第十七話:劣等感を跳ね返せ!
舞が「完璧主義」の呪縛を打ち破り、兵士たちとの間に新たな信頼関係を築き始めた頃。
フォルトゥナの街には、マリオニスによる工作活動の暗い影が落ちていた。
街の活気は失われ、人々の顔には疲労と不安が浮かんでいる。
「これではいけません。今こそ、皆さんの心を照らす『希望』が必要です」
作戦会議の席で、マリウス(マリオニス)がもっともらしく提案した。
「そこで、『復興祭』の開催を提案します。そして、その中心となるのは、皆の心を奮い立たせる力を持つ、"太陽のダンサー"観月殿しかいない」
「私に!?」
観月は目を輝かせた。自分のダンスで、街を、みんなを笑顔にできる。彼女の「太陽」としての役割を期待されている。
その高揚感が、彼女の「心の枷」――他者からの評価への依存と、優秀な姉への劣等感――を刺激していることに、彼女は気づいていなかった。
◇◇◇
祭りの準備は、しかし、困難を極めた。
観月は奔走するが、マリウスが裏で仕掛けた不和(ドワーフたちの不満、物資不足)により、全てが空回りした。
疲弊した人々にとって、彼女の明るすぎる声は、時に不謹慎なものとして響いてしまう。
(どうして? 私は、みんなのために頑張ってるのに……)
焦りが募る観月に、マリウスは「助け舟」を出した。
「観月殿。今のフォルトゥナの人々が求めているのは、激しい光(太陽)ではなく、優しく寄り添う光(月)なのかもしれません」
マリウスは、吟遊詩人のセラフィナを紹介した。彼女は、観月とは対照的に、静かで、人々の悲しみに寄り添うような歌声を持っていた。
祭りの前日。リハーサルで観月が踊るが、マリウスが配置した観客たちの反応は冷ややかだった。
「何だか、うるさいだけね」
「こっちは大変だってのに、能天気なもんだ」
観月の笑顔が凍りつく。代わってセラフィナが歌い始めると、空気は一変した。称賛がセラフィナ一身に集まり、観月はステージの隅で立ち尽くした。
「見たまえ、観月殿」
マリウスが囁いた。
「人々が求めているのは、君の『偽りの太陽』ではない」
その言葉が、観月の心の傷を抉った。
「そうだ!」
観客の一人が叫んだ。
「お前みたいなうるさいだけの踊りは要らない! 出ていけ、偽物!」
偽物。その言葉は、彼女の「心の枷」そのものだった。万能で誰からも愛された姉。その影で、明るく振る舞うことでしか自分の価値を見出せなかった自分。
(私は、お姉ちゃんの劣化版。私の明るさは、みんなを不快にさせるだけ……?)
絶望が観月の心を覆い尽くした瞬間、観月の瞳から光が消え、マリオニスは強力な幻術を発動させた。
◇◇◇
観月がステージ上で立ち尽くし、虚空を見つめている。
「観月!? どうしたの、しっかりして!」
結衣が叫ぶ。舞たちが、観月を守るためにステージに駆け上がろうとした。
その時、マリウスがまるで舞台の幕を開けるかのように、彼女たちの前にゆったりと立ちはだかった。
「おや、お仲間が心配ですか? ですが、無駄ですよ」
マリウスは、意識を失っている観月を指差し、うっとりと目を細めた。
「彼女は今、自分の『心』と向き合っています。ああ、可哀想に。彼女は必死に『太陽』を演じていますが、所詮は『偽物』ですから」
「……何ですって?」
恵がマリウスを睨みつける。
マリウスは、まるで極上の演目のあらすじを語るように、悪趣味な笑みを浮かべて続けた。
「都会で活躍する、それはそれは優秀なお姉様への、強烈な劣等感……。それが彼女の『心の枷』。自分が『太陽』として輝けば輝くほど、本物の太陽(姉)への劣等感に苛まれる。私が一番好きな、実に壊れやすい人形です」
マリウスが自ら観月の弱点を暴露したことで、仲間たちは初めて彼女の苦しみの「正体」を知った。
「てめえ……!」
舞が激昂する。
「ふふ、ご覧なさい。今頃、心象風景の中で、尊敬するお姉様に『お前は偽物だ』と断罪されている頃でしょう。さあ、壊れなさい。私のために、美しく――」
「ふざけるな!!」
マリウスの解説を遮り、舞が叫んだ。
「観月! 聞こえるか! あいつの言うことなんて聞くな! お前はお前だ! 誰かと比べる必要などない!」
「そうだよ、観月ちゃん!」
結衣も続く。
「あんたがあの時イオンモールで笑ってくれたから、私たちは出会えたんだよ! 劣等感なんて、ぶっ飛ばしちゃえ!」
「あなたの存在は、私たちの希望です!」
「あなたの光は、私が知る中で、最も温かい光ですわ!」
◇◇◇
心象風景の中。
観月は、眩い光に包まれたステージに立っていた。
「観月。あなたは相変わらず、騒がしいだけね」
目の前に立つ「姉」の幻影が、冷たく言い放つ。
「違う! 私は、みんなを元気づけたくて……!」
「それは自己満足よ。あなたの踊りには、私のような真の才能がない。あなたは、私の劣化版でしかないのよ」
姉が手をかざすと、凄まじい魔力の奔流が観月に襲いかかり、彼女は吹き飛ばされる。
(ダメだ……やっぱり、私じゃ敵わない……)
観月の心が折れかけた、その時。
『お前はお前だ! 誰かと比べる必要などない!』
『劣等感なんて、ぶっ飛ばしちゃえ!』
幻術の壁を突き破り、仲間たちの「本当の声」が響いた。
(みんな……)
観月は立ち上がった。
仲間たちが、不完全な自分を認めてくれている。
(そうだ。私は、お姉ちゃんじゃない。誰かの虚像なんかじゃない)
姉が再び、最大級の魔力を放つ。
観月は、それを真っ直ぐに見据えた。
(私は…私だ!)
彼女の「心の枷」が砕け散る。誰かの代わりである必要はない。自分自身であること。その強い意志が、闘志を爆発的に高めた。
「お前の期待なんて、跳ね返してやる!」
観月は、襲い来る魔力に対し、両手を突き出した。その瞬間、彼女の体を炎のオーラが包み込み、目の前に光り輝く鏡が出現した。
「《フレア・ミラー》!!」
姉が放った魔力の奔流が鏡に激突し、そして――そのままの威力で反射された。
「なっ!?」 自らの力を浴びた姉の虚像が、ガラス細工のように砕け散る。
幻術の世界が崩壊した。
◇◇◇
現実世界。ステージの上。
「……っは!」
観月が目を見開いた。
「馬鹿な! 私の幻術を自力で破っただと!?」
マリウスが驚愕する。彼は、幻術が破られたことに動揺し、隠していた魔道具を咄嗟に作動させた。ステージ上部の巨大な照明器具が落下し、観月たちを押し潰そうとする。
「危ない!」
結衣たちが身構えるが、間に合わない。
「みんなを守る!」
観月は、咄嗟に新たなダンスを踊り始めた。
仲間を、そして罪のない人々を守りたいという「強い願い」が、彼女のジョブスキルを進化させる。それは、これまでの情熱的な踊りとは違う、優雅で、しかし力強い、守護の舞。
「《守りのダンス》!」
観月の体から放たれた温かい光の波動が、ステージ全体を包み込んだ。落下してきた照明器具が、見えない壁に阻まれたかのように弾かれる。
「防御力が……上がっている!」
舞が目を見張る。物理的な防御力が劇的に上昇したのだ。
「くっ……! 私の策がことごとく……!」
マリウスは舌打ちした。観月の覚醒は、彼の想定を遥かに超えていた。
「これで終わりだ! マリオニス!」
観月が叫ぶ。その瞳には、もはや劣等感の影はなかった。
「……素晴らしい舞台でしたよ」
マリウスは、すぐに仮面の笑みを取り戻した。
「ですが、まだ舞台は終わりません。残るは二人。あの聖女(花音)と、あの聖母(結衣)。あの二人の、最も脆く、最も美しい心を壊すのが、今から楽しみでなりません」
不吉な言葉を残し、マリオニスは混乱に乗じて闇の中へと姿を消した。
祭りは中止となったが、観月は自分の弱さを受け入れ、新たな力を手に入れた。
だが、仲間たちの表情は晴れなかった。残された二人、花音と結衣の「心の枷」こそが、最も根深く、危険なものであることを、誰もが予感していた。
(第十七話 終)




