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第二十八話:音速武技 vs 絶対零度

キィン、というガラスが割れるような甲高い残響が、静まり返った広場に響き渡った。


アストラディア最強の防御を誇った《不壊の城壁》は、絶対零度の霧に侵食され、その分子結合を失い、無残な金属片となってドーリンの処刑台の足元に散らばった。


「……ありえない」


鎧を失い、簡素なインナーアーマーだけになったグレイヴが、自らの両腕を見下ろしながら呆然と呟く。


絶対的な自信を支えていた「不壊」の概念が、目の前で粉々に砕け散ったのだ。


「我が……城壁が……」


広場のドワーフたちが、息を呑んで勝利を確信した、その瞬間。


「――フッ」


グレイヴは、膝をつくどころか、喉の奥で低く笑った。


「フハハハ! 見事だ、小娘! まさか、この鎧を『法則』ごと破壊するとはな!」


彼は、肩に残っていた鎧の残骸を自ら引きちぎって捨てると、背負っていた巨大な戦斧を両手で握り直した。


鎧を失ったその体は、まるで鋼の塊のように引き締まっている。


「……魔王様には申し訳ないが、ヴァルカン占領の任務は、これにて失敗と相成る」


グレイヴは天を仰ぎ、まるで玉座の魔王に語りかけるかのように呟いた。 そして、後方に控えていた腹心の将軍オークに、広場全体に響き渡る声で命じた。


「全軍に告げよ! これより撤退を開始する!」


「グ、グレイヴ様!? しかし!」


「よいか!」


グレイヴは部下を鋭く睨む。


「これ以上の戦闘は無益な損耗を招くだけだ。貴様らは生き延び、魔王様へ報告せよ」


グレイヴは、再び舞を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、敗北の色ではなく、武人としての闘志が燃え盛っている。


「そして、こう付け加えよ。『グレイヴは、武人としての矜持を賭け、強敵ともと一騎打ちの末、死んだ』と!」


「なっ……! グレイヴ様、ご自害なさるおつもりですか!」


「将としてのけじめだ。……行け!」


将軍オークは、すべてを察した。


この誇り高き武人が、任務失敗の責任と、目の前の好敵手への敬意を、自らの命で果たそうとしていることを。


将軍は、涙をこらえながら右拳で胸を叩き、最敬礼を取った。


「……御意! グレイヴ様のご武運を!!」


オークの将軍が撤退の号令を響かせ、魔王軍の兵士たちは戸惑いながらも、秩序立って広場から撤退を開始していく。


部下たちの背中を見届けたグレイヴは、ただ一人戦場に残り、舞に向き直った。


「だが、勘違いするな。わが『不壊』の信念は、鎧ごときで砕けはせん! 我が矜持、我が武技の真髄、その身に刻んでくれる!」


「まだ戦う気……!?」


観月が身構える。


「当然だ!」


グレイヴはもはや盾を構えない。その巨体を震わせた次の瞬間、彼の姿が消えた。


(速い!)


舞が直感で盾を構えた瞬間、凄まじい衝撃が迸る。


グレイヴは、あの重厚な鎧を纏っていた時とは比較にならない、音速に近い踏み込みで舞の眼前に肉薄し、戦斧を振り下ろしていた。


「ぐっ……!」


舞は咄嗟に盾で受け止める。


先ほどまでの「絶対防御」に頼った『質量』の攻撃とは違う、純粋な『武』の速度と重さに押し込まれる。


グレイヴは一撃で仕留められないと見るや、瞬時に後方へ跳躍し、距離を取った。


「武とは、力のみにあらず!」


グレイヴが戦斧を横薙ぎに振るうと、圧縮された闘気が「斬撃波」となって空間を切り裂き、舞に襲いかかった。


「くっ……!」 舞はそれを盾で受け流すが、斬撃波は舞の背後にあった工房の壁を易々と両断した。


「どうした! 鎧を砕いた『絶対零度』とやらは、あの速度には追いつけんか!」


グレイヴは再び肉薄。斬撃波を囮に、舞の死角から戦斧の柄が繰り出される。舞はそれをリベロとしての反射神経で辛うじて避けるが、防御一辺倒になっていく。


「くっ……!」


舞も《ヴァリアント・ストライク》 で応戦しようとするが、グレイヴはそれを最小限の動きでかわし、カウンターで舞の体勢を崩す。


防御スキルではなく、純粋な体捌きと経験の差が、舞を圧倒していく。


「援護します!」


恵が《ウィンド・カッター》を放とうとした瞬間、グレイヴが鋭く牽制する。


「邪魔をするな、賢者こむすめ! これは、この騎士おんなとの一騎打ちよ!」


「……っ!」


「舞!」


結衣が叫ぶ。


「来るな!」


舞は、押し込まれながらも叫び返した。


「これは、私と彼の戦いだ!」


舞は、リベロとしての本能を研ぎ澄ませる。


(速すぎる。技のキレも読みも、全てが私の上を行く……! だからこそ!)


舞は、あえてグレイヴの次の踏み込みを誘う。


戦斧が横薙ぎに舞の首を狙う。


舞は、床に滑りこんでレシーブするような、常人では不可能な体勢でそれを潜り抜けた。零距離で左腕のガントレットを突き出した。


「《フリーズ・ストリーム》!」


近距離で放たれた冷気がグレイヴの右腕を凍らせ、一瞬、その動きを鈍らせる。


舞は、その千載一遇の隙を逃さなかった。


「《シールド・バッシュ》!!」 全神経を集中させた盾撃が、凍りついた戦斧の柄を正確に捉え、粉砕した。


武器を失い、がら空きになったグレイヴの胴体に、舞の剣の切っ先が突きつけられる。


「……」


「……」


広場に、再び静寂が戻った。


「……お前の、勝ちだ」


グレイヴは、荒い息をつきながらも、清々しい表情で敗北を認めた。


「殺せ。それが敗者の定めだ」


舞は、剣を収めた。


「とどめは…刺しません。」


「……何?」


「あなたは、部下たちの命を守るために撤退を命じた。そして、武人としての誇りのために、一人でここに残った。……そんなあなたを、私は殺せない」


「フン……武士の情けか」


グレイヴは自嘲気味に笑ったが、その目には驚きと、かすかな困惑が浮かんでいた。


「……死に場所を失ったか」


彼は処刑台のドーリンに向かって告げた。


「ドーリン。貴様は解放だ」


そして、舞を振り返った。

小娘まい。貴様の『意志』、そしてあの賢しい仲間が授けた『知恵』……実に見事だった。わが生涯で、これほど見事な敗北はなかったわ。……この情け、武人として、いずれ必ず返す」


その言葉に「仁義」を感じ取りながら、舞は武人の背中を見送った。


グレイヴは、撤退した部隊の後を追い、一人静かに広場を去っていった。


◇◇◇


「おおおおお!!」


敵が去った瞬間、ドワーフたちの本当の歓声が、ヴァルカンの空に響き渡った。


「フハハハハ! 見事だ、小娘ども!」


解放されたドーリンが、豪快に笑いながら工房に戻ってきた。


「お前たちの『革命』、気に入った! このドーリン、全面的に協力してやる!」


ドーリンは、恵が持ち込んだ「次」の設計図――『複合装甲』の概念図を広げた。


「だがな、お嬢ちゃん。この最高の『作品』を仕上げるには、最高の素材が足りん」


ドーリンは地図を指差した。


「エルフの森でしか採れん『霊樹の繊維』と、それを魔法的に付与する『精霊術』が不可欠だ。……まぁ、あの気取った連中エルフが、わしらドワーフに協力するとは思えんがな」


「……なるほど。次の課題はそこね」


恵は頷くと、懐からシルヴィアとの通信に使っていた魔道具を取り出した。


「ですが、その前に、フォルトゥナへ戦果を報告します。シルヴィア様も待っているはずよ」


恵は通信機に魔力を込め、ヴァルカン解放、グレイヴの撤退、そしてドーリンの確保という勝利の報告を簡潔に送信した。


広場が解放の喜びに沸き、ドーリンが工房の再稼働を指示し始める中、5人は束の間の休息を取りながら返信を待った。


数十分後。 恵の手の中の通信機が、静かに光を放った。


『――こちらシルヴィア。恵か。報告・・は確認した。ヴァルカン解放、ドーリン確保、実に見事だ』


通信機から、シルヴィアの冷静だが、どこか安堵したような声が響いた。


『お前たちからの報告と、ほぼ同時に南の斥候から緊急の諜報が入った。……グレイヴの撤退は、魔王軍全体の新たな動きと連動している可能性がある』


「新たな動き、ですって?」


『そうだ。四天王、"腐界"のゼノが活動を活発化させている。奴の力で、南の「大森林エルムガルド」が毒の沼に変えられつつある。 ……奇しくも、そこはドーリンの言った『エルフの森』だ』


通信機から、エルフの狩人「リューナ」と接触せよ、という次なる指令が飛ぶ。


「エルフの森が……腐界に」


「そして、エルフの狩人、リューナ」


グレイヴとの激戦を終えたばかりの5人の視線は、アストラディアの次なる戦場へと向けられていた。


(第二十八話 終)


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