契約
「おっと、私としたことがお冷やも出さなかったね」
美代子が給湯室らしき場所に向かったので、時間つぶしも兼ねて改めて室内を見渡す幹也。
やはり古い建物だ。
室内もまた時代遅れのレンガ造りであったが、逆にオシャレなような気がする。シャンデリア、よりは大人しめな照明はレトロな形をしていて明治期の洋館を思わせる。
その他には棚や本棚といったものはなく、ともすれば殺風景な部屋なのだが、元々の部屋のレトロさのおかげか一つの美として調和しているような気がする。
やはり文化財と言われても信じられる建物だなと幹也が考えていると、美代子がコップに入った水を持ってきた。
「すまないね。まだティーセットは荷ほどきしていないんだ」
「あぁ、いえ、お気遣いなく」
「……ずいぶんと青い顔をしているね。遠慮せずに飲むといい」
暑い中を歩いて喉が渇いていたのでありがたくいただくことにする。
「ん?」
どことなく甘かった。とはいえジュースほど濃い味ではない。フレーバーというものだろうか。
「これは……桃?」
「桃とは邪気を払うものだからね」
「はぁ」
そんな話は聞いたことがない幹也だが、まぁ気休めにはなるかと納得する。
水分を補給したおかげかずいぶんと意識がハッキリしてきたような気がする。頭の中のモヤが晴れたというか……。
あまり長居するのも悪いし、遅まきながら本題に入ろうとする幹也。
「本日のご相談というのは、後ろにいる『彼女』についてでして。あぁ、いや、祠でもいいのですが」
「ふむ、除霊かな?」
「――いいえ、違います」
「ふむ?」
「彼女の声を聞き、意志を確認したいのです」
「声。なるほどイタコのような感じか。幸いにしてキミには『才能』があるから難しい話ではないね」
「そうですか。では――いつ俺を呪い殺してくれるのか、聞いてもらってもいいでしょうか? 彼女と祠、どちらでも構いませんので」
一瞬。
事務所の中に静寂が舞い降りた。
「……穏やかじゃあないね。少し、話を聞いてもいいかな?」
口調こそ静かなものだが、有無を言わせぬ雰囲気がある。そんな美代子の態度に圧倒された幹也はゆっくりと語り始めた。
「あの子は高校時代の虐めのせいで、自ら命を絶ちました。首吊り自殺でした。彼女は俺のせいで死んだのです。だから今も俺を恨んで、ずっと後ろに憑いてきているんです」
「虐めか。惨いことをする」
「……惨いことをしました。悔いたところでもう遅いのです。虐めていた人間は一人残らず死に、先日は虐めを無視していた担任も死にました。だから次は俺の番なんです」
「ほぅ? 虐めていた人間が、一人残らず? 後ろの女性はそんなに強い霊とは思えないのだが……。いや、それは祠がやったのかな?」
ふむ、と下を向いて悩み始めた美代子は、しばらく唸ってから顔を上げた。
その視線が向けられているのは幹也。の、肩の上のあたり。まるで彼の後ろに誰かがいるかのように視線を固定し、ときどき頷いていてすらいる。
ゆっくりと首を動かし、横目で背後を確認する幹也だが、やはり後ろには誰もいないようだ。
「――ふむ。中々に複雑な事情がありそうだ」
ゆっくりと頷いてから美代子は煙草に手を伸ばし、火を付けた。
煙い、という感じではない。一般的な煙草よりも特徴的な香りがするというか、妙に鼻腔をくすぐるというか……。
事務所に入ったときの不思議な香りは煙草のものだったのかと幹也は気づく。
美代子は煙草をくゆらせてから幹也に視線を戻した。
「先ほども言ったように、キミの後ろには少女の幽霊と、祠が見える。少女の幽霊は葛城日菜。自殺したという子だ」
「……はい」
もはや、一度も口にしていないはずの『葛城日菜』という名前を言い当てられても驚かない幹也だ。
「葛城日菜についてはあまり危険視しなくてもいい。いずれは成仏させなければならないが、緊急性が高いというわけでもない。が、問題は祠の方だ」
「祠ですか……」
「そう。まだ詳細は見えないが非常に危険な祠だ。幸いにして『本体』はいないから――言うなればマーキングか。キミがどこにいても分かるよう印が付けられている。それが私には祠に見えるのだろう。たぶんキミが逃げ出してもすぐに見つけられるようにだね」
「あ、はぁ……」
そのあたりの理屈はまるで分からない幹也だが、反射的に頷いてしまう。
「とにかく。その祠は非常に危険だからね。早急に何とかしなければならない」
「何とかというと、成仏とか、破壊とかですか?」
「うん、まぁ、できれば監視からの経過観察で済ませたいんだけれどね。私だって自分から危険に飛び込むような真似はしたくないし。ただし、四人もの被害者が出ているならそうも言っていられないだろう」
四人。
日菜を虐めに関連していて、死んでしまった人間の数は教えただろうかと幹也は首をかしげる。思い返してみても口にした覚えはないのだが……。やはり、不思議な力でそういうものも分かるのだろうか?
それはともかく、今重要なのは美代子の意見。つまり彼女は、葛城日菜を虐めていた人間の死には『祠』も深く関わっていると言いたいのだ。
「ただし、だね。何の下調べもせずに手を出すとこちらが死んでしまうからね。慎重に行きたいのだよ」
「はぁ……」
「そこで、だ」
にっこりと美代子は笑った。まるで作り物のような笑顔。悪魔が人間のフリをしているかのような笑顔。……なぜか逃げることができなさそうな笑顔。
「キミにも協力して欲しいのだが」
「協力、ですか?」
「あぁ。キミには祠が取り憑いているからね。正確に言えば祠に祀られている『もの』か。キミが近くにいれば、祠の反応が観測しやすいのだが」
「祀られているもの……『千鬼』というものですか?」
「ほぅ? よく名前まで知っているね?」
「一応、俺もこのあたりの出身ですので。今は東京に出て働いていますけど」
「なるほどこのあたりでは『千鬼様』と呼ばれているのだったか。まだ資料に目を通し切れていないんだよね……。だが、それなら話は早い。地元の人間ならば千鬼の危険性についても言い聞かされているのだろう?」
「一応、昔話程度ではありますが……」
なんだか協力する方向で話が進んでいるな、と、どこか他人事のように思ってしまう幹也だった。
正直言って、心霊関係の理屈はまるで分からないし、自分はいてもいなくても変わらないのではないかと思う。
しかし、である。
あの祠の恐ろしさは幹也もよく知っているところだ。自分はもう手遅れだろうが、他の人間が恐ろしい目に遭わないために祠について調べたり、対処しておくというのは悪くないかもしれない。
――どうせ死ぬのだから、せめて人の役に立つようなことをしてから死にたい。
そんな風に考えた幹也は美代子に向けて小さく頷いた。
「そうですね。俺にできることなら協力しますよ」
「うん、そう言ってもらえると助かるよ。これからよろしくね、幹也君?」
先ほどの作り物めいた笑顔ではない、柔らかな微笑み。それを見た幹也は思わず胸を高まらせてしまうのだった。単純すぎるだろう、と自分でも呆れてしまうが、驚くほどの美人が目の前にいるのだから仕方ないと誰にともなく言い訳してしまうのであった。




