第二十四話:鋼の都市ヴァルカン
アストラディア北東部、ドラゴンスパイン山脈。
天を突くように連なる険しい岩山と深い渓谷は、これまでの旅路とは比較にならない過酷さだった。
冷たく乾燥した風が容赦なく吹き付ける中、5人は鉱山都市ヴァルカンを目指して進んでいた。
「《分析》。周辺の魔物の出現傾向が変化している。獣系ではなく、ゴーレムやガーゴイルといった鉱物系の魔物が増加。明らかに人為的な配置……グレイヴの勢力圏に入った証拠ね。」
恵は周囲の環境データを解析しながら、道端で拾い上げた鉱石の欠片を見つめた。その瞳は、珍しく知的好奇心で輝いている。
「それに、この地質。鉄鉱石の含有量が高いだけでなく、魔力伝導率の高い希少鉱物も豊富。ドワーフたちがここに高度な冶金技術を発展させたのは、極めて合理的だわ」
「恵、すっごいワクワクしてるね」
観月が白い息を吐きながら笑う。
「新しいビジネスチャンス発見!って顔してる」
「当然よ。これは私たちの生存戦略を左右する、産業革命の礎なんだから。1周目のように安易な力に頼らず、自分たちの知識でこの世界を攻略する。そのための第一歩よ」
恵の頭の中では、現代の材料工学と異世界の鍛冶技術を融合させるシミュレーションが、すでに始まっていた。
「相手は"不壊"のグレイヴ。最強の防御力を誇る武人か」
舞が、冷気の中で白い息を吐きながら呟く。
「私と同じ盾役。力比べなら、望むところだ」
「心の枷」を克服し、柔軟な思考を手に入れた舞にとって、グレイヴは超えるべき明確な壁だった。
数時間後、峠を越えた先に、ついに目指す都市がその威容を現した。
◇◇◇
鉱山都市ヴァルカン。
巨大な活火山の麓、岩山そのものをくり抜いて作られた天然の要塞。
だが、その光景は、希望とは程遠いものだった。
都市の入り口にはドワーフの伝統的な意匠ではなく、魔王軍の漆黒の旗が掲げられている。
本来響いているはずの活気ある槌音は消え、代わりに聞こえてくるのは、兵士たちの怒号と、時折響く鞭の音だけだった。
「完全に占領されている……」
結衣が息を呑む。
城壁の上を、重装備のオークやリザードマンたちが巡回している。街全体が、恐怖と暴力によって支配されていた。
「グレイヴのやり方は、マリオニスとは違って直接的ね。正面突破は非効率的です。……あの西側の斜面、古い採掘坑の通気口があります。あそこから潜入しましょう」
5人は闇に紛れて斜面を登り、狭く埃っぽい通気口を抜けて、ヴァルカン内部への潜入に成功した。
街の中は、想像以上に悲惨な状況だった。ドワーフたちは皆、うつむき、魔王軍の監視下で武器や防具の生産を強いられている。
誇り高き職人としての魂は、完全に打ち砕かれているように見えた。
「ひどい……。ドワーフって、もっと頑固でプライドが高い種族だって聞いてたのに」
観月が顔をしかめる。
「恐怖で、そのプライドをへし折られたんだ」
舞が、監視兵を睨みつける。
「許せない」
5人は物陰に隠れながら、ドーリンが幽閉されているという情報があった、街の中心部にある大工房を目指した。
大工房の周辺は、特に警備が厳重だった。
恵の《サイレンス》で音を消し、舞と観月が先行して警備兵を無力化していく。
そして、工房の地下にある、鉄格子が嵌められた牢の前に辿り着いた。
◇◇◇
「……誰だ?」
暗闇の中から、低く、しゃがれた声がした。
そこにいたのは、岩のような筋肉と、長く伸びた白い髭を持つドワーフだった。
衰弱してはいるが、その瞳だけは、まだ燃え尽きていない炉の火のように、ギラリと輝いている。
彼がドーリンだった。
「ドーリンさんですか? 私たちはレジスタンスの者です。あなたを助けに来ました」
結衣が囁きかける。
「レジスタンスだと? フン!」
ドーリンは吐き捨てるように言った。
「人間の小娘どもに何ができる。グレイヴ様の力は絶対だ。わしはここで朽ち果てるだけだ。放っておけ」
彼は絶望し、心を閉ざしていた。
「頑固だとは聞いていたが、ここまでとはな」
舞がため息をつく。
「いえ、合理的ね」
恵が、ドーリンの前に進み出た。
「彼は現状を正確に分析し、私たちの力ではグレイヴに対抗できないと判断している。だから、無駄な希望を拒否しているのよ」
「恵?」
「だけど、その前提条件を覆す『革命』を、私たちは持っている」
恵は、懐から数枚の羊皮紙を取り出し、鉄格子の隙間からドーリンの前に広げた。
フォルトゥナで書き上げた、複合装甲の設計図だ。
「ドーリン。あなたの知識を借りたい。この設計図を、現実のものとするために」
「設計図だと? こんな時に……」
ドーリンは、面倒くさそうに設計図に目を落とした。そして、息を呑んだ。
「なっ……これは……!?」
そこに描かれていたのは、彼が知るどの技術体系とも異なる、革新的な構造理論だった。
「『複合装甲』の概念図よ。異なる素材を積層させ、衝撃を分散・吸収する。そして、これは『衝撃吸収ゲル』の配合案。あなたの持つ冶金技術と組み合わせれば、理論上、既存の防御力を300%以上向上させることが可能よ」
「馬鹿な! こんな構造、見たことも聞いたこともない! だが……この理論は……完璧だ……!」
ドーリンは、まるで磁石に吸い寄せられるように設計図を掴み取った。
職人としての本能が、この設計図の持つ革命的な価値を瞬時に理解したのだ。
「どう?ドワーフの技術で再現できる?」
「できるか、ではない! やるのだ!」
ドーリンは立ち上がった。その瞳には、絶望の代わりに、消えかけていた創造への情熱が宿っていた。
「この設計図があれば……グレイヴのあの忌々しい力にも対抗できるかもしれん!」
「交渉成立ね」
恵が口元を緩めた。
「よし! じゃあ、さっさとここから出よう!」
観月が鉄格子を掴んだ、その時だった。
「――どこへ行くつもりだ?」
地響きのような重低音が、工房全体を震わせた。
◇◇◇
凄まじい圧迫感と共に、ゆっくりと姿を現したのは、巨大な影だった。
身長は2メートルを超え、全身を漆黒のフルプレートアーマーで覆っている。
その鎧は異様なほど分厚く、無数の傷跡が刻まれているが、歪み一つない。
そして、手には巨大な戦斧と、それ以上に巨大なタワーシールドを持っていた。
四天王、"不壊"のグレイヴ。その存在感は、圧倒的だった。
「《分析》! グレイヴ! 物理・魔法防御力、共に計測限界値を超えています! あれは……化け物です!」
恵が、驚愕と焦燥が入り混じった声で叫ぶ。
「ほう。ネズミが紛れ込んでいるとは思ったが……マリオニスが手こずったという異界の小娘どもか」
グレイヴは、感情の読めない兜の奥から、5人を冷たく見下ろした。そして、その視線を舞に固定する。
「貴様が、奴らの盾か。良い目をしている。だが、力なき理想など、この私の前では無意味だ」
「私が相手だ!」
舞は一歩も引かず、盾を構えてグレイヴと対峙した。最強の盾と、覚醒した守護者が対峙する。
「フン。試してやろう」
グレイヴが巨大なシールドを構え、その巨体ごと突進してきた。まるで城壁そのものが迫ってくるような圧力。
「《ガードアップ》!」
舞は渾身の力でそれを受け止めた。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃。これまでのどんな敵とも比較にならない、圧倒的な質量とパワー。舞は渾身の力で耐えきったが、両腕は痺れ、足元の石畳は蜘蛛の巣状に砕け散っていた。
「ほう。防いだか」
グレイヴが、感情の読めない兜の奥から、わずかに感心したように呟いた。 その余裕ある態度が、舞の「負けず嫌い」な魂に火をつける。
(……防ぐだけでは、勝てない!)
マリオニスとの戦いで得た柔軟な思考、そして今、この圧倒的な「壁」を前にして、仲間を守り抜くという不屈の闘志が、彼女の中で一つの答えを「閃かせた」。
「これなら、どうだ……!」
舞は防御一辺倒だった体勢から一歩踏み込み、握りしめた剣にありったけの意志を込めた。 ナイト(騎士)としての防御力を、今、攻撃の力へと変換する!
「《ヴァリアント・ストライク》ッ!」
それは、今この瞬間に閃いた、舞の新しいジョブスキル。
渾身の力を込めた無属性の斬撃が、グレイヴの胴を正確に捉えた。
キィィン!! という甲高く、耳を裂くような金属音が響き渡る。
舞の全力の斬撃は、漆黒の鎧に阻まれ、傷一つ付けることができない。
しかし、その斬撃が孕んでいた凄まじい「力」は、行き場を失い、衝撃波となってグレイヴの背後へと突き抜けた。
ズガァァァン!!
グレイヴが背にしていた工房の石壁が、まるで爆撃を受けたかのように粉々に砕け散り、崩れ落ちた。
「なっ……!?」
「嘘でしょ……!?」
結衣と観月が息を呑む。
目の前の男は、今の一撃を受けてなお「無傷」なのだ。
「背後の壁が……! あれほどの威力の技を、真正面から受けて……!」
「舞が今、新しく閃いた技……それが、全く通用しないなんて!」
恵が、分析結果を信じられないといった様子で叫ぶ。
「その通りだ」
グレイヴは、崩れ落ちた背後の瓦礫を気にも留めず、低く笑った。
「我がスキル《不壊の城壁》。この身に受ける全てのダメージを、一定量まで完全に遮断する。貴様ら程度の攻撃力では、たとえ初見の新技であろうと、私の鎧に傷一つ付けることもできん」
絶対的な防御。それが、"不壊"の名の由来だった。
「そんな……!」
攻撃が全く通用しない現実に、5人は愕然とする。
「終わりだ」
グレイヴがゆっくりと歩み寄る。その一歩一歩が、死刑宣告のように重く響く。
「舞! 一時撤退します! このままでは全滅です!」
恵が叫ぶ。
「くっ……!」
衝撃波だけで石壁を粉々に砕くほどの威力を込めた一撃が、全く通用しなかった。
舞は、有効打すら与えられないその屈辱に、ギリッと歯噛みした。
「逃がさん」
グレイヴが追撃しようとした瞬間、彼はふと動きを止めた。ドーリンの瞳に宿る、消えない反抗の炎を見たからだ。
「……よかろう」
グレイヴは低く笑った。
「貴様らの希望とやら、徹底的に砕いてやるのも一興」
グレイヴは戦斧を収め、ドーリンを睨みつけた。
「三日だ。三日後、中央広場にてドーリンを公開処刑とする」
「なにっ!?」
「小娘ども。もし奴を救いたければ、三日後、この我の前に立ってみせよ。ドワーフどもの目の前で、貴様らの絆とやらが、真の力の前にどれほど無力か、その身で味わわせてやる」
圧倒的な自信と傲慢さからくる、残酷な提案。
挑戦状を叩きつけ、グレイヴは悠然と立ち去っていった。
残されたのは、絶望的な状況と、わずかな時間。
「三日……」
恵が呟く。
「ドーリン、あの設計図を完成させるには?」
「最低でも一週間はかかる!」
絶望的な回答。だが、舞は痛む体を押して立ち上がった。
「いや。私たちが時間を稼ぐ。そして、必ずあの盾を超える」
その瞳には、恐怖ではなく、最強の盾を超えるための闘志が燃え上がっていた。
(第二十四話 終)




