第二十話:祝福
「――昨日の戦闘データ、分析が完了しました」
フォルトゥナの宿舎。恵は、羽ペンを走らせていた羊皮紙から顔を上げた。
広場でのマリオニスとの戦闘、そして花音の覚醒。その全てを、彼女は冷静に分析していた。
「最大の収穫は、花音。あなたの《浄化の歌》 よ。あれは、私たちの戦略における重大なブレイクスルーです」
「え?」
花音がきょとんとする。
「これまで、私たちの『状態異常回復』は、結衣の《キュア》 に依存していました」
恵は結衣の方を見て、続けた。
「結衣の《キュア》は、専門職のスキル。単体の対象にかかった強力な呪詛を、ピンポイントで解除する『外科手術』に近い。ノクス村の井戸で、カース・スラッジの呪いから舞を救ったのがそれです」
結衣はこくりと頷く。
「ですが、花音の《テラ・キュア》は、広域支援の地属性スキル。広範囲に拡散した汚染や呪毒を、大地を介して一括で浄化する『広域洗浄』です」
恵は眼鏡を押し上げた。
「この二つは、役割が全く競合しません。それどころか、『単体の即死級呪詛』 と『集団の状態異常』その両方に対して、オペとクリーニングで対応できる唯一無二のパーティになった。極めて合理的です」
「おおー!つまり最強ってことじゃん!」
観月が喜ぶ。
「そういうことだ。花音、お前の力は本物だ」
舞も頷いた。
仲間たちが花音の覚醒を改めて称賛する中、結衣は、自分の手のひらをそっと見つめていた。
(すごい……花音ちゃん。私にはできない、広範囲の浄化……)
恵の分析はさらに続く。
舞の《アイス・ウォール》 による戦術的な防壁、観月の《フレア・ミラー》 による魔法カウンター、恵自身の《応用科学》。
仲間たちが次々と、戦局を覆す「力」を手に入れている。
(みんな、すごい……。それに比べて、私は……《ヒール》と《キュア》。確かに必要だろうけど、それだけ……)
(私の力は、みんなに追いつけてないんじゃ……)
恵の合理的な「定義」と仲間たちの称賛が、かえって結衣の「自己無価値感」という「心の枷」 を、静かに、だが確実に締め付け始めていた。
◇◇◇
結衣は不安を紛らせるように、救護活動、特に戦争孤児たちの世話に没頭していた。
その中に、リオという8歳の少年がいた。
心を閉ざしていたが、結衣の献身的な世話で少しずつ笑顔を見せるようになっていた。その姿が、地球に残してきた弟・優斗と重なる。
(この子たちを守らきゃ。私が、役に立たなきゃ。そうしないと、私の存在意義は……)
そして、マリオニスは、その最も純粋な想いを踏みにじるための舞台を用意していた。
数日後。
結衣が孤児院を訪れると、子供たちが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「結衣お姉ちゃん! マリウス様が教えてくれたんだ! 西区の古い教会に、どんな病気も治す『聖なる雫』があるって!」
「マリウス様が……?」
結衣の胸に、嫌な予感が走った。
仲間たちも、マリオニスの罠を警戒し、結衣を一人にしないようにしていた。
だが、この時、彼女たちは別任務で街の外に出ていた。
(みんながいない時に狙ってきた……!)
結衣は警戒するが、リオや他の子供たちの期待に満ちた瞳を見て、断ることはできなかった。
最近、原因不明の微熱に悩まされている子供もいたのだ。
「……分かったわ。行ってみようか。」
それが、最も残酷な罠の入り口だった。
◇◇◇
西区の廃教会。
薄暗い礼拝堂には、リオをはじめ十数人の孤児たちが集まっていた。
そして、祭壇の前には、四天王としての本性を現したマリオニスが立っていた。
「よく来ましたね、児島結衣。歓迎しますよ。あなたの絶望のフィナーレへ」
「マリオニス! 子供たちを利用するなんて!」
「利用? 私はただ、あなたの無力さを証明して差し上げるだけです」
マリオニスが指を鳴らすと、教会の全ての出入り口が魔法の障壁で閉ざされた。
同時に、祭壇の奥から、悍ましい気配が溢れ出す。 現れたのは、朽ちた法衣を纏った高位のアンデッド――リッチだった。
「きゃあああ!」
子供たちが悲鳴を上げる。
「やめて! 《ホーリー・アロー》!」
結衣は咄嗟に、初期スキルである光の矢を放つ。
プリースト(聖職者)の光属性は、アンデッドの弱点のはずだった。
だが、リッチは片手をかざすだけ。光の矢はリッチに届く前に霧散し、そのローブを揺らすことすらできなかった。
「そんな……! 弱点属性のはずなのに、全然効かない……!」
結衣が絶望する間もなく、リッチが杖を掲げると、礼拝堂全体に黒い霧が充満した。
それは、生命力そのものを奪い去る「ドレイン」の呪詛だった。
「苦しい……!」
子供たちが次々に倒れ、衰弱していく。特にリオの衰弱が激しい。
「攻撃がダメなら、守らないと! 《キュア》! 《ヒール》!」
結衣は必死に回復と浄化を試みる。
だが、リッチの呪詛はあまりにも強力で、回復してもすぐに生命力を奪われてしまう。イタチごっこだった。
「無駄です」
マリオニスが嘲笑う。
「あなたの力では、何も救えない。その現実は、あなた自身が一番よく知っているはずだ」
その瞬間、結衣の視界が歪んだ。マリオニスの幻術が発動する。
リオの姿が、優斗の姿に変わる。8歳の弟が、目の前で苦しみ、助けを求めている。
『お姉ちゃん、助けて……苦しいよ……』
(優斗! 優斗!)
結衣は叫ぶが、声にならない。
必死に手を伸ばすが、届かない。かつて、優斗が危険な目に遭った時、咄嗟に動けなかった無力な自分の記憶が蘇る。
「あなたは無力だ。自己犠牲の精神だけは立派だが、それに伴う力がない。だから、あなたの努力は全て無価値なのです」
(無価値……。私は、結局、誰も救えない……)
結衣の心が折れ、目の光が消え失せていく。
その時だった。
ドガァァァン!!
教会の扉が、凄まじい衝撃で吹き飛んだ。
「結衣!!」
舞、観月、恵、花音が飛び込んできた。
彼女たちは任務を最短で終わらせ、結衣の危機を察知して駆けつけたのだ。
「間に合った!」
「あの骨野郎、ぶっ飛ばす!」
4人は即座に戦闘態態に入る。
舞が《アイス・ウォール》で子供たちを守り、観月が《フレア・ミラー》でリッチの魔法を反射し、恵が《応用科学》で反撃の糸口を探り、花音が《浄化の歌》で呪詛を中和していく。
その光景を、結衣は呆然と見ていた。
(みんな……強い。私がいなくても、みんなだけで……)
だが、リッチは強力だった。4人の連携をもってしても、決定打には至らない。
リッチの強力な攻撃の前に、舞の防御が削られ、花音の浄化が追いつかなくなりつつあった。
「結衣! 何をしている! お前の力が必要だ!」
舞が叫ぶ。
「結衣! あなたの存在が、私たちの戦略の前提条件です! あなたがいなければ、この戦況は維持できません!」
恵が叫ぶ。
その言葉が、結衣の心に響いた。
(私の存在が……前提条件?…そうか!)
舞が安心して前に出られるのは、観月が全力で踊れるのは、恵が大胆な戦略を立てられるのは、花音が歌に集中できるのは、後ろに結衣がいて、いつでも回復できると信じてくれているからだ。
彼女たち4人が自分の役割に専念できるのは、結衣への絶大な信頼があればこそなのだ。
(みんな、ありがとう…)
そのことに気づいた結衣の目には、涙が浮かんでいた。
(たしかに、私には、舞や恵みたいに戦局を覆すような、強力な攻撃はないかもしれない。でも……)
結衣は立ち上がった。
(私がここにいるだけで、みんなが強くなれる! 私の存在は、無価値なんかじゃない!)
自己無価値感という「心の枷」が、音を立てて砕け散った。
自分自身の存在価値を肯定した瞬間、彼女の魂が輝きを放つ。結衣の魔力が、過去最大値を超えて爆発的に高まった。
リッチが、その膨大な魔力を結集させ、最も消耗している舞にとどめの一撃を放とうとする。
「させない! みんなを守る!」
結衣は両手を広げ、プリーストとしての守護の祈りを捧げた。
「《プロテクション》!」
温かい光の波動が、舞を包み込む。
それは、対象単体の物理防御力・魔法防御力を一時的に高める、強力な守護の力だった。
リッチの攻撃が舞の盾に激突するが、光に守られた舞はほとんど揺らがない。
「力が漲る!」
舞が目を見張る。
「リオ、あなたも!」
結衣はすかさず、呪詛に震えるリオにも《プロテクション》をかけた。少年の体を温かい光が包み、守っていく。
「そして、あなたの悪意に抗う!」
結衣は、リッチとマリオニスを睨み据えた。
この理不尽な状況を絶対に認めない!
その強い意志が、光属性の奇跡を呼び起こす。
「神の祝福を! 《ブレッシング》!」
結衣から放たれた神聖な光が、天から降り注いだ。それは、運命そのものに干渉し「幸運」という名の奇跡を引き寄せる力。
リッチが、今度こそパーティを壊滅させようと、最大級の死の魔法を放とうとした、その瞬間。
リッチの手のひらに集束していく死の魔力が、原因不明の術式エラーを起こし、突如として制御不能に陥った。
「なっ!? ばかな!」
リッチが怯んだ瞬間、魔法は暴発し、そのエネルギーがリッチ自身に逆流した。
「グギャッ!?」
「すごい! 敵の攻撃が失敗した!?」
「《分析》結果! パーティ全体の『幸運値』が、限界まで上昇しています! ありえません! リッチ自身の術式が破綻しました!」
「今だよ、みんな!」
結衣が叫ぶ。
仲間たちは、この奇跡を逃さなかった。暴発によって無防備になったリッチへ、怒涛の連携が叩き込まれる!
「私が先陣を切る! 《シールド・バッシュ》!」
舞が怯んだリッチの懐に飛び込み、渾身の盾撃を見舞う! その凄まじい衝撃は、リッチの骨ばった体を教会の天井近くまで吹き飛ばした!
「花音、今です! あの穢れを抑えて!」
恵の指示が飛ぶ。
「はい! 《浄化の歌》、最大展開!」
空中で無防備になったリッチに、花音の聖なる歌声から放たれる浄化の光が降り注ぐ!
それに直接的な破壊力ではない。だが、アンデッドとしての存在そのものを弱体化させ、その動きを空中に縛り付ける!
「観月! 火を!」
「OK! 《ファイア・ボール》!」
観月が即座に火の玉を放つ。
「《応用科学》発動! 風(酸素)を収束、火力最大化!」
恵は観月の火炎がリッチに届く寸前、風から高濃度の酸素の槍を生成し、それを火炎と完璧に融合させた。
「「いっけえええ! 《火炎槍》!!」」
二人の力が合わさった灼熱の火炎槍が、浄化の光に縛られたリッチを正確に貫いた。
アンデッドの魔力と高濃度の酸素、そして灼熱の炎が連鎖的に反応し、凄まじい爆発を起こす。
舞の打撃による打ち上げ、花音の浄化による弱体化と拘束、そして恵と観月の《火炎槍》による高火力。
三位一体のコンボが炸裂し、抵抗する術を失ったリッチを断末魔の叫びと共に塵へと変えた。
◇◇◇
「……馬鹿な」
教会の梁の上で、マリオニスは信じられないという表情で呟いた。
彼の最高の舞台は、5人の絆の前に、完全に崩壊した。
「なぜだ。なぜ、彼女たちは私の脚本通りに動かない? なぜ、1周目のあの時と違う!? あの時、彼女たちにこれほどの絆はなかったはずだ!」
初めて見せる、マリオニスの激しい動揺。
彼は、この不可解な事態の真相を確かめるべく、その場から姿を消した。
教会に静寂が戻る。子供たちは無事だった。
「結衣ちゃん……!」
仲間たちも駆け寄る。結衣は、自分の手のひらを見つめていた。
「私、やっと分かったよ。私にも、みんなを守る力があるって」
その笑顔は、これまでの不安げなものではない。自分自身の価値を信じ、仲間との絆を信じる、真の強さを宿していた。
(第二十話 終)




