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群馬県の祠についての報告書  作者: 九條葉月


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探偵事務所



 焼かれるような暑さだった。


 真夏だから仕方がないとはいえ、それにしても限度というものがあるだろう。肌は直火で焼かれるように痛いし、地面から立ち上がる熱気は容赦なく気力と体力を奪っていく。


「うわぁ、42℃……」


 町中に設置された温度計を見てしまった青年・幹也はそんな情けない声を漏らした。


 年齢は二十代の後半といったところだろうか。


 丁寧に剃られた髭に、ばらけることなく後ろになでつけられた髪。普段はスーツを着こなしていることが察せられる伊達男なのだが、今は暑さに負けてジャケットを脱ぎ、太陽から少しでも距離を取ろうとするかのように背中を丸めていた。人によっては『みっともない』と顔をしかめるだろうが、この暑さでは他人の様子を気にする者もいなさそうだ。


「次のバスが一時間後だったから仕方ないとはいえ……」


 一ヶ月前に来たときも暑かったが、今日の熱波は輪を掛けて酷い。軽率に駅まで歩くという選択をしてしまった自分を責めたくなる幹也であった。


 こんなことならタクシーを使えば良かったかと思う彼だが、しかしタクシーを呼ぶ手間が惜しかったのも事実。あのときの自分を恨みつつも、しかしもう何もかも遅かったのだった。


「まぁ、でも、これだけ暑ければ幽霊も出ないだろうし――」


 自分自身に言い聞かせるようにそう独りごちたところで、


 ぎしり、と。


 背後からそんな音が聞こえた。


 町中からは聞こえるはずがない音だ。ロープが締まったというか、軋んだというか、何か重いものを吊り下げたというか。


 嫌な予感がする。

 汗が一気に引いた気がする。


 先ほどまでの暑さは一気に引いてしまっていた。まるで急に真冬になってしまったかのような、寒さ。


 振り向いてはいけないと幹也の本能が警告を発している。


 しかし、彼は迷うことなく後ろを向いた。何かを求めるように。何かを期待するかのように。


「…………」


 背後には、なにもいなかった。


 当然だ。

 今まで何度も何度も確かめて、何度も何度も空振りをしてきたのだから。いきなり、突然、『幽霊』が現れるはずもない。ないと、分かっているのだが。


 セミの音が耳朶に響き渡る。先ほどまでは聞こえなかったはずなのに。


 これではまるで、あの音を幹也に聞かせるために、セミたちが鳴くのを止めていたようではないか。


 そんなことはあり得ない。セミがそんな気遣いをするはずもない。


 だが、あの音は確かに聞こえていたはずで。ぎしり、ぎしりと。幹也の後ろで確かに揺れていたはずで。


 あぁ、と彼は首を横に振る。


 彼女はまだ、俺を許してはいないのだと。



      ◇



 駅を目指し、坂道を下っていく。


 この道はかつて城の裏手だったらしく、防御のために何度も何度も折れ曲がっていて歩くのが非常に億劫な道だった。かろうじて歩道は存在するが、ガードレールすらないので恐怖心を抱かされてしまう。何度も通った幹也だが、まだまだこの道に慣れる様子はなさそうだ。


「木陰のおかげで日差しが和らいだのがせめてもの救いかな。いやしかし、まだまだ暑いな……。ん?」


 視界の端に赤い色が映った幹也は思わず立ち止まってしまった。


 建物を取り囲むように存在する生け垣。緑の中にいくつかの花が咲いていたのだ。


 相変わらず暑いし、セミの声もうるさいのだが。それでも綺麗な花が咲いていると不快感が和らぐような気がしてくるから不思議なものだ。


 生け垣を楽しむ中で、自然と生け垣に取り囲まれた建物にも視線が移る。


「……なんともまぁ」


 山の中の曲がりくねった道。無論歩道すらギリギリで設置できる程度の道幅しかないのだが、僅かな隙間を利用して二階建てのビルが建っていたのだ。


 崖からせり出すように柱と建物が建っているというのはよく見たことがあるが、このように岩壁にめり込むような形で建っているビルを見るのは初めてな幹也だった。


 古い、古い、レンガ造りの建物だ。何らかの文化財に指定されていてもおかしくはないほどの。


 二階建ての窓にはレトロなガラスが埋め込まれていて、壁面には生活感を損なわない程度の蔦が生い茂っていた。壁のレンガは所々が欠けていていかにも古そうだ。


 この街はそもそもが時代に取り残されたというか、古き良き昭和の空気を漂わせているのだが、この建物は格別だった。かつての戦争で空襲を生き延びたと言われても信じられそうなほどに。


「……怪奇、探偵事務所?」


 一階と二階の間の壁に掲げられた看板を目にして、少し間の抜けた声を上げてしまう幹也だった。探偵事務所というだけで珍しいのに、『怪奇』とはいったいどういうことだろうか?


「まさか、怪奇事件専門の探偵事務所とか? そんなバカな」


 たとえば。これが漫画やアニメであったならばそういう探偵がいても不思議ではないだろう。怪奇事件を取り扱う探偵。きっと幽霊が見える目を持っていたり、悪霊を消滅させる不可思議な力を有しているのだ。タイトルはすぐに思い浮かばないが、幹也もそんな感じの小説を読んだ覚えがある。


 しかし、ここは現実だ。


 現実世界に怪奇事件専門の探偵なんて存在するはずが――


 ぎしり、と。


 背後から再びそんな音が聞こえた。幹也の後ろにあるのは車道と崖だけだというのに。ぎしり、ぎしりと。響いてくるはずのない音が聞こえてしまう。ロープが締まったというか、軋んだというか、何か重いものを吊り下げたというか……。


 そうだ。幽霊が存在するのだから、幽霊専門の探偵がいても不思議ではない。


 ……専門家が見れば、何か分かるだろうか?


 そんなことを考えてしまう幹也だった。


 あり得ない、と首を横に振る。こういうのはペテン師が出てくるのが相場だし、初対面の怪しい人間が何を言ったところで信じられるはずもない。


 だが。幹也は気になってしょうがなかった。


 怪奇事件専門。


 そう看板に掲げるのだからよほどの自信があるはずだ。


 普通の神経をしていればまず避けて通るし、こんなニッチな探偵事務所などすぐに潰れてしまうはずだ。


「……営業は、しているみたいだな」


 ならばこの怪しさを補って余りある実力があるのだろう。しかも、こんな辺鄙な地方都市で経営していけるほどの。


「なら、一つ立ち寄ってみるか」


 事務所であればエアコンも付いているだろう。


 それに、騙されそうになってもそれはそれで親友への土産話になりそうだ。


 むしろその二つを主目的にしつつ、幹也は怪奇探偵事務所とやらに挑戦してみることにした。


 改めて建物を観察してみる幹也。


 一階部分は駐車場で、その脇に二階への階段が付いているという形らしい。雑居ビルにはよくある形式だと思う。レンガ造りというのは珍しいかもしれないが。


 駐車場に停められていたのは、これまた古くさい――いや、クラシックな車だった。車に詳しくない幹也でも年代物だと分かるほどの。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 幽霊ならばむしろ出てきて欲しいのだが。と呟きながら幹也は一階部分のドアを開け放った。威容に軋む音になぜか心がかき乱される。


「…………」


 何度か深呼吸をしてから幹也は二階へと続く階段を見上げた。


 窓もなく、電気もない階段。もはやホラー映画に出てきそうなほどの不気味な雰囲気を漂わせている。


 探偵事務所にしてももう少し入りやすい感じにすればいいのに、と考えながら幹也は階段の一段目に足を伸ばした。


 ぎしぎし。ぎしぎしと。

 ぎしり、ぎしりと。


 階段が軋む音がする。


 後ろからロープが軋むような音がする。


 階段の中程で一旦立ち止まり、深呼吸。ゆっくりと後ろを振り向くが、もちろん何もない。


 ぎしぎし。ぎしぎしと。

 ぎしり、ぎしりと。


 階段の音とロープの音に脳内を支配されながら幹也は階段を上りきり、ドアの前に立った。


 木製のドア。はめ込まれた磨りガラス。看板代わりであろう小さな木片には『怪奇探偵事務所』と筆書きされていた。いよいよもって昭和、あるいは大正時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥りながら、幹也はドアを軽くノックした。


 しばしの沈黙の後。


「――はい、どうぞ」


 中からそんな声が響いてきた。


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