群馬県の『祠』についての報告書
群馬県の某市には大規模な城跡がある。
かつては壮大な天守閣がそびえ立ち、交通の要所として上杉謙信や北条氏、真田幸村、豊臣秀吉らが奪い合ったという歴史に名を残す城だ。
その城には古くから『千鬼』伝説が存在する。
名前の由来とされるものは複数ある。千年を生きた鬼であったとか、千人力であったとか、千匹の鬼を率いていただとか……。ともかく、強大な力を持った鬼であり、この城を根城にして周辺を荒らし回ったのだという。
そんな千鬼を討伐したのが、赤い甲冑で有名な真田幸村であった。
いわく。千鬼と真田幸村は一騎打ちを行い、勝利した幸村が千鬼の首を刎ねたという。
いわく。刎ねられた首は宙を舞い、死してなお幸村の兜に噛みついたという。
いわく。千鬼の魂を鎮めるため、幸村は城跡に祠を作り、千鬼を祀ったのだという。
なんともありがちな昔話であるが、その昔話には続きがある。
かの豊臣秀吉がこの城を攻めたとき、城主は千鬼の祠に息子の首を捧げる代わりに秀吉軍の撃退を願ったのだ。
数万の軍勢に囲まれ、降伏も許されない中。城主が息子の首を刎ねた瞬間に雷鳴轟き、崖が崩れるほどの豪雨となり、城を囲む秀吉軍を鉄砲水が押し流したのだそうだ。
現代の目で見ればただの偶然。この災害大国において何ヶ月も城を囲んでいれば、大雨洪水に遭遇してもおかしくはない。
だが、当時の人々はその呪力を恐れた。
首を捧げればどんな願いも叶うのだと噂した。
噂は事実として扱われ、やがて信仰となった。
江戸時代の頃はかなり頻繁に願いが行われていたのだという。飢饉が起きれば罪人の首を刎ね。大雨が続けば生け贄の首を刎ね。領主が暴政を行い民の生活を顧みなければ、義人(志願者)が自らの首に刃を突き立てて領主の没落を願った。その力は凄まじく、領主は領国を失い、天守閣すら破却されたという。
そのような危険な祠を、周辺住民は千鬼様として今も畏怖しているという。
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