第8話 空虚の戦場
眩い光が収まった後、辺り一面に赤い世界が広がっていた。
空に太陽の姿はないが、その代わりに空間全体が一定の明るさに保たれている。家やビルなどの建物は、現実世界のものと酷似しており、見事なまでに模倣されている。
けれど、気配を研ぎ澄ますと、俺とリンネア以外の生命の気配は感じられない。鳥のさえずりや虫のざわめき、それすら聞こえない完全な静寂だけが流れる。
例えるなら、この空間は――死そのものだ。
本来なら、学校の校舎付近で異空間転移を使わせ、その後、あらかじめ設置した罠で迎撃をするつもりだった。しかし、今いるビルの屋上から校舎まで距離がある。さらに、異空間に飛ばされたことで罠が全て無効化されてしまった。
汗水をたらした結果がこれだと考えると、割に合わないと感じてしまう。
だが、ここでの目的は、あくまで現実世界にいる紫乃さんたちが敵施設に突入するまでの時間を稼ぐことだ。それを達成するためには、リンネアとは勝ちも負けもしない戦いをする必要がある。
「せっかく設置した罠が台無しになってしまったが……想定の範囲内だ」
両手首の裏から触手を迸らせ、身を低く沈めて戦いの構えを取る。
向こうが所持する武装は、歩兵用ライフルと複数の近接武器。
常に変化する状況下で、作戦の軌道修正が求められるのは相手とて同じこと。それに如何に適応し、対応できるかで生死をわけることになる。
まあ、こちらは時間になれば、リンネアのことをそく始末するつもりだ。
それまで、敵がどう動くのか――見ものではある。
「S-13067、ターゲットを殺せ」
「はい、博士」
命令と同時に、リンネアがライフルを乱射しながら距離を詰めてくる。
だが、それは威嚇射撃に過ぎず、命中させる意図は感じられない。むしろ、最初から自慢の怪力を活かして近接戦闘に持ち込もうとしている。
「ハァッ!」
間合いまで迫ると、リンネアは銃を捨てる。背中からタクティカルハンマーを抜き、それを俺の頭上に振りかざした。
俺は左手の触手を鉤爪のように、横から数メートル先の床に伸ばして固定、その打撃を躱した。しかし、躱す瞬間、彼女から繰り出された攻撃は凄まじい風圧を生じ、体が風で吹き揺れる。
落下した戦槌がそのまま屋上の床に衝突すると、コンクリートを砕いて大きなくぼみを作った。
「やはり、力ではこちらが優位に立っているようだな。S-13067、一気に畳みかけろ」
「はい」
今村は自分たちが優勢であると誤認する。
当たれば体の骨を粉砕しかねない一撃を、リンネアは息一つ乱すことなく、ハンマーを振り回し続けながら絶え間なく攻撃を繰り出す。
俺が攻撃を躱す度に、砂埃と強風が体を掠めていく。
そうして、戦いが始まって10分が経過した。
作戦の折り返し地点が来て、防御から攻撃に転じる——。
「——ッ!?」
リンネアが打ち込んだ、右腕の拳による渾身の一撃――俺はその拳を受け止めた。
それを目にした彼女は、驚きを隠せない様子だった。
リンネアの力を過信し、その光景を彼女の肩に装着されたボディカメラで観察していた今村も、同様の反応を示していた。
「っ、S-13067! 急いで反撃しろ!」
リンネアは戸惑いを見せながらも、拘束から脱け出そうと左脚で俺の右脇を蹴りに来る。
しかし、俺はその蹴りを右手で掴むと、彼女を体ごと床に叩きつけた。跳ね上がった彼女の体に、間髪入れずに蹴りを入れ、吹き飛ばした。
「がはっ……はぁっ、はぁっ……」
酸欠で視界が滲み、リンネアの思考は追いつかない。
彼女は起き上がろうとするが、俺はその隙を与えない。彼女に素早く近づき、その白い首に右手を伸ばす。
「うっ……あぐっ……」
首を掴まれ、宙に浮かんだリンネアは必死に抵抗する。今まで感情が薄かった彼女の目に、恐怖の色が浮かび始めていた。
俺はそんな彼女を何度も叩きつける。そして、床にヒビが走り、砕けた瓦礫とともに下の階へと崩れ落ちた。
感情が欠落しているのなら、恐怖を本能的に叩き込めば、それは蘇る――。
「あぁっ……あっ……」
リンネアの心に蓄積された傷が、絶望となって彼女の顔に浮かび上がる。
俺は力を込めて、彼女を投げ飛ばした。
その体は冷たいコンクリートの壁にぶつかった後、床に崩れ落ちた。
「うぅっ……」
「何をしている、S-13067! 早く立ち上がれ!」
恐怖と痛みでうずくまるリンネアに、今村が声を荒げる。今までの冷静な態度とは異なり、どこか焦りと苛立ちを含んだものだった。
もっとも、奴が不満をリンネアにぶつける理由は、彼女が兵器として全く機能していないからだ。
だが、戦いに勝つためには、これを利用しない手はない。
「そうだ、S-13067。早く立たないと、カイム、アネット、ウィルマ――お前の大事な家族が、お前のせいで死ぬことになるぞ?」
俺は残酷な言葉を放ちながら、一歩一歩リンネアの方へと歩いて行く。
すると、その言葉を聞いた途端、リンネアは半狂乱になった。
「——ッ、うわああああああああ!!」
彼女は腰の後ろから大型のダガーを抜き放ち、俺に斬りかかってきた。
しかし、俺は短く縮めた右手の触手を硬化させ、それを受け流して弾き飛ばした。
「力は込めているようだが、芯がない……弱いな」
「っ、うるさい! うるさい、うるさ――ッ!?」
心無い一言が、リンネアの逆鱗に触れた。
彼女は怒りに身を任せ、なおも俺に食らいつこうとする。
だが、俺は体に宿る神格――二柱分の神威を解放した。
それを見た彼女は萎縮し、怒りの感情が次第に恐怖心へと塗り替わっていった。
「い、いや……いやぁっ、いやぁあああああッ!!」
リンネアは俺の気迫に押され、悲鳴を上げる。
そして、散らばっているオフィス内の机や椅子をかき分けながら逃げ出した。
「戦わずして逃げたか……残り12分。その後は、この苦しみから解放してやる」
彼女の背景には同情するが、殺し合いをする以上、容赦はできない。そんな複雑な情念を胸に、俺は彼女の後をゆっくりと追った。
刃を交えた者として――せめて、彼女には安らかな死を贈ろうと思った。
◇
あれからどれくらい走ったかわからない。
体を物にぶつけ、何度も転びそうになりながらも、それでもリンネアは構わず走り続けた。一歩でも、あの人知を超えた化け物から遠ざかろうと必死だった。
やがて、薄暗い廊下を抜け、その先にあった一室へとなだれ込み、彼女は身を隠した。
――今のところ、相手はまだ追ってきていないようだ。
それがわかると、リンネアはようやく膝をついた。
そして、極度のストレスに晒され続けた彼女は、限界を迎えた。
「はぁ……はぁ……うぅ……おえぇっ……」
リンネアは胃の底からこみ上げるものを抑えきれず、血の混じった唾液を吐いた。
失ったはずの心が戻ってきた。それが、彼女をなおさら惨めにさせた。
「うっ……ぐっ……えっく、えっく……」
気づけば嗚咽が止まらず、頬を伝う涙が床にぽつぽつと落ちる。
自分は感情のない化け物だった。今までずっと、機械のように今村の命令に従い、敵を薙ぎ倒してきた。
けれど、今度の相手はそれ以上の化け物だ。どう足掻いても、勝てる気がしない。
だから、彼女は絶望せざるを得なかった――。
「……怖いよ……助けて……みんな……」
震える声で、何度も同じ言葉を繰り返していた。まるで幼子のように膝を握りしめ、彼女はその場にへたり込んだ。
頭に浮かぶのは、かつての被験体の仲間たちの顔だった。彼らがいたからこそ、今まで機構に道具として扱われながらも、何とか苦難を乗り越えてきた。
しかし、記憶の中の彼らの顔が、どうしても思い出せない。
声だけははっきりと覚えているのに、なぜか顔は霞んでおり、輪郭すらわからない。その上、無理に思い出そうとすると、酷い頭痛が走った。
その記憶の喪失が、彼女をより孤独にさせ、不安感を募らせた。
「S-13067、応答しろ。戦わなければ、他の被験体たちの安全を保障できない。S-13067……精神安定値は極めて低く、マインドコントロールも受け付けない……実験は失敗に終わりつつあるが、データの記録は継続する」
今村が通信で何かを告げているが、リンネアにはそれが雑音にしか聞こえない。
彼女の意識は、ただひたすら家族との幸せな記憶に囚われていた。まるで現実から逃げるように。
だが、その隙に――彼女は迫り来る悪魔の気配に気づけなかった。
「逃げるなら、もっと命がけで逃げたらどうだ?」
「――ッ、ひっ……!?」
周りを見渡したが、敵の姿は見当たらない。
しかし、顔を上げた先には、男が天井から逆さまに立って、自分を見下ろしていた。
「あっ……あぁ……あああああああっ!!」
男は防護マスクのレンズから赤い眼光を放ちながら、ゆらりと体を半回転させ、天井から降りてくる。
その様子にリンネアは怯え、再び一目散に逃げ出す。
「理屈ではわかっていても、見ていて気分がいいものじゃないわね」
「人の心は脆い――それを弄んでいるわたくしたちは鬼ですわよ」
「……わかっている。だから、責任を持って、彼女に引導を渡す」
男の体から、別の二人の女性の声が聞こえてきた。
一人の体に三つの意識――その正体が神もしくは魔王だと知っても、何も疑うことなく受け入れてしまう自分がいる。
なぜなら、相手と比べれば自分など、ほんの少しでけ人の枠組みから足を踏み出したに過ぎない。自分を人外だと考えることすら、おこがましい。
けれど、怖さを実感する一方で、彼女の失っていた記憶の断片が徐々に集まっていく。
その断片が、パズルのピースのように心の中で組み合わさっていった――。
『お姉ちゃん! ほら、これ! 私が描いたお姉ちゃんの似顔絵だよ!』
自分のために似顔絵を描いてくれた、幼い妹のアネット。
『姉さん。俺、もっと強くなって、みんなを守れるようになるから、無理だけはしないで』
いつも自分のことを気遣ってくれた、健気な弟のカイム。
『ほらほら、もっと笑って、リンネア! あんたは綺麗なんだから、笑顔を見せないのは勿体ないわよ!』
同い年でありながら、姉のように世話を焼いていくれたウィルマ。
彼らと過ごした時間は、今も彼女の心の中で確かに生き続けている。たとえ記憶が曖昧でも、それは決して揺るがぬ事実だ。
それこそが、彼女の暗闇に差し込む一筋の光であり、戦うための唯一の理由となった。
「そうだ……わたしが、頑張らなきゃ……みんなのために……!」
涙と鼻水で汚れた顔を、震える手で拭い取る。大切な彼らを守るため、もう一度、あの温かな日々を取り戻すために。
彼女は心を固め、再び立ち上がり、強敵に挑んだ。
その純粋な想いが、彼女に勇気と――そして、人としての尊厳を取り戻させた。
◇
俺は、逃げるリンネアを追い続けていた。
だが、どういう心境の変化か、彼女は逃げるのを止め、今、まさに俺と対峙をしている。
両腰の鞘からナイフを二本抜き、両手に力強く握りしめている。彼女の瞳の中には、いまだ恐怖が渦巻いているが、それを克服しようとする明確な意志――迷いのない闘志が感じられた。
「いい目だ。さっきよりも人間味があって、今のお前が好きだぞ」
俺は武士でもなければ、騎士でもない。
けれど自ら選択し、道具から人へと変わろうとするその姿勢には、敬意が示す価値はあった。
「リンネア・フルスカイネン、あんたの強い意志に敬意を払う。ここから先は、俺も一人の戦士として、この一騎打ちに命を懸けて挑む」
両手の触手を縮め、先端部を残したまま、木の枝を折るように曲げて、二本の短剣を作り出す。
そして、彼女と同じように、短剣を両手に握り、構えた。
「あんたは、まごうこと無き一人のエルフだ。だから、全力で来い――」
「っ!? ……ッ!!」
リンネアは瞬時に地面を蹴り、前に飛び出し、鋭い斬撃を俺に繰り出してきた。
心なしか、その口元は少し吊り上がり、笑みを浮かべているように見えた。
俺も彼女の俊敏な動きに合わせ、空気を切り裂くような攻撃を次々に防いでいく。一振り一振りの威力と重みは、今までのものとは比べ物にならないほど強烈で、俺たちの間には、激しい攻防が繰り広げられていた。
「ハァァァッ――!」
リンネアの剛力に押され、後ろへと押しやられる。
衝撃を相殺するべく、体を横へ捻りながら回避を取った。すると、すかさずリンネアの剛腕が、俺の顔を目掛けて拳を打ち込んだ。
首を動かし避けると、その瞬間、背後にあった壁が粉々になった。
彼女の猛攻は、俺に一瞬の隙すら与えない。そう、彼女はこの闘いで自分の長所を理解し、成長まで遂げていた。
負ける気は全くないが、彼女が敵であることが惜しいと感じた。
しかし、闘いの終わりは唐突にやって来る。
正々堂々たる死闘を織りなす中、突然リンネアの胸元が破裂し、血が噴き出した――。
読んでいただいてありがとうございました。




