第二十九話:成長の跡、腐界の幕開け
鉱山都市ヴァルカンに、十年ぶりに本来の活気が戻っていた。
ドワーフたちの力強い槌音が響き渡り、解放された街は復興に向けて急速に動き出している。
「世話になったな、小娘ども!」
ヴァルカンの城門。ドーリンは、あの無骨な顔を少しだけ緩め、恵に分厚い羊皮紙の束を手渡した。
「こいつは、わしが改良を加えた『複合装甲』の最終設計図だ。だが、お前たちの『革命』を実現するには、まだ素材が足りん。必ず、エルフの森から『霊樹の繊維』を持ち帰れ。話はそれからだ」
「ええ。必ず」
恵は、ドーリンの技術と知見が加えられた設計図を確かに受け取った。
「グレイヴとの戦い、見事だった。だが、次なる四天王、"腐界"のゼノは、グレイヴとは全く異質だ。奴は力ではなく、死と汚染そのものを操る」
シルヴィアからの情報は、ドーリンの口からもたらされた。
「奴の思想は歪んでおる。『死と腐敗こそが自然の摂理』……そう嘯き、命あるもの全てを実験材料としか見ておらん。エルムガルドが、どれほど無残な姿になっているか……」
ドーリンの言葉に、5人は表情を引き締める。
ドワーフたちの希望を背負い、5人は次なる目的地、南の大森林エルムガルドへと旅立った。
◇◇◇
ヴァルカンの険しい岩山地帯を抜け、南へ向かう街道でのこと。 以前なら苦戦を強いられたであろう、岩山地帯特有の魔物が彼女たちの行く手を阻んだ。
「《分析》! アイアンゴーレム3体! 物理耐性極めて高し! ノクス村の頃なら撤退案件ね!」
恵が冷静に分析する。だが、パーティに焦りの色はない。
「舞!」
「わかってる!」
舞はもはや《ヴァリアント・ストライク》のような力押しの技は使わない。
彼女は静かに左腕のガントレットを構え、グレイヴ戦で掴み取った極致のイメージを解き放つ。
「《フリーズ・ストリーム》!」
絶対零度の霧が、3体のゴーレムを瞬時に包み込む。 金属の巨体は、その動きを完全に停止させた。
「……よし。恵、観月!」
「理論は証明済みよ! 観月、火を! 恵、《ウィンド・カッター》応用!」
観月の《ファイア・ボール》と恵の風が融合し、超高温の『熱衝撃』が一体のゴーレムに直撃する。 超低温状態からの急激な加熱。
キィィィン!
金属が甲高い悲鳴を上げ、ゴーレムの装甲がガラスのように砕け散った。
「残りは任せて!」
「《シールド・バッシュ》!」
「《ホーリー・アロー》!」
舞と結衣が残りのゴーレムの核を正確に破壊する。
「戦闘終了。所要時間、3分15秒。極めて合理的ね」
恵が満足げに頷く。
グレイヴ戦で得た「脆性破壊」の科学的知見と、舞の究極スキル。
彼女たちは、あの死闘の経験を、確実に自分たちの力へと昇華させていた。
その夜の野営も、以前とは様変わりしていた。
「花音さん、索敵ラインの構築ありがとう。観月、罠の設置、座標通りね」
恵は、ヴァルカンの工房で学んだ「ライン生産方式」の考え方を、パーティの行動管理に応用していた。
「もう『私が何をするか』じゃない。『全員がシステムとしてどう動くか』よ。結衣の《キュア》は呪詛解除、花音の《浄化の歌》は広域汚染対策、と役割を明確化。これでリソース管理は完璧」
「へへーん。私たちの『産業革命』ってわけだ!」
観月が笑う。ノクス村での対症療法的な革命ではなく、彼女たちの行動そのものが「最適化」され、成長していた。
◇◇◇
ヴァルカンを出て数日。 空気は湿り気を帯び、生命の気配が濃くなってくる。
アストラディアで最も美しいと謳われる、エルフの故郷、大森林エルムガルドは近いはずだった。
だが、森の入り口に立った5人が目にしたのは、想像を絶する光景だった。
「……嘘でしょ」
観月が息を呑む。 そこにあったのは、美しい森ではなかった。
木々は黒くねじくれ、枯れ果てている。
地面はヘドロのようにぬかるみ、鮮やかな紫色や黄色の毒の沼が、そこかしこで不気味な泡を立てていた。
風に乗って運ばれてくるのは、生命の息吹ではなく、鼻を突く腐臭。
「《分析》……! 高濃度の瘴気と毒素を確認! 大気も土壌も、全てが汚染されています!」
恵が顔をしかめ、咳き込む。
「これが……ゼノの力」
舞が、毒の沼で腹を上にして浮かぶ、異形に歪んだ獣の死骸を睨みつけた。
「ひどい……」
結衣が、枯れた大樹の幹にそっと触れる。そこからは、かつて宿っていたはずの温かい生命力は、微塵も感じられなかった。
その中で、誰よりも深く心を痛め、震えていたのは花音だった。
吟遊詩人として、地属性の使い手として、彼女は誰よりも大地の「声」に敏感だった。
「ああ……」
花音の耳に聞こえてくるのは、森の嘆き。
命を育むはずの大地が、毒に蝕まれ、無理やり死へと変えられていく苦痛の叫び。
(なんてことを……。生命の源であるこの美しい森を……!)
彼女の「心の枷」――理想と現実のギャップ、偽善への葛藤――とは別に、彼女の魂の根幹にある「心の平穏を愛する心」が、この冒涜的な光景に激しく揺さぶられていた。
ドーリンの言葉が蘇る。 『死と腐敗こそが自然の摂理』
「それは……絶対に、違いますわ」
花音は、拳を強く握りしめた。その瞳には、悲しみと共に、静かな、しかし燃えるような怒りの炎が宿っていた。
「この森を実験場のように弄び、命を弄ぶ者を、私は決して許しません」
「花音ちゃん……」
「行きましょう、皆さん」
花音は、腐敗した森の奥を真っ直ぐに見据えた。
「エルフの狩人、リューナさんを見つけ出します。そして、この森を……必ず、元の姿に戻しますわ」
四天王、"腐界"のゼノ。
その歪んだ思想が支配する「死の森」へ、5人は覚悟を決めて足を踏み入れた。
(第二十九話 終)




