第五話:絶望(やみ)を照らせ!
舞が《カバー》を習得したことは、確かにパーティの生存率を高めた。
だが、それは同時に、新たな問題を浮き彫りにしていた。
異世界アストラディアの現実は、彼女たちが想像していたよりも遥かに厳しい。
フォルトゥナへの旅は、終わりの見えない消耗戦だった。
「はぁっ……! 《アイス・ランス》!」
舞が放った氷の槍が、岩のような甲羅を持つ巨大なトカゲ――ロックリザードの側面に弾かれる。
傷一つ付かない。
「くっ……硬すぎる!」
「《分析》! 装甲が厚く、物理・魔法ともに耐性が高いです! 腹部が弱点ですが、狙う隙がありません!」
恵が叫ぶ。
舞が敵の攻撃を引き受け、結衣が回復し、花音がサポートする。
確かに負けなくなった。だが、決定的な攻撃力不足により、戦闘は常に長期化していた。
敵を倒しきれず、魔力と体力がジリジリと削られていく。
「また、倒せなかった……」
ロックリザードが興味を失って去っていくのを見送りながら、結衣ががっくりと肩を落とす。
「仕方ありません。現状のリソースでは、これ以上の効率化は望めません。生存を優先した結果としては妥当です」
恵は冷静に分析するが、その表情にも疲労の色は濃かった。
乏しい食料、連日の野営、そして先の見えない不安。
肉体的な疲労以上に、精神的な摩耗が5人を蝕み、集中力は低下の一途を辿っていた。
そんな中、誰よりも焦燥感を募らせていたのは観月だった。
(私、役に立ってるのかな……)
観月は、いつも通り明るく振ら舞おうとしていた。
「大丈夫だって! ピンチの後にはチャンスが来るよ!」
だが、その明るさは空回りしていた。
舞は《カバー》で文字通り皆の盾になっている。結衣の回復は生命線だ。恵の分析がなければ戦略は立たないし、花音も不慣れながら歌で支援している。
それに比べて自分は? 《クイック・ステップ》で素早さを上げても、攻撃力がなければ意味がない。それに《ファイア・ボール》は威力が低すぎる。
(私がいなくても、みんな耐えられてる。私、ここにいる意味あるのかな……)
彼女の「心の枷」――優秀な姉と比べられてきた劣等感と、他者からの評価への依存が、じわじわと彼女の心を蝕んでいく。
太陽のように明るくなければ、辰巳観月という存在価値はない。そんな強迫観念が、彼女を追い詰めていた。
◇◇◇
その日の夕方。どんよりとした曇り空の下、ついに最悪の事態が訪れた。
「囲まれました……!」
花音が悲鳴を上げる。現れたのは、ゴブリンの群れだった。
だが、以前遭遇したものとは違う。統率が取れており、明らかに武装も強化されている。そして、その中心には、ゴブリンより二回り以上大きな体躯を持つ、筋骨隆々の魔物がいた。
「《分析》! オーク! ゴブリンの上位種です! 知能も戦闘能力も段違いです! この部隊を指揮しています!」
「ブモォォォォ!!」
オークが咆哮し、巨大な戦斧を振りかぶった。凄まじい一撃が、先頭に立つ舞に襲いかかる。
「ぐっ……!」
《ガードアップ》で防御を固めたにも関わらず、衝撃で舞は膝をついた。
これまでの魔物とは比較にならない、圧倒的なパワー。
「舞! 《ヒール》!」
結衣が回復を飛ばすが、疲労で集中力が低下しているためか、回復量が少ない。
「ダメです! このままでは押し切られます! 観月、火属性で牽制を!」
「わ、分かった! 《ファイア・ボール》!」
観月が放った火球は、焦りからか、オークにかすりもせず後方の木に当たって消えた。
「何をやってる!」
舞が苦悶の表情で叫ぶ。
「ごめん!」
(ダメだ、私……! こんな時にまで、役立たずなんて……!)
観月の焦りが、さらに集中力を低下させる悪循環。
その間にも、オークの指揮下にあるゴブリンたちが側面から殺到する。
「《眠りの歌》……!」
花音が歌うが、声が震え、旋律にならない。
絶望的な状況だった。
誰もが疲弊し、心が折れかけている。オークの容赦ない追撃が、舞の体力を削り取っていく。
「もう……無理かも……」
結衣が、ぽつりと呟いた。その絶望が、全員の心に伝播する。
(嫌だ……)
観月は、下を向きかけた仲間たちの顔を見た。
舞の苦悶、恵の焦燥、結衣と花音の絶望。その光景が、彼女には何よりも耐えられなかった。
(みんなの顔が、暗くなってる。私がいるのに、みんなを励ます役目の私がいるのに、どうして!)
その時、彼女の脳裏に、ある光景が蘇った。
◇◇◇
――夏の高校野球、県予選。最終回、絶体絶命のピンチ。
スタンド全体が諦めムードに包まれていた。
でも、私たちチアリーディング部は諦めなかった。汗だくになりながら、声が枯れるまで叫び、踊り続けた。
『下を向くな! 私たちが笑顔を忘れたら、誰が選手を勇気づけるんだ! 笑え! 踊れ! 勝利を信じろ!』
◇◇◇
そうだ。私の役割は、敵を倒すことだけじゃない。
仲間を鼓舞すること。希望を繋ぐこと。
「みんな!!」
観月は叫んだ。その声は、戦場に響き渡る希望のファンファーレのようだった。
「下を向かないで! 顔を上げて!私が道を切り拓くから!」
観月は、オークの目の前に躍り出た。そして、両手を広げ、満面の笑みを浮かべた。
「観月!? 何してるんだ、自殺行為だ!」
「私を見て! 私たちはまだ負けてない!」
観月は、踊り始めた。
それは、彼女が最も得意とする、情熱的で、力強いチアのダンスだった。
地面をリズミカルに踏み鳴らすステップと、空を切り裂くように鋭く、天へと突き上げられる両腕の動き。
敵の目の前で無防備に踊るという、命懸けのアクション。だが、彼女の瞳に恐怖はなかった。
オークの攻撃が当たれば、紙防御の観月は即死だというのに。
(自殺行為? そんなもの、当たらなければいいのよ!)
仲間を奮い立たせたい。この絶望的な状況を、希望で塗り替えたい。
その命を賭けた「強い願い」が、観月の魂を突き動かした。集中力が爆発的に高まり、内なる力が解き放たれる。
「こんなところで終わるわけにはいかない! 私たちは、まだ終わっていない!!」
その瞬間、新たなスキルが閃いた。
「《力のダンス》!!」
観月の動きが一段と激しさを増す。
「ブモォ!(愚かな!)」
オークは、膝をついた舞への追撃を止め、そのすぐ隣で無防備に踊り始めた観月を嘲笑った。
仲間を鼓舞するその姿こそが、この状況を打開する鍵だと本能的に理解したのだ。
オークは観月を最大の標的と定め、その巨体ごと向き直ると、戦斧を大上段に振り上げた。
「しまっ……!」
舞は、オークの殺気が自分から外れ、隣で踊る観月に向けられたことに気づいた。
膝をついたままの体勢で、観月をかばうように必死で盾を割り込ませる。だが、オークの攻撃が速い。
「みづきぃぃぃ!!」
舞の絶叫と、オークの戦斧が観月めがけて振り下ろされるのがほぼ同時だった。
その瞬間、観月の体から放たれた太陽のような温かい光が、戦場全体に降り注いだ。
「これは……!」
最初に変化を感じたのは、まさに観月をかばおうとしていた舞だった。
振り下ろされる戦斧が盾に激突する直前、信じられないほどの力が体の奥底から湧き上がってきた。
「うおおおおっ!!」
先ほどまで膝をついていたのが嘘のように、舞は渾身の力で盾を振り上げ、観月めがけて振り下ろされたオークの戦斧を真正面から弾き返した。
「力が……漲ってくる……!」
「魔力が安定していくわ! 分析結果……パーティ全体の物理攻撃力・魔法攻撃力が劇的に上昇してる!」
「すごい……! 体が熱い!」
観月の踊りは、パーティ全員の士気を高め、肉体的な能力を引き上げただけではなかった。
希望を取り戻したことで、全員の集中力が急速に回復し、さらに限界を超えていく。
「よくやった、観月!」
舞がオークを弾き返した勢いで立ち上がる。その姿には、先ほどまでの疲労は微塵も感じられない。
「ここからが反撃だ!」
「ブモォ!?」
渾身の一撃を弾き返され、状況の急変にオークが動揺する。
「《アイス・ランス》!」
《力のダンス》で強化された舞が放った氷の槍は、先ほどとは比べ物にならない威力でオークの肩を貫いた。
「今です! 畳み掛けます! 《ウィンド・カッター》!」
恵の風の刃が、鋭利な鎌鼬となってゴブリンたちを切り裂く。
「光よ! 敵を射抜いて!《ホーリー・アロー》!」
「大地よ、敵の動きを止めて! 《アースバインド》!」
結衣の光の矢がオークの目に刺さる。さらに、花音のスキルがその巨体を拘束する。
「最後は私が決める! 今度こそ、絶対に外さない!」
集中力とテンションが体内に収まりきらない観月。
彼女の周りの空気は、今まで溜まっていた想いを溢れさせたかのような真っ赤なオーラを纏い、魔力が飽和していくのが分かった。
その中心にいるのは、戦場ごとごっそり戦況を塗り替えた立役者!
絶望は既に希望に変わっている。あとはフィナーレを待つのみ!
仲間たちの希望ごと両手に力を集束させ、声も高らかに叫んだ!
「超・特・大! 《ファイア・ボール》!!」
観月がダンスのフィニッシュと共に放った火球は、もはや「ボール」と呼べる大きさではなかった。
仲間たちの希望を束ね、灼熱の光を放ちながら膨張したそれは、まさに太陽。
《力のダンス》と仲間たちの想いを乗せた今、この瞬間だけは、初期スキル(ファイア・ボール)すら戦略級の魔法と化していた。
「いっけぇーーーーっ!」
ほぼゼロ距離から放たれた超特大ファイア・ボール。
それはオークの巨体をまるで子供のように撥ね、理解も、抵抗も、認識すら許さず、その巨体を灼熱の砲弾と化して森の奥へ直進させた。
オークの思考は、現状を理解する前に灼熱によって焼き切れた。
「太陽」は、後方にいたゴブリンたちを逃げる間もなく巻き込み、蒸発させていく。
凄まじい土煙を上げ、地面を一直線に抉りながら突き進み、ついに開けた場所の端にあった分厚い岩壁に激突した。
ドン、という地響きと、一瞬の静寂。
次の瞬間、逃げ場を失い圧縮されていたエネルギーが限界を超え、オークの巨体を核にしてすべてを飲み込むと、凄まじい轟音と共に爆発した。
煙と爆音が消えた後に残ったものは…。
地面を一直線に抉った灼熱の「軌跡」と、オークごと岩壁が消し飛んだ「爆発の中心地」。
そのあまりの破壊跡を見たゴブリンたちは、恐怖に叫び声を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
◇◇◇
「はぁ……はぁ……やった……」
観月が息を切らせてその場に座り込むと、仲間たちが駆け寄ってきた。
「観月! すごいじゃない! 最後の一撃、最高だったわ!」
恵が興奮気味にまくし立てる。
「観月さん、ありがとうございます。観月さんの踊りを見ていたら、勇気が湧いてきましたわ」
「助かったぞ、観月。お前の力は、私たちに必要だ」
「観月ちゃん……ありがとう。私、諦めかけてた」
仲間たちの賞賛の言葉が、観月の心を満たす。
自分にも仲間を守る力がある。自分なりのやり方で、みんなの役に立てる。
その実感が、彼女の「心の枷」を少しだけ軽くした。
「本当に、すごかった……」
結衣が、まだ興奮の冷めない様子で観月の手を取った。
「絶望的だったのに、観月ちゃんが踊りだしたら光が見えた。……観月ちゃん、まるで暗闇を一気に照らす太陽みたいだったよ!」
その言葉に、観月は一瞬きょとんとし、それから破顔した。
「へへっ、当然でしょ!」
観月は胸を張って笑った。
その笑顔は、先ほどまでのカラ元気ではない。心からの、本物の笑顔だった。
アストラディアの空に浮かぶ太陽が、希望を取り戻した5人を明るく照らしていた。
(第五話 終)




