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第十九話:信念と浄化の歌

フォルトゥナ貧民街スラムの広場は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。


呪毒に苦しむ人々の呻き声と、花音に向けられる憎悪の罵声が渦巻いている。


「この偽善者め!」


「人殺し!」


投げつけられる石や泥が、花音の頬を打つ。だが、それ以上に彼女の心を抉ったのは、自らの善意が招いたこの惨状だった。


(私のせいで……私が、この人たちを苦しめている……)


彼女の「心の枷」――恵まれた者の罪悪感が、最悪の形で現実のものとなった。


理想は砕け散り、彼女は絶望の中に立ち尽くしていた。


「花音! しっかりしろ! これは敵の罠だ!」


「花音さんから離れなさい!」


舞と観月が花音を庇い、憎悪を向ける群衆と、意識が朦朧とし始めた花音の間に立ちはだかる。


結衣と恵も必死に状況の打開を試みるが、強力な呪毒と扇動された群衆の前には為す術がなかった。


「ああ……素晴らしい」


その時、広場を見下ろす建物の屋根に、男の姿が現れた。


四天王マリオニス。


彼は、この地獄絵図をまるで極上の舞台劇のように楽しんでいた。


「これですよ、聖乃花音。これが、あなたの『善意』の行き着く先です」


マリオニスが指を鳴らす。その瞬間、立ち尽くす花音の視界が、完全に歪んだ。


◇◇◇


気づけば、花音は豪華絢爛なパーティ会場に立っていた。


着飾った紳士淑女たち。それは、彼女が元いた世界、医療法人の理事長令嬢としての日常。


目の前には、幼い頃の自分がいた。高価なドレスを着て、何不自由なく笑っている。


だが、その会場の窓の外には、雨に濡れて震える貧しい子供たちの姿があった。


幼い花音は、彼らに気づかない。あるいは、気づかないふりをしている。


「あなたは、常に安全な場所にいた」


マリオニスの声が響く。


「恵まれた環境で、綺麗な理想を語るだけ。他人の苦しみなど、あなたには見えていなかった。見ようとしなかった」


「違います……私は……!」


場面が切り替わる。


今度は、アストラディアの戦場。


だが、そこに花音の姿はなかった。結衣、舞、観月、恵の4人だけで、完璧な連携を取り、次々と敵を倒していく。彼女たちは、花音がいなくても、強く、効率的だった。


「ご覧なさい。あなたの存在は、彼女たちにとって足手まといでしかない。あなたの善意は、常に他人を不幸にする。ノクス村でも、ここでも。あなたが何もしなければ、誰も傷つかなかった」


マリオニスの言葉が、花音の心を的確に貫く。


「認めなさい。あなたの存在そのものが、罪なのです」


(私の存在が……罪……)


花音は、その言葉の重みに耐えきれず、膝から崩れ落ちた。


そうだ。自分は偽善者だ。この世界に、自分の居場所などない。


絶望が、彼女の心を完全に覆い尽くそうとした、その時。


◇◇◇


現実の広場。仲間たちは、群衆の憎悪から必死に花音を守っていた。


「やめてください!」


結衣は、花音を罵る群衆に向かって叫んだ。


「花音ちゃんは偽善者なんかじゃない!」


そして、意識を失いかけた花音の肩を掴み、叫ぶ。


「花音ちゃん! 負けないで! あの時、イオンモールでパニックになった私を落ち着かせてくれたのは、花音ちゃんだよ!」


「この事態は敵の罠です!」


恵が冷静に群衆を制止する。


「彼女の善意を利用したマリオニスの策謀だ!」


そして、花音に向き直る。


「花音さん! 非効率的な感傷は認めませんが、あなたの《癒やしの歌》がなければ、私たちの継戦能力は維持できない! あなたのリソースは、必要不可欠です!」


「そうだ!」


舞が群衆を睨みつける。


「この人に石を投げるな!」


さらに、正面でかばいながら、後ろの花音を励ます。


「お前の歌は、私たちの力だ! 胸を張れ!」


「花音ちゃんの優しさは本物だよ!」


観月も叫ぶ。


「私たちは何度も助けられた! それは絶対、偽物じゃない!」


◇◇◇


心象風景の中。


花音の耳に、幻術の壁を突き破り、仲間たちの「本当の声」が響いた。


(みんな……私を、信じてくれている……)


花音は、ゆっくりと顔を上げた。


(私は、確かに恵まれている。その事実は変えられない。それを罪だと感じることもあった)


だが、仲間たちは、そんな自分を必要としてくれた。


(ならば、この恵まれた環境を、どう使うか。それがノブレス・オブリージュ(私の責任)よ!)


彼女の中で、「罪悪感」が「使命感」へと変わる。


恵まれていることを恥じるのではなく、それを人々のために使う義務として受け入れる。


「私は、逃げません!」


花音は立ち上がった。彼女の「心の枷」が砕け散り、心のエネルギーが急速に高まる。


「恵まれているからこそ、私にしかできないことがある! 偽善だと言われても、私は、目の前の命を救うことを諦めない!」


幻術の世界が、ガラス細工のように砕け散った。


◇◇◇


現実世界。広場。


「……っは!」


花音が目を見開いた。その瞳には、もはや迷いはなかった。


「馬鹿な!? なぜだ! なぜ私の幻術がこうも簡単に破られる!?」


屋根の上で静観していたマリオニスが、ついに声を荒げた。


花音は、憎悪に歪んでいた、そして今は困惑している人々の顔を見渡した。そして、深く息を吸い込んだ。


「まずは、皆さんの心を守ります!」


花音は、力強く、しかし優しく歌い始めた。それは、これまでの穏やかな旋律とは違う。聞く者の魂を奮い立たせ、恐怖や疑念を打ち払う、芯の通った歌声。


「――《信念の歌》!」


歌声が波動となって広がり、広場全体を包み込む。


その瞬間、人々の目に宿っていた狂気じみた憎悪が、まるで霧が晴れるように消えていった。


《信念の歌》は、精神抵抗力を高め、マリオニスが扇動した精神汚染デバフを打ち消したのだ。


「俺は……何を……?」


「どうして、この方を責めていたんだ……?」


群衆が正気を取り戻す。


「そして、皆さんを救います!」


花音は、倒れている人々の元へ駆け寄った。


そして、大地に手を当て、祈りを込めて歌う。大地の持つ浄化作用を歌に乗せ、汚染そのものを根源から断ち切るための歌。


「大地の恵みよ、この呪いを解き放ちたまえ! ――《浄化のテラ・キュア》!」


花音の体から、エメラルドグリーンの光が溢れ出し、地面を伝って広がっていく。


光が触れた瞬間、人々の体から黒い瘴気が蒸発し、顔に血色が戻っていく。広範囲の状態異常を同時に治療する、奇跡の力だった。


「おお……! 痛みが消えた!」


「毒が消えたぞ!」


次々と回復していく人々。


「ありえない! あの呪毒は、高位の神官でも解毒不可能なはずだ!」


マリオニスが狼狽する。彼の計画は、完全に破綻した。


「くっ……! 覚えていろ!」


マリオニスは忌々しそうに舌打ちすると、その場から姿を消した。だが、彼は不敵な笑みを浮かべていた。


「残るは一人。児島結衣。あの女の『自己無価値感』こそが、最も深く、最も絶望的な闇。次こそが、私の舞台の最高潮フィナーレです」


◇◇◇


静寂が戻った広場。回復した人々が、花音の前に集まってきた。


「申し訳ありませんでした……! 酷いことを言ってしまって……」


「あなたは、本物の聖女様だ……!」


人々が涙を流して謝罪し、感謝を捧げる。


「いいえ。皆さんが無事で、本当に良かったですわ」


花音は微笑んだ。その笑顔は、苦難を乗り越え、自らの使命を受け入れた、真の強さを宿していた。


「花音ちゃん……すごいよ」


結衣が感極まって抱きつく。


だが、喜びも束の間だった。


残るは、結衣ただ一人。マリオニスの最後の、そして最大の標的が定められたのだ。


(第十九話 終)


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