第二十六話:タイムアタック!処刑まであと3日
ドーリンの決意に満ちた声が、地下牢の絶望的な空気を切り裂いた。 だが、その熱狂も束の間、ドワーフの棟梁は自らの言葉を打ち消すように、かぶりを振った。
「……と、言いたいが、不可能だ」
「どういうことです!」
結衣が詰め寄る。
「この『魔力収束ガントレット』……。設計図は完璧だ。だが、この魔力回路の鋳造と、超低温に耐えうる素材の精錬……。わしの技術をもってしても、完成には最短で一週間はかかる」
「一週間……」
観月の顔から血の気が引いた。
「ドーリンさんの処刑は、三日後なのに……」
「その通りだ」
ドーリンは再び牢の奥に座り込む。
「三日では、核となる魔力結晶を研磨することすらできん。……わしらの負けだ」
再び重い沈黙が工房を支配する。最強の壁を崩す「理論」は見つかった。だが、それを実現する「時間」がない。
「……非効率的ね」
その沈黙を破ったのは、腕を組み、ドーリンの作業場を冷静に《分析》していた恵だった。
「その『一週間』という見積もりは、あなたの現在の生産体制に基づいた数値でしょう?」
「生産体制だと? これは『作品』だ! わしのようなマスターが素材を吟味し、魂を込めて打ち、弟子がそれを補助する。ドワーフの伝統だ」
「その『伝統』こそが、非効率なのよ」
恵はドーリンを真っ直ぐに見据えた。
「あなたのやり方は、一人の天才が全工程を背負う『職人芸』。素晴らしいわ。平時ならね。でも、今は非常時。私たちが今から起こすのは『芸術』ではなく、『革命』よ」
恵は、牢越しのドーリンに宣言した。
「あなたの工房に、『産業革命』を実行します」
「さんぎょう……かくめい?」
「第一に『標準化』。全工程を細分化し、誰でも同じ品質の部品を作れるよう、作業を規格化する。第二に『工程の並列化』。いわゆるライン生産方式よ」
恵は、工房の見取り図を地面に描き殴る。
「一人が一つの『作品』を作るんじゃない。十人が、十個の『部品』を同時に作るの。あなたは、最も重要な『核』の鋳造と品質管理に集中。それ以外の全作業を並列で進めるわ」
「馬鹿を言え!」
ドーリンが怒鳴る。
「そんな流れ作業で、魂のないガラクタを作るなど、ドワーフの誇りが許さん! それに……」
ドーリンは自嘲気味に笑った。
「わし以外のドワーフは、どこにいる? グレイヴ様に怯え、家に閉じこもっている臆病者どもだけだ」
「その『誇り』と『人手』の問題は、私たちが解決します」
今まで黙っていた結衣が、静かに、しかし力強く言った。
「恵は、ここでドーリンさんと生産ラインの設計図を詰めて。私と観月、花音さんで、街のドワーフたちを説得してきます」
「無駄だと言っている!」
「無駄じゃありません!」
結衣は、ドーリンの目を真っ直ぐに見返した。
「彼らだって、悔しいはずです。誇りを踏みにじられて、仲間を見殺しにしようとしている。……その『職人魂』に火をつけるのが、私たちの役目です」
◇◇◇
結衣、観月、花音の三人は、工房を後にし、占領下のヴァルカン市街へと向かった。 街は恐怖に支配され、ドワーフたちは家の奥に隠れ、息を潜めていた。
三人は一軒一軒、扉を叩き、震えるドワーフたちに必死に語りかけた。
「お願いします! ドーリン棟梁が処刑されます! 私たちに力を貸してください!」
「無理だ……グレイヴ様に逆らえば、皆殺しにされる……」
「それでもいいんですか!」
結衣の声が、沈黙する街に響く。
「あなた方は、アストラディア最高の職人でしょう! その技術と誇りを、恐怖なんかのために全部捨てちゃうんですか! ドーリンさんは、たった一人で、今も牢の中で戦おうとしてるのに!」
結衣の言葉が、恐怖で凍りついていた彼らの心を揺さぶる。 それは、かつて「自己無価値感」に苦しんでいた結衣自身が、自分たちの「価値」を信じて放つ、魂の叫びだった。
「……わしらの、誇り……」
一人の若いドワーフが、固く握りしめた槌を見つめた。その瞳に、諦めではない、別の光が宿り始めていた。
◇◇◇
時を同じくして、舞は一人、工房の地下深く、使われなくなった古い坑道にいた。
ひんやりとした空気が肌を刺す、極寒の洞窟。そこが、彼女が選んだ修行場だった。
(ガントレットは、あくまで補助器具。恵の理論を実現するのは、私の『意志』だ)
舞は目を閉じ、精神を集中させる。 氷の魔力を練り上げる。だが、イメージが定まらない。
(《アイス・ランス》は『貫く』力。《アイス・ウォール》は『防ぐ』力。どちらも『力』に対する『力』だ……)
だが、恵が求めたのは「絶対零度」。
(絶対零度。それは、分子運動の『停止』……)
舞は、自らの心の在り方を見つめ直す。 リベロとして、ナイトとして、彼女の根幹にあったのは「完璧に守る」という意志だった。それは、敵の攻撃に対する、完璧な防御。
(違う。受け身じゃない)
彼女は、心のイメージを塗り替えていく。
(私が『守る』から、敵は『攻撃』してくるんじゃない。私が『止める』。敵の動き、熱、鎧の分子、その存在そのものを、私の意志で『停止』させる)
攻撃も防御も超えた、絶対的な「停止」のイメージ。 彼女の周囲の空気が、さらに冷たく、重く沈んでいく。坑道の壁に、薄氷が張り詰めていった。
◇◇◇
工房では、結衣たちが連れてきた十数人のドワーフたちを前に、恵が腕を組んでいた。彼らの目には、まだ恐怖と疑念が混じっている。
「いいですか。あなた方の『職人芸』は、今日この瞬間から禁止します」
恵の冷徹な言葉に、ドワーフたちがざわめく。
「これは戦争です。そして、これは『工場』です。あなた方はライン工として、指定された部品だけを、寸分違わぬ『規格』で作り続けてください」
恵は、ドーリンと徹夜で作り上げた工程表を壁に叩きつける。
「不満は聞かない。効率が全てよ。異論があるなら、三日後にドーリンが処刑されるのを指をくわえて見ていなさい」
「……っ! やってやる!」
「棟梁を、死なせるわけにはいかねぇ!」
ドワーフたちの職人魂が、恐怖を上回った。
「全ライン、稼働開始!」
恵は両手を広げ、工房全体に意識を巡らせる。
素材の搬入、炉の温度、鍛造のタイミング、部品の検品、冷却時間……。
複雑に絡み合う全工程の情報を、彼女の脳が、彼女のスキルが、一つの巨大なシステムとして掌握していく。
「――《最適化》!!」
恵のスキルが、個々のドワーフの動きではなく、「生産ライン」そのものに発動した。
無駄な動線が消え、作業の連携が洗練され、工房全体が、まるで一つの巨大な生命体のように、リズミカルに動き始めた。
カン! カン! カン!
それは、個の職人が奏でる不規則な音ではない。 革命のために集結した、集団が打ち鳴らす、鋼鉄の鼓動だった。
「すげぇ……」
ドーリンが、牢の中からその光景を呆然と見つめていた。「わしの工房が、わしの知らん生き物になっとる……」
恵は、ふにゃっ、と転びそうになるのを堪えながら、作業工程表を睨みつけた。
「非効率的な遅延は認めない。この産業革命で、一週間を三日に短縮する。……絶対に」
(第二十六話 終)




