第二十三話:マクロな正義、ミクロな正義
始まりの神殿。
賢者アルドゥスが語り終えた後、石造りの空間には重苦しい沈黙だけが流れていた。
「偽りの凱旋」という過去の失敗と、時間遡行という禁断の奇跡。その真実の重みが、5人の少女たちにのしかかる。
「……状況を整理しましょう」
最初に口を開いたのは恵だった。
彼女は感情を押し殺し、事実を論理的に定義することで、この衝撃を受け止めようとしていた。
「1周目、私たちは連携を怠り、安易なチートに依存した。その結果、偽りの勝利に満足し、世界は破綻。そして現在、敵陣営だけが過去の記憶を保持している……」
恵は眼鏡のブリッジを押し上げ、現状を端的に結論付けた。
「これは、いわゆる『強くてニューゲーム』の逆。『敵だけが記憶持ちの2周目ハードモード』。極めて不利な条件ね」
ハードモード。
マリオニスが彼女たちの「心の枷」をあれほど的確に突けた理由が、今、明らかになった。
全ては1周目の知識に基づいていたのだ。
「わしの責任じゃ……」
アルドゥスが、深い後悔に顔を歪める。
「そなたたちを正しく導けなかった、わしの罪じゃ」
「過ぎたことを悔やんでも、現状は改善しない」
舞が、アルドゥスを遮った。
「重要なのは、このハードモードをどう攻略するかだ」
「そうだよ。確かに、私たちの出会いは、アルドゥス様が願った奇跡かもしれないけど……」
結衣は、仲間たちの顔を一人ずつ見渡し、胸に手を当てた。
「この1年間、一緒に笑って、悩んで、そしてこの世界で一緒に戦ってきた想いは、絶対に偽物じゃない。この絆は、もう私たちだけのものだよ」
「ええ。与えられた奇跡だとしても、それを本物に変えたのは、私たち自身ですもの」
花音も力強く頷く。
彼女たちの集中力が、再び強く、熱く輝き始める。
過去に囚われるのではなく、今を生きる覚悟が決まった瞬間だった。
「その意気じゃ」
アルドゥスは、衰弱した体でゆっくりと立ち上がった。
「ならば、そなたたちに知ってほしい。魔王の真の目的を」
アルドゥスは、神殿の壁に魔力でアストラディアの地図を映し出した。
「魔王は、自らを『世界の外科医』と称しておる。この世界が『停滞』という病に侵されていると考え、種族間の対立、技術発展の遅れ……それら全てを病巣と見なし、一度リセットすることで『治療』しようとしておるのじゃ」
「治療……? そのために、多くの人を犠牲にして?」
結衣が眉をひそめる。
「それが、奴の掲げる『マクロな正義』じゃ。個の幸福よりも、世界全体の存続と進化を優先する思想。そのためならば、犠牲は必要なコストだと考えておる」
「究極の合理主義、あるいは全体主義ですね」
恵が冷ややかに言った。
「ですが、その思想は、私たちの守りたい『ミクロな正義』――目の前の日常とは、絶対に相容れない」
「そうじゃ。そして、奴の思想を体現するのが、残る三人の四天王じゃ」
アルドゥスは、地図上の三つの拠点を指し示した。
「軍団を率いる鉄壁の武人、"不壊"のグレイヴ。死と汚染を撒き散らす召喚士、"腐界"のゼノ。そして、知識を絶対視する大魔術師、"深淵の賢者"ライラ。彼らはマリオニスとは異なり、純粋な力で立ちはだかる」
「現状の戦力では不十分です」
恵が即座に提言する。
「戦力の増強が必要。具体的には、新たな仲間の獲得と、装備の抜本的な改革です」
「うむ。まずは北東の山岳地帯、『鉱山都市ヴァルカン』を目指されよ。ドワーフの鍛冶師ドーリンの技術が不可欠じゃ。そして、南の『大森林エルムガルド』には、エルフの狩人リューナがおる。じゃが、ヴァルカンは今、グレイヴの軍勢によって占領されているという情報もある」
「望むところです」
恵が不敵に笑った。
「困難な案件ほど、成功した時のリターンは大きい。まずはヴァルカンへ向かいましょう」
◇◇◇
数日後。5人は自由都市フォルトゥナへ帰還した。
レジスタンス本部、作戦司令室。
アルドゥスから聞いた全ての真実を報告されたシルヴィアは、目を見開いた。
「時間遡行……。アルドゥス様がそこまでの代償を払っていたとは。そして、敵が我々の過去を知っている……状況は最悪だ」
シルヴィアは戦略地図を睨みつけた。
「特にヴァルカンの件は深刻だ。数日前の報告で、グレイヴの軍勢による完全占領が確認された。ドーリンという鍛冶師も、幽閉されている可能性が高い」
「"不壊"のグレイヴ。最強の防御力を持つ敵か」
舞が腕を組む。
「盾役として、超えなければならない壁だな」
「ええ。ですが、それは同時にチャンスでもあります」
恵は、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。そこには、複雑な設計図が描かれていた。
「これは?」
「複合装甲と衝撃吸収素材の概念図です。私の世界の知識と、ドワーフの技術を融合させれば、理論上、既存の装備の性能を遥かに凌駕できるはずです」
恵の瞳が、新たな可能性を見据えて輝く。
「ノクス村での公衆衛生革命、フォルトゥナでの組織改革。そして次は、アストラディアにおける産業革命です。私たちの『革命』の定義を、アップデートしましょう」
シルヴィアは、恵の設計図と、彼女たちの自信に満ちた表情を見比べ、ふっと口元を緩めた。
「いいだろう。君たちの革命に賭けよう。ヴァルカン解放作戦を承認する」
◇◇◇
その頃。万年闇に閉ざされた魔王城、玉座の間。
そこには、魔王と三人の四天王が集まっていた。なお、マリオニスは、先の失態により謹慎中であった。
「異界の者たちが、アルドゥスの元で真実を知り、次なる目標をヴァルカンに定めたようです」
ローブを纏った知的な女性――"深淵の賢者"ライラが、感情の読めない声で報告する。
「フン。来たか」
重厚な鎧に身を包んだ大男――"不壊"のグレイヴが、その巨躯を揺らしながら鼻を鳴らした。
「マリオニスの小細工は終わった。次は、純粋な力と力のぶつかり合いよ。奴らの絆とやらが、このグレイヴの盾の前にどれほど無力か、思い知らせてくれよう」
「ヒヒッ……油断は禁物だぜ。彼女たちの成長速度は、1周目を遥かに凌駕している……」
ボロ布を纏った男――"腐界"のゼノが、不気味な声で警告する。
「案ずるな」
玉座から、魔王の静かな声が響いた。
「全ては私の治療計画通りだ。彼女たちの希望は、停滞した世界に対する健全な免疫反応の現れ。その力が本物かどうか、試す価値がある」
魔王は、理知的な瞳で地図上の一点――ヴァルカンを見据えた。
「見せてもらおうか。彼女たちの『ミクロな正義』が、私の『マクロな正義』にどこまで対抗できるのかを」
アストラディアの命運を賭けた戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。
(第二十三話 終)




