表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/36

第三話:二周目の洗礼

神殿の外は、圧倒的な自然が広がっていた。空は深く青く、風が草木の匂いを運んでくる。


美しい世界。だが、そこは同時に、過酷な世界でもあった。


「それにしても、体が軽いな」


舞が軽く跳躍してみせると、驚くほどの高さまで飛び上がった。


クラスに応じた身体能力が付与されているのだ。観月も、信じられない速度で周囲を警戒している。


「身体能力の底上げは確認できました。基礎代謝も向上しているはず。リソース管理の計算式を修正する必要がありますね。ですが……」


恵が、頭で描いた最適ルートを歩こうとした瞬間、何もない平坦な道で盛大に躓いた。


「ふにゃっ!?」


「恵!?」


「……問題ありません。頭脳と身体の連携が最適化されていないだけです。想定の範囲内です」


強がりながら立ち上がる恵。


彼女の「ポンコツ」さは、異世界に来ても健在らしい。張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


地図を頼りに森の中を進むこと数時間。緊張と疲労が蓄積し始めた頃だった。


「なんか、意外と平和だね。このまま街まで行けちゃったりして」


観月が緊張をほぐすように言った、その瞬間だった。


「待て」


舞が鋭く制止した。


少し開けた場所に出たが、その先の茂みから、下卑た笑い声のようなものが聞こえてくる。


「ギシャァァァ!」


飛び出してきたのは、緑色の肌と醜悪な顔を持つ魔物――ゴブリンだった。


手に持った錆びた剣が、ギラリと光る。


一匹ではない。次から次へと現れ、あっという間に十数匹のゴブリンに囲まれた。


ファンタジーの定番。だが、目の前にいるそれは、紛れもない殺意を放っていた。


「嘘でしょ……!」


「来ます!」


「私が前に出る! みんなを守る! 《ガードアップ》!」


舞が叫び、スキルを発動させる。


彼女の体を淡い光が包み込み、防御力が高まるのを感じた。舞は恐怖を押し殺し、結衣たちを守るように立ちはだかった。


「みんな、援護を! 観月!」


「オッケー! 《クイック・ステップ》!」


観月が軽快なステップを踏むと、全員の体がさらに軽くなる。


「ギィッ!」


ゴブリンが舞に斬りかかる。


舞は咄嗟に腕でガードしたが、重い衝撃と確かな痛みが走った。


現代日本で経験したことのない、明確な「暴力」だった。


「くっ……!」


「舞! 《ヒール》!」


結衣がすぐに回復させるが、次から次へと襲いかかってくる。舞一人では捌ききれない。


「花音さん、歌を!」


「は、はい! 《眠りの歌》……!」


花音が震える声で歌い始める。だが、恐怖で集中力が安定せず、歌声は途切れ途切れになった。


穏やかな旋律は、興奮状態のゴブリンたちにはほとんど効果がない。


「数が多い! このままじゃジリ貧です! 《分析アナライズ》!」


恵が叫ぶ。視界に情報が浮かび上がる。


【ゴブリン(通常種):弱点・火属性。知能は低い。集団で行動する傾向あり。】


「弱点は火! 観月!」


「任せて! 《ファイア・ボール》!」


観月が火の玉を放つ。だが、焦りからか集中力が不足し、小さな火の玉はゴブリンの横を掠めただけだった。威力も、想像していたより遥かに低い。


「ダメだ、これじゃ……!」


その時、ゴブリンたちの動きが変わった。


彼らは本能的に、この集団の中で最も弱く、倒しやすい獲物を見定めたのだ。


数匹のゴブリンが舞の防御をすり抜け、後方で指示を出していた恵に殺到する。


「恵!」


舞が振り返るが、目の前のゴブリンに阻まれて間に合わない。


ナイトの初期スキル《ガードアップ》だけでは、仲間への攻撃を防ぐことはできないのだ。


恵は恐怖で足がすくみ、その場に尻餅をついた。


「来ないで! 《ウィンド・カッター》!」


恵が放った真空の刃は、弱々しく、ゴブリンの皮膚を浅く切り裂くだけだった。錆びたナイフが振り上げられる。


(死ぬ……!)


恵が恐怖で硬直した、その瞬間。


「させないっての!」


観月が、《クイック・ステップ》の効果で極限まで高まった速度で、恵とゴブリンの間に割り込む。


そして、ジョブ補正で上がったスピードで、すかさず腹部に突きを入れる。


「こっちだよ、ノロマ! 私を捕まえてみなよ!」


観月はゴブリンたちを挑発し、その注意ヘイトを引きつける。


ゴブリンたちの攻撃目標が、一斉に観月に切り替わった。


「観月! 無茶だ!」


「大丈夫! 私、避けるのだけは得意だから!」


観月はチアリーディングで培った体幹と、異世界で得た敏捷性で、ゴブリンたちの攻撃を紙一重でかわしていく。


回避盾としての役割を、咄嗟に果たしたのだ。


だが、それも長くは続かない。


多勢に無勢。慣れない戦闘で、観月の体力が急速に削られていく。一匹のゴブリンの棍棒が、観月の肩を捉えた。


「きゃっ!」


「観月! 《ヒール》! 《ヒール》!」


結衣が必死に回復を飛ばすが、初期の《ヒール》では回復量が少なすぎる。追いつかない。絶望的な状況だった。パーティは崩壊寸前だった。


「ダメだ、このままじゃ全滅する!」


舞が苦渋の決断を下す。


「一度引くよ! 観月、敵を引きつけて!」


「了解!」


観月の機転で生まれた、ほんのわずかな隙。


5人は全速力でその場から撤退した。ゴブリンたちの下卑た勝ち鬨が、森の中に響き渡っていた。


◇◇◇


安全な場所まで逃げ延びた5人は、息を切らせて地面に倒れ込んだ。


誰も言葉を発することができない。あるのは、荒い呼吸と、心臓の鼓動だけだった。


制服は泥と血で汚れ、体中が痛む。辛くも生き延びたが、それは勝利とは程遠い、惨めな敗走だった。


「……ごめんなさい」


花音が、涙を浮かべて呟いた。


「私が、怖くて、うまく歌えなかったから……」


「私の《ヒール》も、全然追いつかなかった……。私、何もできなかった」


結衣は、自分の無力感(心の枷)に唇を噛み締める。


「分析ができても、それに対処する力がなければ意味がない……。私の計算ミスです」


恵は、自分の知識が机上の空論でしかなかったことを痛感していた。


そして舞は、盾として仲間を守りきれなかった事実に打ちのめされていた。


「恵が狙われた時、動けなかった。完璧に守れなかった……」


「……強すぎるよ」


観月が、震える声で言った。


「たかがゴブリンなのに……私たち、全然歯が立たなかった」


これが、異世界アストラディアの現実。


スキルを持っていても、知識があっても、それだけでは生き残れない。絶望的なまでの、力の差。


「生き延びるためには……」


舞が、拳を握りしめる。その瞳には、絶望だけではない、確かな決意が宿り始めていた。


「もっと強くならなければならない。仲間を、守るために」


最初の絶望が、彼女たちの心に火を灯す。フォルトゥナへの道は、まだ始まったばかりだった。


(第三話 終)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ