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第七話:癒やしの歌

恵の《最適化オプティマイズ》によって魔力(MP)の危機は脱したものの、生命維持に不可欠な水不足は、依然として深刻だった。


旅を始めて数日、5人の喉は渇ききり、体力は限界に近づいていた。


「恵、本当にこの先に水場があるんだよね?」


観月が荒い息をつきながら尋ねる。


「《分析》による周辺環境データの解析結果よ。湿度の上昇と植生の変化から、この先に水源がある確率は高い。だけど……」


恵は顔をしかめた。風に乗って漂ってくる、微かな腐敗臭。嫌な予感がしていた。


森を抜けると、視界が開けた。


そこには、小さな湖があった。だが、その光景は期待していたものとはかけ離れていた。


湖の水は不気味な紫色に濁り、水面には魚の死骸が浮かんでいる。湖畔の草木は黒く枯れ、異様な臭気が立ち込めていた。


「ひどい……」


結衣が顔を覆う。


「これが、恵の言ってた『汚染』……」


「《分析》結果。水質汚染レベル、測定不能。重度の毒性反応を確認。飲用は不可能ね」


期待が大きかった分、絶望も大きかった。


「そんな……じゃあ、私たちはどうすれば……」


花音が力なく呟いた時だった。湖の反対側から、呻き声のようなものが聞こえてきた。


「誰かいる!」


舞が警戒しながら声のする方へ向かうと、そこにはさらに悲惨な光景が広がっていた。


十数人の旅人らしき人々が、地面に倒れ伏し、苦しんでいたのだ。


彼らの肌は土気色で、明らかに衰弱しきっている。


近くには、空になった水袋が転がっていた。


「この人たち、まさか……」


「この湖の水を飲んだみたいね……」


恵の分析が、最悪の事実を告げる。


「皆さん、しっかりしてください!」


結衣が駆け寄り、一人の女性の状態を診る。脈は弱く、呼吸も浅い。


「《ヒール》!」


結衣が回復魔法を唱える。温かい光が女性を包み込むが、すぐに光は霧散し、女性の容態は一向に良くならない。


「どうして? もう一度! 《ヒール》! 《ヒール》!」


結衣は必死に魔法をかけ続けるが、結果は同じだった。


《ヒール》は外傷を治すことはできても、体内を蝕む毒や病気を根本的に取り除くことはできないのだ。


回復しても、すぐに毒が体を蝕んでいく。イタチごっこだった。


「ダメだ……私の力じゃ、追いつかない……」


結衣は、自分の無力感に打ちのめされる。


目の前で消えかけている命があるのに、自分には何もできない。


他の4人も、為す術なく立ち尽くしていた。


舞の剣も、観月の火も、恵の分析も、この状況では何の役にも立たない。


その中で、誰よりも深く苦悩していたのは花音だった。


(また……私は見ているだけ)


目の前で苦しむ人々を見て、彼女の「心の枷」――恵まれた者の罪悪感が、鋭く痛んだ。


医療法人の理事長家系に生まれ、何不自由なく育ってきた自分。


安全な場所で、綺麗な理想を語るだけの自分。


そんな自分が、この過酷な現実の前で、どれほど無力か。


(私のスキルは《眠りの歌》。でも、この人たちを眠らせてどうなる? それは、苦しみから目を逸らすだけの、偽善じゃない!)


「花音さん! せめて《眠りの歌》で苦痛を和らげてあげて!」


恵が指示を出す。


だが、花音は首を横に振った。眠らせても、根本的な解決にはならない。それは自己満足であり、ごまかしだ。


「ああ……神よ……なぜ、こんな仕打ちを……」


旅人の一人が、かすれた声で嘆く。その声は、祈りというよりも、呪いに近かった。


その嘆きが、花音の心を貫いた。


(違う。眠らせたいんじゃない。この人たちを、癒やしたい。この絶望から、救いたい)


花音は立ち上がった。


彼女の脳裏に、幼い頃に通った教会の光景が蘇る。ステンドグラスから差し込む光、そして、人々の心を安らぎで満たす聖歌隊の歌声。


あれこそが、自分の求める「歌」の原点だった。


(私は、恵まれている。だからこそ、この力を使う義務がある。偽善だと言われても構わない。今、この瞬間に、目の前の命を救うために!)


理想を現実に変える。その「強い願い」が、花音の魂を震わせた。想いは静かに、しかし力強く高まっていく。


吟遊詩人としての真の使命が、彼女の中で覚醒する。


花音は、深く息を吸い込んだ。そして、歌い始めた。


それは、《眠りの歌》のような単調な旋律ではなかった。


大地の恵みのように温かく、生命の息吹を感じさせる、慈愛に満ちた歌声。


「――《癒やしの歌》」


花音がスキル名を口にした瞬間、彼女の体から柔らかな緑色の光の粒子が溢れ出し、湖畔全体に降り注いだ。


「これは……?」


最初に変化に気づいたのは結衣だった。


倒れていた旅人たちの顔色が、目に見えて良くなっていく。呼吸が安定し、苦悶の表情が和らいでいく。


「傷が……塞がっていく?」


舞が目を見開く。花音の歌は、旅人たちだけではなく、連戦で蓄積していた自分たちの小さな傷や疲労までも癒やしていた。


「《分析》結果……驚異的です。範囲内の対象に、持続的なHP回復効果リジェネレーションが発生しています! 体内の毒素の活動も抑制されています!」


恵が叫ぶ。


《癒やしの歌》は、即効性こそ《ヒール》に劣るものの、範囲内の全員を同時に、そして持続的に回復させる力を持っていたのだ。


「ああ……痛みが……引いていく……」


旅人の一人が、ゆっくりと身を起こした。他の人々も、次々に意識を取り戻していく。


「ありがとう……まるで、聖女様の歌声だ……」


女性が涙を流しながら、花音の手を取った。


「いえ、私は……」


花音は少し戸惑いながらも、歌を止めなかった。


自分の歌が、確かに人を救った。その実感が、彼女の心を温かく満たしていく。


だが、状況が完全に解決したわけではなかった。


「容態は安定したけれど、毒が消えたわけではないわ。それに、この汚染の原因を突き止めなければ、また犠牲者が出るわ」


恵が冷静に指摘する。


「それに、私たち自身の水の問題も残ってるしね」


観月が空の水筒を振る。


旅人たちから得た情報によれば、この湖は数日前から突如として汚染され始めたという。


そして、この湖は、この先にある「ノクス村」の唯一の水源でもあるらしい。


「ノクス村……」


結衣の表情が曇る。もし村全体がこの水を使っているとしたら、そこには更なる絶望が広がっているはずだ。


「行こう」


舞が決断する。


「フォルトゥナへの道中だ。それに、この状況を見過ごすわけにはいかない」


新たな力を得た花音と、仲間たち。


彼女たちの次なる目的地は、飢餓と疫病が蔓延するであろうノクス村。


最初の「革命」の舞台が、彼女たちを待ち受けていた。


(第七話 終)


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