第二十五話:物理も魔法も効かない?だったら科学よ!
鉱山都市ヴァルカン、その地下深く。 グレイヴが立ち去った大工房の牢獄は、絶望的な沈黙に包まれていた。
「三日……。三日後に、処刑?」
結衣が震える声で呟く。
「そんなの絶対、ダメだよ……!」
「ですが、どうしろと……」
花音は青ざめた顔で、グレイヴが去った方向を見つめている。あの圧倒的な絶望感を前に、得意の《信念の歌》さえも喉から出てこなかった。
「な、なんなんだよ、アレ……!」
観月が壁を殴りつける。
「舞の、あの凄い一撃が……掠りもしないなんて……!」
その舞は、鉄格子の前で膝をつき、自分の拳を握りしめていた。
(《ヴァリアント・ストライク》……)
マリオニスとの戦いの中、自らの「完璧主義」の呪縛を破り、さらに、仲間を守りたいという不屈の闘志で閃いた、ナイトとしての新しい答え。
あの手応えは本物だった。この力があれば、どんな敵からも仲間を守れると、そう信じたはずだった。
それなのに。
結果は、無傷。 鎧に、たった一つの傷さえ付けられなかった。 背後の壁だけが、己の力の虚しさを証明するように、派手に崩れ落ちている。
「……っ!」
屈辱と無力感に、奥歯がギリリと音を立てる。
「……フン。だから言ったのだ」
鉄格子の奥で、ドーリンが自嘲するように呟いた。
「グレイヴ様は絶対だ。あの《不壊の城壁》の前では、どんな力も無意味。わしを助けに来たなどと、お前たちの『ごっこ遊び』もここまでだ。さっさと立ち去れ」
「……ごっこ遊び、ですって?」
舞が低い声でドーリンを睨む。だが、ドーリンは目をそらし、牢の奥へと引っ込んでしまった。
「諦めないでください! きっと、何か……!」
結衣が叫ぶが、その声も虚しく響く。
「……いいえ」
その時、沈黙を破る、冷静な声が響いた。
恵だった。 彼女は一人、崩れた背後の壁の破片を手に取り、その断面を鋭い瞳で分析していた。
「諦めるのは非合理的よ。それに、舞」
恵は、膝をついたままの舞を振り返った。
「あなたの攻撃は、無意味ではなかった。それどころか、最大のヒントをくれたわ」
「恵……?」
「あの時の状況を再構築します」
恵は立ち上がり、全員に告げた。
「舞の《ヴァリアント・ストライク》は、グレイヴの鎧に直撃した。だが、鎧は無傷だった。ここまではいいわね?」
「ああ……」
「でも、その直後、グレイヴの背後にあった石壁が、衝撃波で粉々に砕け散った。……これが、答えよ」
「どういうことだ?」
「あの鎧は、単純に『硬い』んじゃない。あれは、物理的な運動エネルギーを『無効化』あるいは『透過』させる、異次元の魔術防御システムです。だから、舞の攻撃(力)そのものは消し去られ、その余波(衝撃波)だけが背後に抜けた」
恵の分析は続く。
「つまり、結論は一つ。《ヴァリアント・ストライク》のような『力』で突破しようとする限り、私たちは絶対にあの鎧を破れない」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
観月が叫ぶ。
「『力』がダメなら、『力』以外の法則で戦えばいい」
恵は、アストラディアに来てからずっと抑えていた、科学を扱う者としての知的な光をその瞳に宿した。
「私たちは、あの鎧の『物理法則』そのものを変えるのよ」
「法則を、変える……?」
「ええ。私の世界の知識によれば、どんなに強靭な金属にも、明確な弱点が一つだけ存在する」
恵は、かつて学んだ材料工学の知識を脳裏から引き出す。
「それは、『温度』よ」
恵は、鉄格子の前に進み出ると、牢の奥で背を向けていたドーリンに語りかけた。
「ドーリン。あなたの世界の常識では、金属は熱すれば柔らかくなる。そうでしょう? ……では、逆に、極限まで『冷却』したらどうなるか、知ってる?」
「……冷却だと?」
ドーリンが訝しげに振り返る。
「金属は、超低温状態に晒されると、その靭性――粘り強さを失い、まるでガラスのように脆くなる。分子結合そのものが停止するからよ。これを、私の世界では『脆性破壊』と呼ぶわ」
「ぜいせい……はかい?」
「そう。攻略の鍵は『力』じゃない。『温度』よ。舞の氷属性を、ただの攻撃魔法としてではなく、あの鎧の分子運動を完全に停止させるための『絶対零度』の触媒として使うの」
恵の言葉に、舞がハッと顔を上げる。
「絶対零度……」
「だが、無茶だ!」
ドーリンが即座に反論した。
「お嬢ちゃんの氷魔法程度で、あの魔王軍最強の鎧を『脆く』するなど……! それこそ、不可能だ!」
「ええ、今の舞さんの魔力ではね。だから、あなたの技術が必要なのよ、ドーリン」
恵は、懐から数枚の羊皮紙を取り出し、鉄格子の隙間から滑り込ませた。それは、フォルトゥナで書き溜めていた、彼女の「革命」の設計図の一部だった。
「これは……!?」
ドーリンは、その設計図に描かれた複雑な魔力回路と機構図を見て、目を見開いた。
「舞さんの魔力を超低温に変換し、一点に収束させるための補助装備。『魔力収束ガントレット』の概念図よ。あなたの冶金技術と、この世界の希少鉱物、そして私の現代知識を組み合わせれば、理論上、実現可能なはず」
ドーリンの手は、震えていた。 設計図に描かれた理論は、彼のドワーフとしての常識を遥かに超えていた。
だが、同時に、その革新的な構造は、彼の職人としての魂を激しく揺さぶった。
不可能だ。常識ではありえない。 だが、もし。もし、この設計図が形になったなら。
「……フッ」
ドーリンの口から、乾いた笑いが漏れた。
「……フハハハハ! 面白い! 面白いぞ、人間の小娘!」
ドーリンは鉄格子を掴み、その瞳に消えかけていた炎を再点火させた。
「脆性破壊! 絶対零度! 魔力収束ガントレット! どれもこれも、聞いたこともない戯言だ!」
彼は設計図を高く掲げ、叫んだ。
「だが、いいだろう! 不可能を可能にするのが、ドワーフの技術だ! お前たちの『革命』とやら、このわしが手を貸してやる!」
残り三日。絶望的な状況の中、現代知識と異世界技術の融合という、一条の光が差し込んだ。
(第二十五話 終)




