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群馬県の祠についての報告書  作者: 九條葉月


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3/16

先生

 若い女性の声だ。


 凜とした、とでも表現するのだろうか? 妙に耳に残るというか、喧噪の中でも良く響きそうというか。とにかく、一度聞いたら忘れられないような特徴的な声音だった。


「……失礼します」


 なぜだか胸を高まらせながら幹也はノブを引き、ドアをゆっくりと開けた。


 まず感じられたのは鼻を刺激する嗅ぎ慣れない香り。香水……いいや、お香というものかもしれない。線香に似た、というのはさすがに失礼な表現か。


 次いで彼の心を掴んだのは、部屋の中にいた女性の姿。


 年齢は二十代前半くらいだろうか?


 まず目に付くのは滅多にお目にかかれない銀色の髪だ。ロシアとか北欧の生まれなのだろうか? 顔つきも日本人離れしたホリの深い顔なのでおそらくはそうなのだろうと幹也は考える。


 瞳の色も赤いので、それを考えれば染色体の異常アルビノなのかもしれない。


 息を飲むほどの美人である。まるで外国の女優を前にしているかのようだ。


 銀髪という特徴がありながら、それに負けることのない美貌。その上さらに和服を着込んでいるのでギャップがあるというか、エキゾチックな雰囲気すら漂わせている。少なくとも『探偵』よりは女優とかモデルをしている方が似合っているはずだ。


 ともすれば見た目重視で選ばれた事務員ではないかと考えたくなるが、おそらくは違うだろう。


 まず第一に、いかにも偉そうな執務机の椅子に腰掛けていること。


 第二に、現代では珍しい和服を着込んでいること。


 第三に、事務作業に適さないレース編みの手袋をしていること。


 以上の三点から事務員ではないだろうと推測した幹也だ。


 そんな彼からの訝しげな目を理解しているかのように。和服の女性はこれ見よがしな深い笑みを幹也に向けてきた。


「いらっしゃい。今日はどんなご用件かな?」


「あ、はぁ……」


 ずいぶんと特徴的な言葉遣いであるが、『探偵』なのだからそういうものかと納得する。それに昨今では女性らしくないという表現は良くないと聞くし。


「あの、すみません。予約などしていないのですが……」


「あぁ、大丈夫。他に来客の予定はないからね。気にする必要はないよ。ようこそ怪奇探偵事務所へ。はじめまして、だね? 私が代表の朽木美代子だ」


 美代子。


 何とも時代がかった名前だ。とは、さすがに口にしなかった幹也だ。いくら何でも失礼すぎるだろう。


「はじめまして。皆藤幹也です」


「幹也君か。ま、とりあえず座ってくれたまえ」


「は、はい」


 初対面だというのに名前呼びされたことに戸惑いつつ、美代子に促されるまま部屋の中心に設置されたテーブルとソファに座る幹也。


「すまないね、まだ引っ越し作業が終わっていなくて散らかっているんだ」


 美代子が椅子から立ち上がり、幹也の対面のソファに移動しながら肩をすくめた。


 部屋に入ったときはすぐ美代子に目を奪われたので気づかなかったが、言われてみれば部屋の片隅に幾つものダンボールが未開封のまま積み重なっている。


「もしかして、まだ営業開始ではなかったでしょうか?」


「いや、絶賛営業中だよ。むしろここでお客さんを逃がしたとあっては従祖母(じゅうそぼ)に叱られてしまう」


「じゅうそぼ、ですか?」


「うん、私の祖母の妹。たいへんな長寿でね。つい最近まで元気に事務所を運営していたみたいなんだが、色々あって私が引き継いだのさ。まだ書類申請すら終わっていないよ」


「なるほどだからダンボールが……」


 幹也が納得していると対面のソファに美代子が腰を下ろした。


 銀色の髪と美貌に心奪われそうになるが、気を取り直して質問する。


「すみません。誰かからの紹介などではなく、偶然見かけて立ち寄ったのですが。ここは怪奇事件専門の探偵事務所でよろしいのですか?」


「そうなるね。――しかしずいぶんと珍しいね」


「珍しい、ですか?」


「うん、珍しい。しかもそれが二つともなれば、かなり珍しいと言えるだろう」


 美代子がどこか楽しげに右手の人差し指と中指を立てた。


「まずは徒歩でこんな崖の途中にある事務所を見つけたこと。ここらの人間はみんなバスやタクシーを使って下鄕の駅から上鄕に向かうのにね」


 このあたりの人間は崖上の町を上鄕、崖下を下鄕と呼んでいるのだ。幹也も高校まではこの街で暮らしていたので言葉の意味は理解できた。


 確かに上鄕と下鄕は70mほど高低差があるので大体の人間は車を使うが、歩く人間もいるのではないか? とは思うのだが、ついつい弁明してしまう幹也だった。


「あぁ……この近くに、知り合いの墓がありまして。今日も墓参りの帰りなんですよ。そして、次のバスが一時間ほど後だったので歩いてしまおうと」


 我ながらずいぶんと説明臭いセリフだなと思ってしまう幹也だったが、美代子は納得してくれたようだ。


「なるほどね」


「……もう一つの珍しい点とは、なんでしょうか?」


「そうだねぇ。ちょっと説明に困るが、こんな事務所に来る君には素直に伝えてしまおうか。――後ろにいる若い女性は、その墓参りの相手かな? 首吊り自殺とは穏やかじゃないね。着ているのは近くの高校の制服かな?」


「――――っ」


 思わず後ろを振り向いてしまう幹也であった。


 しかし。当然。言うまでもなく。彼の後ろには誰もいなかった。天井から垂れ下がったロープも、ゆらゆらと揺れる学生服の少女も存在しない。


 美代子が適当なことを言っている可能性はある。それが偶然一致しただけかもしれない。だが、若い女性の首吊りというキーワードに、幹也の心はかき乱されていた。しかも近くの高校の制服となれば……心当たりが、ある。


「首吊り。いったいどういうことでしょうか?」


「そんなこと、キミが一番よく分かっているんじゃあないかい?」


「…………」


「キミはどうやら『目』はないが感受性は高いらしい。あるいは自覚があるから鋭くなっているのかな?」


「は、はぁ? 自覚ですか?」


「どちらにせよ、感じられるのに視えないというのは憐れだね。そんなキミのために解説をすると……取り憑かれているね。しかも、二つ」


「二つ、ですか?」


 一つなら心当たりのある幹也だが、二つと言うからにはもう一つ『何か』がいるのだろう。あの子以外に、何かが。


「う、後ろに何がいるのですか?」


 もはや疑うことすらせずに質問してしまう幹也だった。


「一つは、首を括った少女の幽霊。もう一つは……ふむ。妨害されているね」


「妨害?」


「そう。この私でも不用意に手を出すと返り討ちになってしまうほどの『格』だ。今見えるものとすれば――祠、だね」


「祠……」


 思い当たる節のある幹也だが、しかしどう説明したものかと思い悩む。そもそも彼がこの事務所の扉を叩いたのは祠をどうにかして欲しいからではない。


(さて……)


 最初は怪しいと感じていた幹也だが、後ろにいるはずの『彼女』を言い当てられてしまっては信じるしかない。ペテン師であるならばもう少し会話をして、幹也から情報を引き出してからそれっぽいことを語り始めるだろう。だが彼女は一見して首吊りの少女を当ててみせたのだ。しかも幹也が卒業した学校の制服を着ていると……。


 おそらくは本物だ。

 相談内容を伝えよう。


 そう決めた幹也だが、今度は別の意味で言葉が止まってしまう。目の前の女性をどう呼べばいいか迷ってしまったのだ。彼女のように、初対面の人間を名前呼びする勇気などない。


 となれば名字となるが、たとえば教師や弁護士であれば名字でなく『先生』と呼びかけるのが普通だろう。


 しかし、探偵という職業に対してどのような呼び方をすればいいか分からなかったのだ。探偵さん、先生、あるいは別に適した呼び方があるかもしれない。


「えーっと……。先生、という呼び方でよろしいでしょうか?」


 どこか間抜けな問いかけをしてしまう幹也だった。


「あぁ、構わないよ。いいじゃないか先生。まるで明智小五郎のようだね」


「はぁ」


 明智小五郎とはまた古い探偵を例に出してきたなと感心するやら呆れるやらの幹也だ。少なくとも彼女のような若い女性が江戸川乱歩の生み出した名探偵・明智小五郎の名を口にするのは初めて見た。


 いや、今重要なのはそこではないかと幹也は首を横に振る。記録的な暑さの中歩いたせいかどうにも思考が纏まらないようだ。


 あるいは。目の前の美しい女性に心乱されてしまっている可能性もなきにしもあらずだが。美代子という女性はそれほどまでに美しい。



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