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第九話:公衆衛生革命

「この村を救うための緊急プランです」


恵が、村長とわずかに集まった村人たちの前で説明を始めた。


煮沸消毒、衛生管理、栄養補給。現代知識に基づく「カイゼン」計画。だが、村人たちの反応は冷ややかだった。


「何を馬鹿なことを」


村長が吐き捨てるように言う。


「貴重な薪を使って、ただの水を沸かすだと? そんなことで『呪い』が解けるものか」


「そうだ! 神官様でもダメだったのに、余所者の小娘に何ができる!」


反発の声が上がる。知識が乏しく、絶望に打ちひしがれた彼らにとって、結衣たちの提案は非常識極まりないものだった。


「非効率的な反論です」


恵が冷徹に言い放った。


「あなた方には『感染症』や『細菌』の概念がない。だから理解不能な事象を『呪い』と呼んでいるだけです。」


恵はさらに続ける。


「現状維持を選択した場合、この村の全滅率は三日以内に100%に達します。私たちの提案を受け入れた場合、生存率は飛躍的に向上する。どちらが合理的か、議論の余地はありません」


恵の容赦ない論理が、村人たちを黙らせる。だが、論理だけでは人は動かない。


「お願いします!」


結衣が一歩前に出た。その瞳には、強い決意が宿っている。


「皆さん、聞いてください。皆さんのご家族が苦しんでいるのは、水の中にいる、目に見えない『悪い虫』のせいです!」


結衣は、弟の優斗に語りかけるように、平易な言葉を選んだ。


「この悪い虫は、熱にとても弱い。だから、火でグツグツ煮れば、虫は死んで、安全な水になります。これは魔法ではありません。皆さんの家族を守るための、知恵です」


そして、結衣は昨日看病した少年の家を振り返った。


「私は、あの子を助けたい。皆さんに生きてほしい! 私たちに、やらせてください!」


結衣の必死の訴え。その情熱は、絶望しきっていた村人たちの心に、微かな火を灯した。


「……分かった」


村長が重々しく口を開いた。


「もう、我々には他に道はない。この者たちに従おう」


「ありがとうございます! では、役割分担を行います!」


恵の号令の下、5人の革命が動き出した。


◇◇◇


目標は、全生存者への清潔な水と栄養食の提供、そして衛生環境の基礎的な改善。


5人は、それぞれの能力を最大限に活かす形で動き出した。


「舞、観月! 二人は体力班ね! 村中から使える大鍋と薪を全部集めてきて! それと、村の外れに大きな穴を掘って。排泄物を隔離する場所にするから!」


「了解した。完璧にこなす」


「オッケー! 力仕事なら任せて!」


二人はクラスによる身体能力強化を活かし、驚異的な速度で物資を運び、地面を掘り返していく。


舞は持ち前の計画性で協力し始めた村人たちを指揮し、村全体の清掃と汚物の隔離作業を同時に進めた。


「花音さんは、患者さんのケアと、村の人たちの心のサポートをお願いします」


「承知いたしましたわ」


花音は家々を回り、《癒やしの歌》で体力を維持させつつ、体を清潔に保つことの重要性を優しく説いていった。


彼女の献身的な姿が、村人たちの頑なな心を解きほぐしていく。


そして、指揮を執るのは恵と結衣だ。二人は村の中央広場に巨大なかまどを設置した。大鍋に湖の水が満たされる。


「火をつけます!」


観月が集めた薪に着火する。だが、巨大な鍋の水を沸騰させるには、火力が足りなかった。


「火力不足ね。このままでは時間がかかりすぎて効率が悪すぎる。」


恵が即座に指摘する。


「…風を使いましょう!」


恵はかまどの構造を見ると、すぐに改善点を見出した。


「《ウィンド・カッター》応用」


恵は手をかざし、かまどの中に一定方向の風の流れを作り出した。


現代の流体力学を応用した、即席の送風システム。新鮮な酸素が強制的に供給され、炎の勢いが劇的に増す。


「すごい! 火力が全然違う!」


観月が目を見張る。


魔法と知識の融合。それこそが、彼女たちの最大の武器だった。


やがて、大鍋の水がぐつぐつと音を立て始めた。


「《分析》完了。飲用可能レベルです」


煮沸消毒の完了だ。安全な水の供給ラインが確立された。


「次は回復食! 恵、使える食材の選別を!」


「了解。《分析》開始。このイワタケはミネラルが豊富。こちらの根は解毒作用があります。最適です」


結衣は別の鍋に清潔な水を移し、わずかに残っていた干し肉と、恵が選別した薬草を細かく刻んで投入した。弱った体でも消化吸収しやすいように、じっくりと煮込む。


「結衣、塩分濃度を約0.9%に調整してください。経口補水液として機能させ、水分と塩分の吸収効率を最大化します」


「オッケー! 味見……うん、完璧!」


現代栄養学に基づいた特製の薬膳粥が完成した。広場に優しい香りが漂う。


結衣たちは、まず村長の家で眠る少年の元へ向かった。


意識はまだ朦朧としているが、結衣はスプーンで少量の白湯を少年の口に含ませる。


ごくり、と喉が動いた。次に、粥の上澄みを慎重に飲ませる。


数分後。


「あ……う……」


少年の瞼が微かに震え、ゆっくりと開いた。その瞳には、確かな生気が宿っていた。


「おお……! 息を吹き返したぞ!」


村長が叫んだ。


その声を聞きつけた村人たちが、どよめく。清潔な水が体を潤し、温かい栄養が活力を取り戻させていく。それは確実な、生命の回復だった。


◇◇◇


革命を開始して二日が経過した。


ノクス村の状況は劇的に改善した。死臭は消え、村には活気が戻り始めていた。


「ありがとう、結衣様。あなた方は、この村の救世主だ」


村長が深々と頭を下げる。


「良かった……!」


結衣は胸がいっぱいになった。魔法ではなく、知識と努力で人を救えた。その実感が、彼女の「自己無価値感」という心の枷を溶かしていく。


だが、恵だけは浮かない顔をしていた。


「まだ終わっていません。これは対症療法に過ぎない」


「恵?」


「新規の感染者は減りましたが、重症患者たちの回復が遅い。それに、根本的な原因……疫病の原因である汚染源を断たなければ、同じことの繰り返しです」


その時、回復した村人の一人が、気になることを口にした。


「そういえば、この疫病が流行り始めたのは、村の『聖なる井戸』から瘴気しょうきが噴き出した頃からだ……。それ以来、井戸は枯れ果て、みんな湖の水を飲むしかなくなったんだ」


「聖なる井戸?」


舞が反応する。


その言葉を聞いた瞬間、恵の中で全ての情報が繋がった。


「……分かりました。疫病の根本原因は、湖の汚染ではありません。その逆です」


恵は、村の外れにあるという井戸の方角を指差した。そこからは、微かだが、確かに邪悪な気配が漂っていた。


「あの井戸から発生した『何か』が、地下水脈を通じて湖を汚染し、村全体に疫病を蔓延させた。村人たちが言っていた『呪い』の正体は、あの井戸にあります」


全ての元凶は、聖なる井戸。そこに潜む「呪い」を断ち切らなければ、真の解決はない。


「行こう、みんな。この革命を、終わらせるために」


結衣の決意と共に、5人は「呪われた井戸」へと向かった。


(第九話 終)


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