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第二話:記憶喪失の賢者

神殿の空気は冷たく、静寂が耳に痛いほどだった。


賢者アルドゥスと名乗る老人の告白――異世界アストラディアを救うために召喚されたが、その方法も帰還手段も「記憶喪失」で分からない――という事実は、5人の少女たちに重くのしかかる。


「そんな……記憶喪失って……」


結衣が呆然と呟く。状況を受け入れるには、あまりにも現実離れしていた。


「待ってください。情報を整理しましょう」


いち早く思考を再開したのは恵だった。


まだ慣れない体のバランスを取りながら立ち上がり、少しふらつきながら、アルドゥスを鋭い視線で射抜く。


「あなたは私たちを意図的に召喚した。目的はこの世界を脅かす『黒い腐敗』への対抗。しかし、あなたは現在、最も重要な情報提供者としての機能を喪失している。……非合理的です。この状況で、私たちに何を期待しているのですか? そして、帰還方法は?」


「恵、ちょっと言い方が……!」


花音がたしなめるが、恵の指摘は的を射ていた。


「その通りじゃ」


アルドゥスは力なく頷いた。


深く皺が刻まれた顔には、明らかな老化と、深い疲労が見て取れる。


(夢で見た、あの横柄で元気な賢者とは、まるで別人だ……)


結衣は、その痛々しい姿に戸惑いを隠せなかった。


「召喚の儀式は成功したが、その代償として、わしの魔力の大半と、大切な記憶が失われたようじゃ。帰還の方法も、今は思い出せぬ」


「そんな…! じゃあ、私たち、どうすればいいの!?」


観月が悲鳴を上げた。


「じゃが、これだけは断言できる」


アルドゥスは、弱々しいながらも、確かな信念を込めて5人を見据えた。


「そなたたちには、この世界を救う力が宿っておる。そなたたち5人の『絆』こそが、魔王に対抗する唯一の鍵となるはずなのじゃ」


絆。その言葉を聞いて、5人の胸に、ある確信が芽生えた。


(あの時……イオンモールで、私たちは確かに繋がっていた)


一年前、初対面だったはずの5人が見せた、奇跡のような連携。


あれは単なる偶然ではなかった。アルドゥスの言う「絆」が、あの時すでに彼女たちを結びつけていたのだ。


「この世界では、内なる想いやイメージの強さが、そのまま力となるのじゃ。わしはそれを『集中力』と呼んでおる」


(やっぱり……!)


アルドゥスの説明は、あの時の感覚――言葉を交わさなくても互いの役割を理解し、完璧に動けた、あの高揚感――を的確に説明していた。


「己を信じる強さ、仲間を信じる強さがスキルを強化する。あの日のそなたたちのように。逆に、心の迷いやトラウマ――『心の枷』は、集中力を低下させ、力の足かせとなる」


集中力と心の強さ。それは、彼女たちが元いた世界でも求められていたものと同じだった。


そして、「心の枷」という言葉に、5人はそれぞれが抱える、胸の奥の痛みを意識せざるを得なかった。


「目を閉じ、己の魂の形を意識するのじゃ。そなたたちの本質に基づいた職業ジョブと、最初から持っているはずの『初期スキル』がわかるはずじゃ。すべては直感じゃ」


5人は半信半疑のまま、目を閉じた。


(私の……本質……)


結衣が意識を集中させると、胸の奥から温かい光が湧き上がるのを感じた。


誰かを癒やし、支えたいという想い。それが具体的な形をとって認識できた。ジョブスキルと属性スキル、二つの力が備わっていることを。


聖職者プリースト。光属性。スキルは……《ヒール》と《ホーリー・アロー》?」


(フライパンじゃ、ない……!)


結衣は、自分の本質が「回復役」であることに、安堵と決意を新たにした。


隣で、舞が目を見開く。全身から冷気が立ち上るような感覚があった。


騎士ナイト。氷属性。《ガードアップ》と《アイス・ランス》。……守護と反撃。役割は明確だな」


(今度こそ、完璧に守り抜く)


舞は、悪夢の中の絶望を振り払うように拳を握る。


「おっ! 私、踊りダンサー! 火属性! 《クイック・ステップ》に《ファイア・ボール》! なんか燃えてきた!」


吟遊詩人バード。地属性……。《眠りの歌》と《アースバインド》……。歌で、皆さんを支えるのですね」


「……大賢者セージ。風属性。《分析アナライズ》と《ウィンド・カッター》。妥当な評価です」


観月、花音、恵。彼女らも自分のジョブとスキルを確認する。


ひととおり確認した恵は早速、《分析アナライズ》をアルドゥスに向けた。意識を集中させると、情報が脳裏に流れ込んでくる。


(賢者アルドゥス。状態:魔力減衰(重度)、記憶混濁、急速老化。特記事項:強い『後悔』と『焦燥』の念を確認。魔力回路に、高位の禁呪を使用した痕跡……?)


恵は眉をひそめた。


この賢者は、何か重大な秘密を抱えている。そして、その代償として、今にも死にかけている。


「あなたの状態は深刻ですね。このままでは、私たちへのサポートも期待できない」


「うむ……。じゃが、わしが覚えているもう一つの重要なこと。それは、そなたたちがまず向かうべき場所じゃ」


アルドゥスは、壁にかけられていた古びた地図を指し示した。


「ここから西にある『自由都市フォルトゥナ』を目指されよ。そこには魔王軍に抵抗するレジスタンスがおる。指導者の名はシルヴィア。"銀狼"と呼ばれる騎士じゃ。彼女がそなたたちの助けとなるはずじゃ」


アルドゥスは、最低限の旅の道具――わずかばかりの硬貨、干し肉、そして簡素なマントと護身用の武器を5人に手渡した。


あまりにも心許ない支援だった。1周目の、あの「チート装備」とは比べ物にならない。


「わしはここに残り、記憶を取り戻す努力をしよう。すまぬ……」


その時、結衣のポケットから、ピリリ、という力ない電子音が鳴った。


取り出したスマートフォンは、画面が完全にブラックアウトしていた。


バッテリー切れ。充電も、通信も不可能。現代との唯一の繋がりが、完全に断たれた瞬間だった。


「……帰れないんだ」


結衣が呟いた。その言葉の重みが、現実に変わる。


「……行こう」


舞が顔を上げた。その瞳には、確かな決意が宿っている。


「立ち止まっていても、何も解決しない。まずはフォルトゥナへ。この絆があれば、きっと乗り越えられる」


5人はアルドゥスに別れを告げ、重い神殿の扉を押し開けた。アストラディアの大地へ、最初の一歩を踏み出す。


「頼むぞ……今度こそ、真の絆を……」


扉が閉まる直前、アルドゥスのそんな呟きが聞こえた気がした。


(第二話 終)


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