第7話 異常性恐怖症
俺は今、高校へ向かう通学路の上を歩いている。
普段なら、気持ちのいい朝の日差しを浴びて清々しい気分になるはずだが、今日に限ってそうはならない。なぜなら、あと数時間もすれば、高校が機構の手によって吹っ飛ぶからだ。
時間内でできることは全てやったつもりだが、それでも緊張――重大な局面を迎える前の武者震いが止まらない。
人の命が掛かっている以上、そう感じるのは当然なことなのだろう。
《景明、紫乃たちはもう配置に着いたの?》
《ああ。俺が命令を出せば、その30分後に第2支部への襲撃が行なわれる》
人混みの中を念話で、ニリアが第2支部への襲撃計画について再度確認する。
早朝から今に至るまでの間、今回の作戦の準備として、日本を拠点に活動する組織のメンバーたちに臨時招集をかけた。時間に余裕がなかったが、それでも精鋭が三人、集まってくれた。
その面々が、菅原紫乃、アイザック・ゼイン、そして三鷹律希だ。
彼らはそれぞれ、大学生、英会話教師、高校生という普通の顔を持ち、日常では一般人として社会に紛れて生きている。しかしその実態は、俺と同じ――かつて異常性に関わったか、生まれつきそれを宿していたせいで、機構に命を狙われ、社会からも迫害されてきた存在だ。
お互い、県を挟んで暮らしているため、直接顔を合わせる頻度はそう多くない。けれど、ブリジットが作ったアプリを通じて、常に情報を共有し合っている。
そんな彼らの柔軟な対応には、感謝の言葉しか出てこない。
《機構も、私たちが流した北海道第3支部への大規模攻勢の偽情報にうまく引っかかってくれたみたいね。増援のために戦力が引き抜かれた今なら、三人だけでも施設を制圧できそうね》
《ああ。それと、別働隊の指揮は紫乃さん、セキュリティの解除はアイザックさん、対人は律希が担当する予定だ》
《彼女たちの得意分野ね。抜かりがないようで安心したわ》
《まあな……だが、問題は俺たちの方だ……》
ニリアは最適な人員の選択を聞くと、胸を撫で下ろした。
急な作戦を推し進めるにあたって、敵の戦力は中規模といえど、腐っても機構の軍隊であったため、侮れなかった。そこで俺は、ブリジットに頼んで陽動として俺たちが第2支部とは別の拠点――北海道の施設を狙っているという虚偽情報を敵に流布させた。
その工作にもとづいて、ブリジットは巧な手腕を駆使し、過度に暗号化された文章、複数の反機構組織が連盟を組んで支部を襲撃、さらに雇用した第三者を通して作戦の証拠を残すといった高度な心理戦を仕掛けた。
その結果、冷徹に振る舞いながらも、人一倍警戒心が強い今村と他の幹部たちは虚偽情報に引っかかり、戦闘員の大部分を第3支部へと送った。残された部隊は、二戦級の装備しかしていない十数人の警備兵のみだ。
仮に、もし敵が万全の状態だったなら、紫乃さん達三人だけでの攻勢は流石に困難なものへと変わり、別の案を採択せざるを得なかった。けれど、敵の拠点が手薄の状態の今なら、少数精鋭で制圧し掌握するのは、またとない機会だ。
だから、作戦に懸念があるとすれば、それは俺たちの方にある。
《爆弾は、ブリジットが起爆装置にハッキングをして制御を奪えば、無力化が叶うのはわかりました。しかし、通信機の方も同じことはできないのですか?》
《残念ながら、通信機のセキュリティは起爆装置のものより複雑だ。時間があれば多分できるかもしれないが、今回ばかりは厳しい。それに、ハッキングをするには相手の近く、なおかつ電波の届く範囲にいる必要がある》
パウラの疑問については、俺も一度検討をしたが、やはり敵の通信を完全に遮断するには時間が足りない。だから、俺たちは爆弾の起爆装置に注目した。
そして、機構がリンネアに与えた爆弾は破壊力と汎用性を重視したもので、内蔵されている制御系統は簡素なプロトコルを採用している。要は、基本的な機能を重視し、最悪の場合でも手動で爆発させられるように設計されている。
もっとも、そんな安全を軽視した物品をリンネアに渡した時点で、機構が彼女のことをただの駒としてしか見ていないことが垣間見える。
《爆弾自体を処理せず、敵に精神的被害を与え、その上で別動隊が行動するまでの時間を稼ぐ……負担は大きいけど、大丈夫?》
《……俺には、まだお前たちの支えがある。それに比べれば、紫乃さんたちが背負う重圧は計り知れない。彼女たちが俺に命を預けるように、俺も――その覚悟に応えなければならない》
《そう……なら、背中は私たちに任せて、あなたはリンネアに集中しなさい》
《ああ、ありがとう》
ニリアは多くは語らず、背中を押してくれた。
昨晩の調べでさらに分かったのは、敵がもし爆弾を使用出来なくなった、あるいは起爆させる直前に俺が姿を現した場合、今村が予備のプランを用意していることだ。
奴は必ずリンネアに、異空間生成装置を使わせてくる。これは、使用者と認識した相手を周囲の空間を模して生成された異空間へと飛ばし、閉じ込める装置だ。
加えてリンネアは主に、ライフルなどの一般兵器と体術を多彩に駆使して戦う。彼女の怪力は厄介だが、同じ神格を宿す俺も同程度の筋力を持っているため、さほど脅威にはならない。
敵の手の内すべてを知り尽くした俺は、これからリンネアに対して偶然を装って接触する。そして、回線越しに待機しているブリジットに、起爆装置を乗っ取らせる作業をしてもらう。
《リンネアが間もなく近づいて来ますわよ》
《了解。ふたりとも、探知されないようになるべく気配を抑えていてくれ》
パウラに促されて携帯を確認すると、リンネアのアイコンが近づいてくるのがマップ上に表示されていた。
俺はそれを確認すると、彼女の方へ歩み寄った。
「おはようございます、リンネア先生」
「あら、八月朔日君。おはようございます」
「朝からこうして先生と会えるなんて、嬉しいです。よろしければ、学校までご一緒してもいいですか?」
「ええ、勿論構いませんよ。私も、生徒さんと一緒に通学できるのは楽しみですから」
「ははは、そう言ってもらえて嬉しいです」
お互い、心がこもっていない笑顔を見せつけながら会話をする。まるで下手な舞台役者が、セリフを棒読みしているかのようだ。
まあ、元より会話の内容に大した意味なんてものはない。彼女の精神を如何に蝕むかの手段にしか過ぎないのだ。
そろそろ言霊を使って、彼女の心を揺さぶってみるか……。
「――それにしても、先生は日本語がとても上手ですね。日本に来て長いんですか?」
「ふふふ、ありがとうございます。でも、日本に来てからは、まだ一年しか経っていません」
「一年ですか……先生の努力と熱意には感服します。こっちの暮らしには慣れましたか?」
「ええ、皆さんには親切にしてもらっています。ですが、ふとした時に家族のことを思い出して、彼らのことが恋しくなります」
一見、ただの雑談にしか見えない会話だが、リンネア自身の口から「家族」という言葉を言わせた。その言葉が引き金となり、相手を心理的な落とし穴へと誘導する。
訓練された諜報員ならまだしも、捨て駒である彼女はそういった方面の訓練を受けてはいないようだ。
「そうですか。では、先生の夢には家族が出てきますか?」
「……夢……?」
「はい、夢です。出てきますか?」
「……出てきます……顔は……」
「顔は?」
「顔は……思い出せ、ません……」
リンネアは表情を曇らせながら、思考の渦に巻き込まれる。
そして戸惑う彼女と、その様子を観察する俺との間に、沈黙が流れた。
人形である彼女は、普段から自分で考える能力と自我を持ち合わせていない。だから、質問を通じて彼女に意図的に考えさせることで、深層部分に隠されていた――仲間の大切に思いながらも、その顔が思い出せないという矛盾点を浮き彫りにし、明らかな動揺を誘った。
皮肉にも、今村の過度な洗脳教育が裏目に出た証拠だ。
《景明、ブリジットのハッキングが終わったわ》
ニリアから、作戦の第一段階が無事終了したことを告げられる。これで爆弾についてはもう心配することはない。
しかし、こうも作戦が容易に成功すると、逆に何かを見落としているのではないかと不安になってくる……。
ともかく、会話を切り上げる頃合いだ――。
「先生。顔色が優れないようですけど、大丈夫ですか?」
「……少し休めば治ると思います」
「そうだといいのですが。三月とはいえ、まだ肌寒いですから、体には気をつけてください」
「はい……」
リンネアの呼吸は乱れ、無意識に手で胸を抑えている。
人の精神を壊しておいて何だが、深掘りせずに戦う前の相手の心に、確実に動揺を残すことができた。
そのあたりの出来は上々だと思う。
「もう学校に着いてしまいましたか。今日は、俺のわがままに付き合ってくださってありがとうございました。先生の授業、楽しみにしています」
「ええ、私も楽しかったです……ありがとうございました……」
その後、特に目立った会話もなく高校の校門の前に着くと、リンネアは仮面のような笑顔を見せ、先に校舎の中へと入っていった。
俺は、次は戦場で相まみえるであろうそんな彼女の背中を、冷たい眼差しで眺める。
すると、横から嫉妬に満ちた声がした。
「おい、誠司! ちょっと、こっちに来い!」
「高和……」
「何で、お前とリンネア先生が一緒に登校しているんだよ!? ことと次第によっては、学校内の全男子、男性教師、ひいては配達係の男性職員全員を敵に回すことになるぞ!」
もはや妬みを通り越して怨霊と化した高和が、奇声を上げながら迫ってくる。その後ろには、相変わらず暴走した馬鹿をいつも止める苦労人の海斗の姿もあった。
「さぁ、裁きの鉄槌が下される前に正直に答えろ!」
「ふっ、何だと思う? お前の想像豊かな頭で考えてみろ」
そう言うと、高和は本当にありもしないことを考え始めた。
「ま、まさか……お前がリンネア先生と大人の関係……いや、お前からは全然想像がつかないな。どっちかというとお前、海斗のような文学系男子の方が好みだもんな」
「電柱の上に、逆さで貼り付けにするぞ……だが、今回はお前に一本取られたな」
「ふはははは、俺も成長してるのがわかったか?」
「クククッ、次は負けないぞ」
高和の成長ぶりに、素直に感心した。
しかも、直球の中に変化球を交えてくるとは……腕を上げたな。
「ねぇ、本当に何の話!? てか僕の部分、絶対いらないよね!?」
完全なとばっちりの被害者である海斗の虚しい声が、空高くこだまする。
彼らとの青春も今日で最後だと思うと、名残惜しさを感じた――。
◇
正午の鐘が鳴る数分前。
学校から少し離れたビルの屋上に、戦闘服を身に纏ったリンネアが立っていた。
彼女は時計の秒針に合わせてカウントダウンを切り、指で起爆装置のボタンを押した。
すると、校舎から爆風が舞い上がり、建物は崩壊する――そのような数秒後の未来を予想していたが、何も起きなかった。
おかしいと感じながら、もう一度ボタンを押すが、爆弾はやはり爆発しない。
「どういうこと……?」
完璧だと思われた作戦に綻びが生じ、リンネアはたじろぐ。
時計の長針はすでに12時を過ぎている。ともなれば、爆弾を作動させるためには手動で行うしかない。
しかし、予期せぬ事態にリンネアは自分で判断をすることができず、その場に佇むしかなかった。
「今村博士……どうしますか……?」
彼女は司令官である今村の指示を待った。
今朝の生徒との意味深な会話や爆弾の不発など、今日は不規則な出来事が立て続けに起きている。まるで列車が定められた線路の上をうまく走らず、誤った方向に脱線を繰り返すような感覚だ。
そして、その感覚に陥ったのは彼女だけではなく、常に安定した環境を好む今村もまた同じだった――。
「爆弾を使おうとしても無駄だ。制御プロトコルは、すでにこちらで書き換えた」
「——ッ!?」
リンネアが立ち往生していると、背後から突然声がした。
反射的に声の方へ顔を向けると、そこには彼女と同じく、黒い戦闘服を全身に着込んだ謎の兵士が立っていた。
「神格探知装置に反応……! っ、ターゲット!?」
リンネアの持っていた神格探知装置が大きな警告音を連発する。つまり、目の前にいる人物こそが、彼女たちが追っていた者だ。
しかも、常人より五感が鋭い自分に気配に気づかれず、背後を取られたことが得体の知れない怖さを際立たせた。
「そうだ。俺があなたの探していた人間だ、リンネア先生。 いや、S-13067と呼ぶべきか?」
「——ッ!?」
防護マスク越しに発せられる、冷酷な声。
関係者しか知り得ない名前で呼ばれ、リンネアは困惑を隠しきれない。
さらに、彼女を「先生」と呼ぶのは、学園内の人物に限られている。確証はないものの、今朝会ったあの生徒の顔が脳裏に浮かんだ。
仮に、兵士の正体が本当にあの生徒なら、彼が自分のことをどこまで知り尽くしているのか、その不確定な要素に彼女は恐怖を覚えた。
「あんたもただ話を聞いていないで出てきたらどうだ、今村大輔博士?」
「……これは驚いた。こちらが一手先を取ったと思っていたが、まさかその逆だったとは……」
通信機を通して今村が言葉を発した。
正体不明の人物は、自分のことだけでなく、監督者である今村のことも把握していた。相手の恐るべき情報量に、彼女はさらに焦りを募らせた。
「あんたらの動きは常に監視している。随分と、人の尻を追い回すのが好きなようだな」
「……なるほど、君が例のスコットランド事件における襲撃犯か……こんな大掛かりで大胆な行動を取れる者は限られている。何より、その装備――推測するに、君は『コブナント・オブ・エントロピー』の構成員だな……」
「さあ? どうなんだろうな?」
「……その煮え切らない態度は極めて不愉快だ。君のような異常存在は、我々の正義と人間社会の安寧を脅かす。世界の正常性のために、早々にここで封殺するべきだ」
「神の狗はよく吠える。やってみろ」
防護マスクの赤いレンズを光らせながら、黒い兵士は余裕の態度を見せつける。
強者か愚者か、それはこれから戦えばわかることだ。
「S-13067、異空間生成装置を展開しろ」
「はい」
今村の指示に従い、リンネアは異空間生成装置を起動した。
その瞬間、鋭い機械音とともに、彼女を中心に赤い光が輝き、周囲の情景は紅色に支配され、無人の疑似空間が半径5キロにわたって生成された。
そして、現実から切り離された空間内に閉じ込められた両者は、死闘を繰り広げることになる――。
読んでいただきありがとうございました。




