察せられる態度である。


「分かったよ。幽霊が出たら電話していいから」


「電話で何が解決するのよ! お願いだから一緒にいてよ!」


「だから、これから出張なんだって」


「じゃあ私も付いていく!」


「無茶言うなよ。もうホテルは予約してあるんだし、今から二人で泊まれるホテルなんて探していられないよ」


「そのホテルに私も泊まればいいじゃない!」


「ラブホじゃないんだから……。あぁ、もう行くから。怖いなら友達の家にでも避難してくれ」


「私と仕事、どっちが大事なのよ!?」


「……はぁ」


 深々とため息をついてから彼は荷物を纏め、さっさと部屋を出て行ってしまった。


 ドアを閉める重い音が室内に響き渡る。


「なんて冷たい男なの!?」


 これは結婚も考え直した方がいいかもしれない。が、これ以上の条件を持った男なんて見つからないだろうことも事実だった。


「……いいわよ。『友達』のところに避難するから」


 明美はスマホを取り出し、男友達に連絡をするのだった。



        ◇



 男友達は誰一人として捕まらなかった。皆、明らかに明美を避けていたのだ。


 おそらく明美が結婚するから距離を取ろうとしているのだろう。彼氏がいる女と遊ぶだけならともかく、既婚者とそういう関係を続けては浮気となり、もし露見したら慰謝料を請求されてしまうかもしれないからだ。


 しょせん自分は遊びの関係。男にリスクを冒させるほどの魅力がなかった。


 その事実を突きつけられた明美は荒れていた。

 うまく行かない。


 結婚すれば彼ももっと明美との時間を作ってくれると思ったのに、出張ばかり。


 男友達は離れていき、今後も捕まるかどうか分からない。結婚が決まれば順風満帆な人生が始まるはずだったのに、これでは……。


 そしてさらに明美を悩ませていたのが、あの音だ。


 かちゃん、と。


 昼夜を問わずに音がした。


 歯を磨いているときも。朝ご飯を食べているときも。買い物をしているときも。テレビを見ているときも。仕事中も。寝ているときにも。気づけば甲冑の音がしていた。日に日に、音のする回数が増えてきていた。


 まるで、徐々に近づいて来ているように。


 また音がした。


 かちゃん、と。


 今日はそれに加えて、ぎしりという音もした。


 何かを踏みしめたような。そんな、足音のようなものが。

 近づいて来ている。

 甲冑の音がする。

 呼吸の音すら聞こえる気がする。


 嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 怖い。

 怖い。怖い。怖い。怖い。


 振り向いちゃいけない。


 いけないと分かっているのに、明美の首は自らの意志に反して横に動いていき――


 スマホが鳴った。

 彼からだ。


 今電車に乗っていて、もうすぐ駅に着くという。


 スマホを握りしめて明美は駆けだした。駅に向けて。少しでも早く彼に会うために。


 抱きしめたい。

 一緒にいて欲しい。


 もう嫌だ。


 今日は一緒に寝てもらって、明日神社でもお寺でもお祓いのできそうな場所に行こう。なんでだか分からないけど、きっと何かに取り憑かれているのだ。


 悪いことなんてしてないのに。


 幽霊に取り憑かれるようなことはしてない。肝試しもしていないし、廃墟巡りもしていない。生き物を殺したこともないし、変な動画を見たこともない。


 そう、明美は、何も悪いことなどしていないのだ。


 かちゃん、と。


 背後で甲冑の音がした。

 追いかけてきたのだ。早く逃げなきゃいけない。


 タクシーを拾い、飛び乗る。向かってもらう場所はもちろん駅。彼が帰ってくる最寄り駅だ。


 かちゃん、かちゃんと音がする。車に乗っているのに。人間では追いつけない速さで走っているのに。背後から。すぐ後ろから。甲冑の音が響いてくる。


「もっと! もっと早く!」


「お客さん、そんなこと言われても無茶ですよ!」


「なんでよ! なんで付いてくるのよ!? あっち行ってよ!」


 頭をかきむしる明美を見て、タクシーの運転手はとんでもない客を拾ってしまったとウンザリする。


 タクシーが駅に止まり、明美はドアを開けて飛び出した。お金を払うことすらせず。


「ちょっとお客さん――」


 運転手の声を無視して明美は走る。自動改札をまたいで越え、駅のホームへ。


 音がする。

 かちゃん、かちゃんと。


 音がする。

 どんなに走っても逃げ切れない。


 ずっと、明美のあとを付いてきている。

 甲冑の音がする。草履の音がする。呼吸の音がする。


 すぐ後ろに、いるのだ。

 甲冑武者が。

 明美を追いかけてきているのだ。


「なんなのよ! ふざけないでよ!」


 他の客を押し退けながらエスカレーターを駆け上がり、駅のホームにたどり着いた。


 もはや明美自身、どのホームにいるか分かっていない。

 でも、明美には分かるのだ。


 この次に来る電車には、きっと、愛しの彼が乗っているに違いないと。


 電車がやって来た。

 ライトで明美の姿が照らされる。


 早く。早く早く早く!

 早く着いて。

 早く帰ってきて。


 助けて。

 私を守って。


 お願いだから――



『――約定は、未だ果たされず』



 男の声がした。

 背後から。

 背中を、押された。


 明美の身体がホームから線路に向けて突き飛ばされる。電車が入ってくる、線路へと。


 ブレーキの音がする。

 誰かが悲鳴を上げた。

 あるいは明美が叫んだのか。

 運転手と目があった。


 そうして。明美は。






 その日。電車への飛び込みがあった。


 車体とぶつかった女性の肉体はバラバラになり、特に首は数十メートルも飛ばされた上にコンクリート壁に激突。全体の半分ほどが陥没し顔の原形は残っていなかったという。


 目撃者の証言や防犯カメラの映像から、自殺であろうと判断された。


 また、駅構内での行動や直前に乗っていたタクシーでの様子から、精神的に極めて不安定な状態であったことが推測された。


 彼氏からプロポーズされたあと、彼氏が長期の出張に行ってしまいマリッジブルーのような状態になったのではないかとの結論が下され、捜査は終了した。






 彼女が飛び込んだ電車。


 その電車には、彼女の婚約者が乗っていたという。



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