第9話 魂の再生
今回のエピソードは、第一章のクライマックスになります。
それでは、どうぞ。
リンネアが血を流しながら、仰向けに床へ倒れ込んだ。
刃が交わる、至近距離での闘いの最中――俺の短剣は、彼女の胸元を貫いた覚えがない。手に握る短剣が、相手の肉体を突き刺す感覚はなかったはずだ。
思い当たる節は自爆によるものだが、迷いを断ち切った彼女がそんな愚かな行動をするはずがない。むしろ、あの傷は誰がどう見ても外的要因によるものであり、第三者の介入しか考えられない。
だとすれば、疑いの目は当然、狂った監督者に向けられる。
「自我が芽生えたことで、戦闘力は増した……しかしその分、制御が難しくなった……兵器としては欠陥品で使い物にならない……」
今村は冷え切った声で実験過程をまとめ、淡々とした態度でリンネアを不良品となぞらえた。
奴には、リンネアの命がただの数値――報告書に記載されるデータに過ぎないのだ。
「博士……どうし、て……?」
「S-13067、君の役目は最初から敵対者をこの異空間に留め、罠が発動するまでの時間稼ぎだ。その目的を達成された以上、異常存在である君を処分するのは当然のことだ」
今村は、さも当たり前のように、リンネアを殺処分すると告げ、その理由を述べる。しかも、向こうも俺と目的が同じ「時間稼ぎ」だと言っている。
どちらにせよ、これではミイラ取りがミイラになる。
しかし、リンネアが知りたいのは、こんな屁理屈ではない。どんな命令にも服従してきた彼女が――なぜ、この土壇場で奴に裏切られたのかだ。
その意図が伝わらず、本気で言っているあたり、人として本当に破綻しているのはリンネアではなく、今村の方なのかもしれない。
「用済みとなった君は、解雇だ。それと、退職金ついでに教えておこう。君が家族と呼ぶ被験体たちは――全員すでに死んでいる。君の記憶は、全て我々が用意した偽物だ」
「えっ……?」
その瞬間、リンネアは深い絶望に落とされた。
倫理を無視した悪の科学者。古典的なパターンではあるが、真実を知らぬまま奴隷として扱われてきたリンネアにとって、それはまさにこの世の終わりに等しかった。
「……騙していたの……? どうして……?」
「従順な兵士を作るためだ。 正常な人間社会を――」
「そんなの聞いてない! 何で、嘘をついたの! 答えてッ!!」
「……感情が高ぶり、血圧の上昇を確認。精神安定値も著しく低下している……だが、脳に改造を施した他の被験体より、量産性には優れている……」
話を遮られても、今村は構わずにリンネアの変化を記録していく。
何より恐ろしいのが、奴が口にした脳の改造――つまり、洗脳を効率よくするため、機構は被験体に対してロボトミー手術に類似した手法を行っていた。
それ故に、人格を剥奪され、苦しみながら命を落としていったリンネアの家族のことを考えると、いたたまれなかった。
「……返してよ……私の記憶を……返してよッ!! 」
どこからが本物で、どこからが偽りの記憶なのかがわからない、深い喪失感。
リンネアは咳き込み、口から血を流しながらも、今村に向かって心の声で叫んだ。
それは、彼女にとって――最初で最後の抵抗だった
けれど、その声は命尽きる彼女の虚しさをより鮮明に表すだけで、通信機の向こうに居座る科学者には何の響きも与えなかった。
「『エントロピー』の構成員。直に、この空間は縮小し、消えるように設定されている。君とS-13067は、押し寄せてくる見えない壁に潰され、この世から存在ごと消滅する。君の力は驚異的だったが、全ては計算済みだ」
今村に言われ、俺はここで空間の異変が起きていることに気がついた。
確かに、周囲の領域は不安定なものに変化しており、ところどころ縮んでいたり、歪んでいたりしている。このままいけば、ブラックホールの重力に押し潰され、チリと化す未来が想像できる。
奴は特に勝ち誇ることもなく、あくまで冷静にその事実を俺に伝えた。けれど、その裏には全てが当たり前のような態度――完璧主義を追求し、あらゆる物事を手中に収めようとする傲慢さが隠れていた。
言い換えれば、敗者に対して「最後に何か言い残すことはあるか」という問いへの答えを待っているのだ。
だが、こちらにも奥の手は残してある。
果たして、どちらが道化だと言えるのだろうか――。
「今村大輔、一つ聞きたいことがある。あんたは、心の底から恐怖を感じたことがあるか?」
「……何が言いたい?」
俺は何も答えず、ただリンネアのボディカメラに視線を送った。
その沈黙と余裕ある態度が、奴の理性を次第に奪っていった。
「私の何がおかしい……なぜ、私のことを笑う? 言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ!」
冷酷を保っていた官僚は、俺の冷視を嘲笑だと受け取ったのか、ありもしない被害妄想に取り憑かれた。
この手の人間の心理は、実は繊細で、偏執的な自己正当をする傾向がある。だから、自分とは違う思想を持つ者や、大衆の枠組みに収まらない集団、理解できない物事に対して、過剰な恐怖心を抱く。
もっとも、奴に関しては、憤怒する理由がいくらあっても足りない。
俺とリンネアの一騎討ちに水を掛けただけでなく、彼女の人格を否定し、その尊厳を穢した。いくら神の暗示にかかった被害者であろうと、奴は一線を超えた。
その報いは、俺の私怨で果たさなければならない――。
「……」
「君と言い、そこの忌々しい出来損ないと言い、見ていて不快だ! 君たちのような災厄は、息をするだけでも世界を混沌に陥れる! なぜ、それがわからないのだ! いい加減、この閉ざされた空間とともに、闇の中へと葬られるといい!」
自分が心虚に陥ったと認めるかのように、今村は通信を切った。どうやら、リンネアの予測外の覚醒は、奴に相当なショックを与えたようだ。
しかし、これでこの場に干渉する者はいなくなった。
それを確認した俺は、もう正体を隠す必要がなくなったため、マスクを外し、地面に横たわるリンネアの元へ歩み寄った。
「あなたは……八月朔日君……」
意識が朦朧とする中、リンネアは俺の顔を見つめると、力のない笑みを浮かべた。
朝の通学中の会話から始まり、敵同士となって死闘を重ね、最後には信頼という不思議な形に辿り着いた。
まるで、次元の向こうの世界――『バシレイア』で過ごした六年間の日々を彷彿とさせた。
「リンネア……お前は死ぬのか?」
「……生きるのは……疲れた……もう、誰もいないから……」
俺がリンネアにそう尋ねると、彼女はどこか世界に失望し、諦めたような表情を見せた。
その顔は、かつて俺が異世界で奴隷兵士として前線で命を削りながら戦っていた時、多くの仲間が浮かべていた顔と同じだった。
だからか、彼女は戦争で散っていた俺の家族たちと似ていて、どこか放っておけないような気がした。
けれど、生きるか死ぬかは彼女の選択次第だ。
どのような選択を決めようと、俺は彼女の願いを受け入れ、それを尊重する――。
「眠りたいのなら、俺が責任を持ってお前に名誉ある死を送る。しかし、生きることを諦めるのは、逃げることと同じだ。そうなれば、お前の愛した家族との記憶も二度と戻って来ない。お前が生き続けることで、彼らもまたお前の中で生き続けるんだ」
説教じみた言葉を口にしてしまったが、心と身体が瀕死のリンネアをとどめるためには、生きる希望が必要だった。
結果として、彼女の宝物を利用する形になったが、幸せを経験せずに死ぬのはあまりにも悲し過ぎる。
これは、俺のわがままなのだろう……。
「……私の中……」
「そうだ。家族にもう一度会いたいなら、俺の手を取れ」
俺はしゃがみ、リンネアに手を差し伸べた。
すると、希望を失いかけていた彼女の瞳にわずかな生気が宿り、俺の手を力強く握り返した。
「私……みんなに……会いたい!」
何者にも縛られず、リンネアは自分の手で決断を下した。それは、彼女にとって大きな一歩の前進だったが、まだ今村との因縁が残っている。
この悲劇の幕引きとなる舞台の準備を、俺は紫乃さんに頼んだ――。
◇
異空間が完全に崩壊する前に、俺は転移の呪符を使用した。
俺はリンネアを抱きかかえたまま、脱出先である自宅まで瞬時に移動すると、彼女を慎重にベッドの上へ寝かせた。
彼女の状況を確認したが、やはり出血の量が多すぎる。普通の治療法では間に合わないため、貴重な万能薬――『エリクサー』を使う必要が迫られた。
この薬は、薬学に詳しい仲間が作った希少なもので、その生産数も少ない。本来であれば、ここぞという時に使うべきものなのだが、リンネアにはそれを使わせるほどの覚悟を見せてもらった。
故に、これは俺からの彼女の覚悟に対する尊敬の念でもあった。
「リンネア。今からお前に使うのは、どんな傷も完治させる万能薬だ。ただし、その代償として激しい痛みを伴う。耐えることはできるか?」
俺がそう聞くと、リンネアは静かに見つめるだけだった。彼女は話す気力すら残っていなかったが、その瞳にはかつてのような絶望はもうなかった。
「過去の自分を壊し、新しい自分とともに受け入れろ」
俺は薬の入った注射器を、リンネアの腕に打ち込んだ。
するとその瞬間、彼女の体は薬に反応し、苦痛で悲鳴を上げながら暴れ出した。
「ああぁぁああぁぁぁああああッ!!」
神経代謝は加速され、肉芽が花弁のように広がり、欠けた肉体組織を縫い合わさっていく。
防音が施された部屋内に、響き渡るリンネアの声。それは、人に生まれ変わろうとする者が発する産声――まさに魂の再生だった。
俺はそんな彼女の様子を、ひとときも目を離さず、椅子に座わりながら眺めていた。
それが、彼女と約束を交わした者としての務めだ。
「はぁっ……はぁっ……」
――やがて衝動が収まると、リンネアの口は酸素を求め、深く呼吸を繰り返した。
彼女の体は強張っており、全身が汗に濡れていた。その姿はどこか神秘的で、死を乗り越えた者が放つ気高さがあった。
「おめでとう、リンネア。死を克服した気分はどうだ?」
「……わからない……でも……何だか、変な感じ……」
疲労困憊しているリンネアは、自身の感情が思考に追いついていない。俺はそんな彼女に、子供を宥めるように話しかけた。
「大丈夫だ。わからないことは、無理して考えなくてもいい。今はただ、ゆっくり休むんだ」
そう言って、リンネアの頭をそっと撫でると、彼女は次第に落ち着き、穏やかな寝息を立て始めた。
そして、彼女が休んでいる間、ニリアの神力を使って束縛の烙印の効果を解除し、ついでに栄養剤も投与しておいた。
これで彼女は解放され、自由の身となった。
「これで、一段落したか……」
峠を越えたことで、俺はようやく一息つけた。
しかし、その後すぐに、俺のスマホに電話が掛かってきた。その着信先を見ると、別動隊を指揮していた紫乃さんからのものだった。
「景明、第2支部の制圧は無事に終わったわ。それと、言われた通り今村も逃がしておいた。データもさっき送っておいたから、確認してちょうだい」
「流石です、紫乃さん。奴はこちらの方で対処しますので、後のことは任せてください。それよりも、本日はお忙しい中、俺のわがままを聞いてくださってありがとうございました」
「いいのよ。私も最近大学が忙しくてね。久々に体を動かせたから、いい気分転換になったわ」
「そう言っていただけると幸いです。今度時間がある時に、アイザックさんと律希も交えて、みんなで食事にでも行きませんか?」
「いいわね、それ。みんなで会うのは久しぶりだから、きっと二人も喜ぶわよ」
「はい、俺も楽しみにしています。日程は後ほど送りますので、二人によろしく伝えてください。それでは失礼します」
通話を終わらせると、俺は椅子に座り直し、もう一度リンネアの様子を見た。
彼女は悪魔にうなされることもなく、相変わらず平穏に寝ている。せめて夢の中でも、家族と一緒いられれば良いのだが……。
「景明。紫乃からもらったデータによれば、今村とその護衛は日本海東北道を南下して、三重県の機構第5支部に向かう予定よ」
「敢えて津軽海峡を避けて、陸路を選んだか。奴の逃亡先には、人気の少ない森林が広がっている。今さら、森の中に自殺死体が一体増えても変わらないだろ?」
ニリアたちとともに、予測される今村の逃亡経路を洗い出した。
奴がどこに逃げようが、隠れようが構わない。
なぜなら、リンネアが復讐を果たすまで、俺たちは奴を追い詰める続けるだけだ――。
少し陰鬱な展開となりましたが、読んでいただきありがとうございました。
次回は、今村の視点から物語が始まります。




