第四話:私が拾う!
ゴブリンからの敗走は、5人の心に暗い影を落とした。
夜の森は深く、冷たい。現代日本とは比べ物にならない絶対的な闇が、彼女たちを包み込む。
岩陰に身を寄せ合ったが、恐怖と痛みで誰も眠れなかった。
結衣の《ヒール》で傷は塞がったものの、観月の肩はまだ痛々しく腫れている。
「……ごめん」
沈黙を破ったのは舞だった。
その声は硬く、震えていた。
「私が、完璧に守れなかったから、みんなが危険な目に遭った」
「舞のせいじゃないよ! 誰も悪くないって!」
観月が励ますが、舞は首を横に振る。
「ナイトは盾だ。その役割を果たせなかった以上、私の責任だ」
舞は、常に完璧であることを自分に課してきた。
強豪校のバレーボール部、リベロというポジション。
一瞬の判断ミス、わずかなフォームの乱れが即失点に繋がる。
だからこそ、完璧でなければならない。その強迫観念が、彼女の強さの源であり、同時に彼女を縛る「心の枷」だった。
「舞。感傷は非効率的です。今は反省より分析が必要です」
恵が、努めて冷静な声で言った。
彼女もまた、恐怖を押し殺し、思考することで平静を保とうとしていた。
「現状の最大の問題点は、あなたの初期スキル《ガードアップ》が自己強化型であることです。敵が後衛の私たちを狙った場合、あなたが物理的に間に合わなければ防げない。これは、パーティ防御における致命的な欠陥です」
「恵! そんな言い方……」
結衣がたしなめる。
「事実だ」
舞は恵の言葉を遮った。
「私が、盾として機能していない。このままでは……」
このままでは、誰も守れない。その絶望が、舞の心を凍りつかせていく。
◇◇◇
翌朝。
乏しい休息と食事を終えた5人は、フォルトゥナを目指して再び歩き出した。
昨日よりも遥かに慎重に、恵の《分析》で索敵しながら進む。だが、舞の足取りは重かった。
(完璧に守るには、どうすればいい? 全ての敵の動きを予測し、最適な位置取りで、全ての攻撃を捌く……いや、それは不可能だ)
考えれば考えるほど、完璧主義の迷宮に迷い込み、集中力が乱れていく。
昼前、視界が開けた小さな草原に出た時だった。
「!」
舞が足を止める。遅れて、他の4人も気づいた。
「ガルルルル……!」
行く手を塞ぐように現れたのは、4匹の狼だった。だが、ただの狼ではない。灰色の毛並みは鉄のように硬質で、牙は異様に発達している。
フォレストウルフ。ゴブリンよりも俊敏で、知能の高い魔獣だ。
「《分析》! フォレストウルフ! ゴブリンより格上です! 連携して獲物を狩る習性があります!」
恵が叫ぶ。
ウルフたちは瞬時に5人を取り囲み、隙を窺う。
「私が前に出る! 《ガードアップ》!」
「みんな、足を止めないで! 《クイック・ステップ》!」
戦闘が始まる。
舞は一際大きなリーダー格のウルフと対峙する。だが、他のウルフの動きは狡猾だった。
一匹が観月を牽制し、残りの二匹が大きく左右に回り込む。
その狙いは明確。最も非力で、防御の薄い後衛――恵だ。
「しまっ……!」
恵は咄嗟に防御姿勢をとろうとするが、頭脳と身体の連携が追いつかず、足がもつれる。
「ふにゃっ!?」
二匹のウルフが同時に跳躍し、無防備な恵に襲いかかった。
(まただ! また、同じ光景!)
舞はリーダー格の攻撃を受け止めながら、絶望的な気持ちでそれを見ていた。
距離がある。
目の前の敵に釘付けにされ、動けない。完璧な防御陣形は、完全に崩壊していた。
(完璧になんて、守れるわけがない!)
完璧主義の壁が、音を立てて崩れ落ちる。ウルフの牙が、恵の喉元に迫る。
その瞬間、舞の脳裏に、全く別の光景が蘇った。
◇◇◇
――体育館。響き渡るシューズの音。
相手エースの強烈なスパイクが、味方のブロックを打ち抜いた。絶体絶命。完璧なレシーブポジションには間に合わない。
『琴平! フォームなんてどうでもいい! 這いつくばってでも拾え! ボールを落とさなければ、負けないんだ!』
コーチの叫び声が蘇る。
そうだ。リベロの仕事は、完璧なフォームでレシーブすることじゃない。
どんなに泥臭くても、無様でもいい。ボールを「繋ぐ」こと。仲間が戦い続けられるように、守り抜くこと。
◇◇◇
(完璧じゃなくてもいい!)
舞の中で、「心の枷」が砕け散った。
仲間を守りたいという「強い願い」が、集中力を爆発的に高める。
「泥臭くても、間に合わなくても、この一撃だけは――私が拾う!!」
舞は叫んだ。その瞬間、彼女の魂から新たな力が溢れ出す。
「《カバー》!!」
ウルフの牙が恵を捉える寸前、恵の体の前に、淡い光の盾が形成された。
「え……?」
恵が目を見開く。ウルフの攻撃は光の盾に阻まれ、霧散する。
だが、その直後。遠くにいたはずの舞が、まるで不可視の力に殴られたかのように吹き飛んだ。
「がはっ……!」
凄まじい衝撃。恵が受けるはずだったダメージを、舞が強制的に引き受けたのだ。それが、ナイトの真髄、《カバー》。
「舞さん!?」
ウルフたちも、獲物への攻撃が突如遮断され、しかもそのダメージが別の個体に転移したことに混乱している。
「……守ったぞ」
舞は痛みに顔を歪めながらも、すぐに立ち上がった。その瞳には、完璧主義の迷いは消え、確かな決意が宿っていた。
「立て直せ! 恵、指示を!」
「……了解! 敵は動揺しています! 各個撃破のチャンス! 結衣、舞の回復を!」
「うん! 《ヒール》!」
舞が《カバー》を習得したことで、パーティの防御は安定した。
後衛が狙われる心配が減ったことで、全員の集中力が安定し、動きが見違えるように良くなる。
「援護します! 《アースバインド》!」
「よくも舞を! 《ファイア・ボール》!」
花音のスキルがウルフを捉え、観月の火球が敵に直撃する。
「《ウィンド・カッター》!」
「《ホーリー・アロー》!」
恵と結衣の追撃も的確に命中する。一体、また一体とウルフが倒れていく。リーダー格は形勢不利と見て、仲間を見捨てて森の奥へと逃げ去った。
静寂が戻る。荒い息遣いの中、5人は信じられない思いで顔を見合わせた。
「……勝った? 私たち、勝ったんだよね?」
結衣が呟く。
それは、アストラディアに来て初めて手にした、確かな勝利だった。
「やった……! 舞、すごいよ!」
観月が舞に抱きつく。舞は少し照れくさそうにしながらも、それを受け止めた。
「舞さん。助けてくれて、ありがとうございます」
恵が近づいてくる。
「あなたのそのスキルは、私たちの生存戦略を根本から変えます。極めて合理的です」
「……礼は要らない。私の役割を果たしただけだ」
舞はそっぽを向きながら答える。
「それに、完璧な動きとは言えなかったしな。」
そう言いながらも、彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
完璧でなくても、仲間を守れた。その事実が、彼女の心を少しだけ自由にしたのだ。
絶望しかなかったこの世界に、小さな希望の光が灯った瞬間だった。
(第四話 終)




