第三十話:絶望の消耗戦
腐臭が満ちる森は、歩くだけで精神を蝕むようだった。 大地は毒に呻き、木々はアンデッドのようにねじくれた枝を伸ばしている。
「《分析》……瘴気の濃度が上がっています。花音さん、防御を」
「はい! 《信念の歌》!」
恵の指示で、花音が精神抵抗力を高める歌を奏でる。瘴気による精神汚染を防ぎながら、5人は慎重に森の奥へと進んでいた。
「うわっ!」
観月がぬかるみに足を取られそうになるのを、舞が即座に支える。
「気を抜くな。ここはすでに敵の縄張りだ」
「わかってるけど……気分悪いよ、こんなの」
物理的な脅威はまだない。だが、この空間にいること自体が、じわじわと彼女たちの体力と集中力を奪っていく。
数時間歩き続けた頃、森の奥深く、わずかに汚染が薄い一角で、鋭い風切り音が響いた。
「!」
舞が盾を構えるのと、5人の足元に矢が突き刺さるのはほぼ同時だった。
「何者!?」
舞が矢の飛んできた方向を睨むと、大樹の枝の上、月光を背負うようにして一人の人影が立っていた。 長く尖った耳、しなやかな体躯。緑色の装束を纏い、精巧な弓をこちらに向けている。
「……エルフ」
恵が呟く。
「汚れた森に、汚れたドワーフの匂いを連れて……。余所者が何の用だ」
鈴が鳴るように美しい、しかし氷のように冷たい声だった。
「あなたが、リューナさんですか?」
結衣が問いかける。
「私たちはレジスタンスの者です。あなたに協力を求めに……」
「協力?」
リューナと呼ばれたエルフは、鼻で笑った。
「ヴァルカンのドワーフどもと手を組んだお前たちにか? 笑わせるな」
「なぜそれを!?」
「この森が泣いている。お前たちがヴァルカンで『鉄の革命』とやらを成し遂げたせいで、あの忌まわしきグレイヴが撤退し、その矛先がこちらに向いたのだ」
リューナの瞳が、5人、特に恵とドーリンの技術が込められた舞のガントレットを強い敵意で見据える。
「お前たちの『進歩』が、この森の『平和』を破った。ドワーフも人間も同じ。結局、自分たちの都合で世界を乱すだけだ」
「違います! 私たちはこの森を……!」
花音が反論しようとした、その時。
「ヒヒッ……素晴らしい。素晴らしい憎悪だ」
森の闇が、さらに濃くなった。
瘴気が渦を巻き、その中心から、ボロ布を纏った痩身の男が姿を現す。
四天王、"腐界"のゼノ。
その瞳は狂気的な愉悦に歪んでいた。
「リューナ。お前のその『人間不信』、実に美しい。だが、まだ足りない。もっと深い絶望こそが、この森の真の摂理だ」
「ゼノ……!」
リューナは即座にゼノへ矢を放つが、矢はゼノに届く前に、彼の足元から現れた巨大な蟲の甲殻に弾かれた。
「お喋りはこのくらいにしよう。さあ、始めようか。私の可愛い子供たちよ」
ゼノが両手を広げると、周囲の毒沼や腐った大地から、無数の魔物が這い出してきた。 ゾンビ化した獣、骨だけの兵士、そして名状しがたい蟲の群れ。
「物量戦……! しかも、この汚染された環境そのものが敵のホームグラウンドよ!」
恵が叫ぶ。
「ヒャハハ! 蹂躙しろ!」
ゼノの号令一下、アンデッドと蟲の津波が5人とリューナに襲いかかる。
「リューナさん、今は私たちと共闘を!」
「……指図するな、人間!」
リューナは舌打ちしつつも、木々の上を華麗に飛び移り、的確な射撃で敵の頭を射抜いていく。
「私たちも行くよ! 舞、前を!」
「ああ!」
「《力のダンス》! 《最適化》!」
観月と恵が即座に支援をかける。
「《ダイヤモンド・ダスト》!」
舞が放った絶対零度の霧が、押し寄せるアンデッドの群れの先頭を凍結させ、粉砕する。
だが、敵の数は減らない。後方から次々と新たなアンデッドが湧き出してくる。
「キシャァァァァ!」
空からは毒液を吐く巨大な蟲が襲いかかる。
「《フレア・ミラー》!」
観月が魔法を反射し、蟲を撃ち落とす。
「このままじゃキリがない! 森全体の汚染も広がってる!」
結衣が叫ぶ。
「《浄化の歌》!」
花音が大地に祈りを捧げ、汚染を浄化しようと試みる。エメラルドグリーンの光が広がり、一時的に瘴気が薄まる。 だが、ゼノはそれを嘲笑った。
「無駄だ、小娘。お前の浄化と、私の汚染、どちらが速いか競争しようじゃないか!」
ゼノが杖を大地に突き立てると、花音の浄化を遥かに上回る速度で、大地が再び黒く染まっていく。
「そんな……私の浄化が、追いつかない……!?」
花音が愕然とする。
「結衣! 重度の毒にかかった兵士がいる! 《キュア》を!」
「うん! 《キュア》!」
結衣も浄化を試みるが、汚染の規模が大きすぎた。一体を浄化している間に、別の十体が汚染を撒き散らす。
「ダメだ……! 私たち二人の浄化能力を、敵の汚染速度が完全に上回ってる……!」
パーティはじわじわと毒と瘴気に侵され、消耗していく。
「ヒヒッ……どうした? お前たちの『革命』もこの程度か?」
ゼノは、高みの見物を決め込み、無数の召喚獣を操り続ける。
「くっ……!」
孤軍奮闘していたリューナも、あまりの物量に息が切れ始めている。
(余所者に森の何がわかるか、と言ったが……)
リューナは、必死に仲間を守り、浄化を試みる花音の姿を、苦々しく見つめていた。
(……だが、あそこまで足掻く人間も珍しい)
汚染と物量。 じわじわと死が迫る消耗戦の中、5人の連携が試されようとしていた。
(第三十話 終)




