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群馬県の祠についての報告書  作者: 九條葉月


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むかしばなし・3

 


 雨が降り始めた。

 伸一の家を出た幹也は亡霊のように歩いていた。


 もう春とはいえ、雨に濡れれば身体が冷えるし、風邪も引いてしまう。


 だが、幹也は傘も差さずに足を動かす。


 目指す場所は特にない。

 下鄕にある伸一の家から、崖を登って上鄕へ。


 上鄕には幹也たちが通っていた学校があるので、必然的に日菜との思い出も多い。最終的には疎遠になっていたが、それでも高校一年生くらいまでは一緒に行動することも多かったのだ。


 放課後にコロッケの買い食いをした肉屋。一緒に立ち読みをしてバスを待ったコンビニ。二人で入った食堂。幹也の趣味に付き合わせた模型屋に、日菜に付き合った図書館。


 この街にはどこもかしこも日菜との思い出に溢れている。


 そんな中。

 思い出を辿るようにして歩いた幹也は、最終的に城跡の公園にたどり着いた。


 父親が歴史の研究者だった日菜は、必然的にこの城跡のこともよく調べていた。上杉謙信とか、真田幸村とか、歴史の素人も知っているだろう名前を何度も聞いた覚えがある。


 幹也も日菜に付き合ってあちこちに出向いたものだ。この城跡はもちろんのこと、古い神社や旧家など、祠に関する伝説が残る場所に。何度も何度も。


 今思えば、あれも一種のデートだったのかもしれない。幹也はともかく、日菜がどういうつもりだったのかはもう永遠に分からないのだが。


 必然的に、幹也もそれなりに祠に関する知識を有している。


 いわく、真田幸村が討伐したという『千鬼』の首塚。


 千鬼の呪いは凄まじく、時には大洪水を引き起こし、時には大名家を没落させたという。


 首を代償にして願えば、どんな願いも叶うとされる。


 ――ぎしり、と。


 幹也の背後で音がした。

 この祠の力を使えと、きっと日菜が催促しているのだ。


 幹也に恐怖はない。命を惜しむ理由もない。幹也の首一つで復讐が成し遂げられるなら、迷うことなく捧げてやる覚悟はできていた。


 復讐を。

 それを日菜も望んでいるはずだ。


 虐めていた連中を呪い殺してもらい、最後に代償として幹也の首を捧げる。それで日菜は満足して成仏するはずだった。


 ぎしり、と音がした。


 きっと日菜が同意したに違いない。

 まずは明美。そして理喜と聡也という男。そして清彦……。


「お願いします――」


 そうして。

 幹也は祠に願った。明美の死を。他の連中の死を。それが日菜の遺志であると確信しながら。


 ぎしり、と。


 その音に込められた意味は、誰にも伝わらなかった。



        ◇



 そうして幹也は復讐の最終段階にいた。日菜の担任、日菜の虐めを見て見ぬふりをしていた清彦に報いを受けさせるときが来たのだ。


 ぎしり、と音がする。


 日菜がいるのだ。


 かちゃん、と音がする。


 千鬼様もいるのだ。


 もうすぐだと幹也は日菜に心の声で語りかける。もうすぐキミに呪い殺してもらえると。


 ありがとうございます、と幹也は千鬼様に感謝する。あなたのおかげで復讐は成し遂げられそうですと。


 甲子園に向けた壮行会。その会場となるホテル。


 元野球部の伸一から招待状を譲り受け、幹也は『野球部OB』として会場の中に入った。偽物がやって来ることなどそもそも想定していないのか、案内状と名前の確認だけで受付を通過できたのは幸いだった。


 十年。

 あのグラウンドで怒鳴られたときより、清彦は老けたと思う。


 こんな生徒数も少ない田舎の学校を甲子園にまで連れて行ったのだから実力は確かなのだろう。部外者には想像すらできない努力を重ね、栄光への切符を掴んだのだろう。


 だが、だからどうした?


 日菜の命よりも自らの栄誉を選んだ男。こいつには、甲子園の壮行会という栄誉ある舞台で、死んでもらう。


 十年前の過去の怨念で、これからの未来を刈り取る。幹也がしようとしているのはそういうくだらない復讐だ。


 ぎしり、と音がする。


 かちゃん、と音がする。


 ほら、先生。聞こえるでしょう? 日菜の恨みの音が。首を得られると喜ぶ千鬼様の音が。俺にはずっと聞こえていました。日菜はずっと復讐を求めていました。千鬼様は首を求めていました。ずっとです。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。


 おとが、まだ、きこえる。


「う、うわぁああぁあああっ!?」


 甲冑の音が聞こえたのだろう。清彦は突如として発狂し、窓ガラスを破壊し、外へ向けて飛び降りた。


 こちらを振り向いた彼の表情は――笑っていた。


 安堵の顔だ。

 解放された者の顔だ。

 救われた者の顔だ。

 なんて羨ましい。


 でも、もうすぐだ。

 もうすぐ俺もそうなるんだ。他ならぬ日菜の手によって。


 期待に胸を躍らせながらエレベーターを降り、一階へ。騒動の話が聞こえたのかスタッフが慌ただしく動く中、悠々と玄関から外に出る。


 ホテルによくある、先が槍のように尖ったフェンス。


 その上に落ちた清彦の死体は、フェンスによって首が切断されたようだった。もはや暗くてよく見えないが、朝になれば飛び散った血で凄惨な光景となるはずだ。


 そんな清彦の死体の側に甲冑武者が立っていた。


 今は犠牲者に気を取られているようだが、いずれ『代償』を得るために幹也の元へやって来るだろう。


 だが、幹也に恐れはない。

 なぜなら彼はもう、日菜の復讐を成し遂げたのだ。


 幹也は意気揚々とホテルから帰路についたのだった。



        ◇



 おかしい、と幹也は首をかしげるしかない。


 あのホテルの件から数日。東京に戻った幹也はまだ殺されずにいた。


 甲子園出場監督の突然の悲報ということで、この数日は清彦の死が世間を騒がしていた。


 状況から自殺であることは間違いないので、直前まで近くにいた幹也も疑われることなく捜査は終了したようだ。


 まぁ、もうすぐ死ぬ幹也にとっては拘留されようが逮捕されようが関係ない話なのだが。


 しかしおかしい。

 今でもときどき音は聞こえる。ぎしり、と。幹也の後ろで音がするのだ。


 甲冑の音は聞こえない。

 日菜の音だけが聞こえる。

 代償はどうなったのか?


 幹也が死なないから、まだ日菜も成仏できないのか?

 あるいは、まだ復讐対象がいるとか。そういう可能性はないだろうか?


「……もう一度、伸一に話を聞いてみるか」


 そう決意した幹也は日菜の月命日の日。墓参りを兼ねてまた地元に帰って来た。


 墓参りを終えた幹也はまず城跡にある祠に向かった。手土産として日本酒を携えて。


「……ありがとうございました。首はいつでも取ってもらって構いません」


 日本酒の瓶を祠の前に置き、手を合わせる幹也。


 恐ろしい力を持つ鬼に対してこの行動が相応しいのかどうか分からないが、幹也にとって彼は一種の戦友のように感じられたのだ。


 今日もまた、暑い一日だった。


「さて。それじゃあ伸一の家に向かうか」


 そうして。タクシーを呼ぶ手間を惜しんで伸一の家までの徒歩を選択した幹也は見つけたのだった。――怪奇探偵事務所を。



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