第6話 人形に宿る心
リンネアとの水面下での睨み合いが始まって、一週間日が過ぎた。
彼女はいまだに目立った動きを見せていない。
だからその間、味方から送られてきた彼女に関する情報をもとに、さまざまな布石を打った。
監視、盗聴、追跡、そして異能力を使用した際の感知。さらに、多重の罠を仕掛け、学校内のありとあらゆる場所、ひいては彼女の周囲に徹底した包囲網を構築した。
向こうが何かをしようものなら、周りの環境すべてが彼女の敵となり、瞬時に命を奪うことになるだろう。
この策略を考案した張本人として言わせてもらうと、今の俺は追跡者――ストーカーと呼ばれても過言ではない。
「一週間かかったが、ついにやり遂げた。これで奴らは完全に袋の鼠だ」
俺は部屋で、背中を椅子にもたれながら自己満足に浸る。
まるで徹夜明けのサラリーマンになった気分だ――。
「ふふふ、お疲れ様。でも、あとでみんなにはちゃんとお礼をするのよ?」
「ああ、勿論だとも」
ニリアが子供を見守る母親のように、ここ一週間の達成を一緒に喜んでくれた。
彼女の言う通り、今回の機構への対策に関しては、仲間からの支援が必要不可欠だった。特に、ジョヴァンニとブリジットから迅速に送られてきた情報は、大いに役に立った。
今度、本部へ赴く際には、彼らにお土産をたくさん持っていこうと思う。
「ジョヴァンニには、陶器といった渋めのものを贈るとして。ブリジットは……何を贈るか迷うな……」
チャットでやり取りをした際、ジョヴァンニからは「問題ない。頑張れよ」という返事がきた。
けれど、ブリジットからの返答には「女たらし」の四文字だけが書かれていた。その簡潔でありながら、皮肉交じりな彼女の返事に、全く心当たりがないのかと思いきや……実は身に覚えがあった。
彼女がそう答えた理由は――リンネアだ。
「いくら俺が男子たちに恋愛術を教えてるからって、敵までたらし込むのは無理がある。恋愛小説の読み過ぎだ」
「でも、ブリジットの言っていることは、あながち間違いじゃないかもしれないわよ? もしかしたら……ね?」
「……確かに、リンネアのことは不憫に思う説もある。だが、俺を見境なしの色男みたいに言うのはやめろ」
ニリアの当たりそうで当たらない預言を聞いた俺は、徐々に身震いを覚えた。
何より、組織の頭脳でもあるブリジットが、複雑な恋の方程式を経て導き出した未来予想なのだから、いっそう信憑性が増してくる。
「これは……昼ドラの予感がしますわ」
パウラは、最近見た昼ドラマの再放送に、俺の状況を当て嵌めた。人間の文化に興味を持ってくれるのは嬉しいが、こればかりは全然嬉しくない。
「パウラ、俺はリンネアに恋愛感情を抱いていない。彼女はただの敵だ」
「あら。ですが、敵同士が恋に落ちることは昔からよくありましてよ?」
「ほう……じゃあ、出会ってすぐに敵意を向けたお前は、俺と恋仲に発展すると言いたいのか?」
「……ずるいですわよ。その言い方は……」
パウラは小さな声で不公平を訴える。けれど、その感情の奥には、何か別の淡いものが含まれていた。
「いっそのこと、ブリジットには新刊の恋愛小説の表紙に、『五月雨・漢筋肉祭り』の写真集でも被せて贈るべきか?」
「やめなさい。口を利かなくなるわよ、彼女」
素敵なお土産を用意しようとするも、ニリアに止められた。
普段はクールで、それでいて内面は熱い性格のブリジットが筋肉祭りと絡むと、どんな化学反応を引き起こすのか。気になるところだが……また別の機会にしよう。
「戯れるのはここまでにして、本題に戻ろう」
軽い息抜きを終えて、真面目な態度に切り替える。
パソコンでリンネアの詳細が記されたファイルを開き、その一部を閲覧した――。
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【被験体番号】S-13067
【本名】リンネア・フルスカイネン[検閲済み]
【種族】エルフ
【人間換算年齢】20歳
【出生地】[検閲済み]
【実験課題】原初の血肉を用いた神格化[検閲済み]
【異常性レベル】4
【実験施設】日本第2支部
【監督者】今村大輔研究主任
【更新日時】20XX年9月23日
【実験内容】
本実験は、生物の進化の根源である聖遺物『原初の血肉』を被験者の体内に移植し、新たな種への神格化を果たせることを目的としています。
実験の過程においては、外科手術と呪術による儀式的手順が被験者に施されます。なお、初期段階では、人間以外の異種族を対象とした実験検証が実施されました。
現在、被験体”S-13067”は、日本第2支部において唯一聖遺物に適合した成功例であり、精神の安定指数も極めて良好です。また、肉体にも顕著な変化は見られません。
しかし手術後、”S-13067”は両親から遺伝した風魔法の異常性が喪失。代わりに、強靭な肉体と優れた身体能力という新たな異常性へと置き換わっていることが判明しました。
このことから、聖遺物に適合した被験体は強力な異能力を得るだけでなく、体の構造と遺伝子そのものが書き換えられるという仮説が、改めて立証されました。
評議会は今後、激化する敵対勢力との対立を想定し、”S-13067”を実戦に投入することで、最新の戦闘データを取得することを決定しました。想定される実戦試験の設定と内容については、監督者である今村大輔研究主任に一任されます。
収集されたデータをもとに、実験の第二段階として、人間の被験体への聖遺物移植プロジェクト[検閲済み]が近日中に開始される予定です。
【補遺】
機構の職務を忠実に遂行させるため、”S-13067”には虚偽の記憶[検閲済み]が付与され、過去の記憶は全て抹消されました。
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――いつ読んでも、倫理観が欠如している報告書だ。
機構は正義を称えながらも、自分たちが忌み嫌う異常性を生み出し、実験の被害者を兵器として扱っている。
狂っているとしか言いようがない。
それに、聖遺物と書き記された『原初の血肉』――あれは、人間の祖先である旧人類の遺骸だ。
かつて神の軍勢と戦った旧人類の戦士たちは強かったが、心に巣食った欲望によってやがて堕落し、滅びた。その成れ果ての肉体にはいまだに神性の残滓が残っており、体内に取り込むことで古の英雄に近づき、人を人工的に神格化させることができる。
しかし、あれは本来、俺のような旧人類の直系にあたる子孫たちにしか知り得ない知識だ。それを奴らは侵奪し、世界を守ると称して悪用、果てには先祖たちの魂を穢す冒涜行為に走った。
もはや、行き過ぎた偽善だ。
「哀れな人形だな……」
別の画面を表示すると、そこには機械仕掛けの式神のカメラ越しに映ったリンネアの姿があった。
学校で教育実習生として振る舞っている時の彼女は、偽りでありながらも人としての生気をわずかに感じさせた。けれど、隠れ家へ帰還し独りになった途端、彼女の着ていた人の皮は脱げ落ち、ただの人形と化した。
その暮らしぶりからは、生活感が一切感じられない。
食事は支給された携帯食を取り、ほとんどの時間を何もない部屋で背中を壁にもたれながら座っている。さらに、口を動かすのは今村と連絡を取る際と、時折何かを呟いている時だけだ。
感情が欠落して、本当に生きているのかすら怪しい――。
「ミニマリストにも程がある。無機質で不気味だ」
「そうね……ねぇ、景明。やっぱり、彼女のこと、助けてあげたら?」
「くどいぞ、ニリア。向こうが俺の命を狙っている以上、俺は彼女を殺さなければならない。まあ、もっとも彼女が手を出してこない限り、俺は何もするつもりはない」
「……」
ニリアは何かを言いたげだったが、そのまま黙り込んだ。
「……カイム……アネット……ウィルマ……みんなに、会いたい……」
リンネアが数人の名前を口にすると、生気のない目が一瞬、輝きを取り戻した。
彼らは、彼女と同じ神格化実験の被験者であり――もうこの世にはいない。
正確には、聖遺物と肉体が適合できなかったため、拒絶反応によってすでに命を落としている。それを機構は、記憶操作によってリンネアに彼らがまだ生きていると信じ込ませ、人質として扱っているのだ。
「余計な記憶は処理され、心の拠り所だった仲間の死すら、虚偽の記憶で覆い隠される……悪魔の所業だな」
音を立てずに、彼女という嵐が過ぎ去るのを待つか。それとも、機構の被害者である彼女を救うべきか。俺の中で、小さな葛藤が生じた。
しかし、そんな最中、機構からの連絡が来た。
リンネアの目から光が消え、彼女は再び人形に戻る。
そして、冷たい手で通信機を取ると、その連絡に出た――。
「S-13067、定時連絡の時間だ。状況を報告しろ」
「はい、今村博士。本日、神格探知装置を使用して捜査を行ったところ、夜闇の女神の強奪者がいまだに霞坂高等学校に潜んでいることがわかりました。しかし、まだその人物の特定には至っておりません」
「やはり、探知装置の性能の改良が必要だな……だが、相手が学生あるいは教職員に絞り込めたのは幸いだ。ターゲットによる認識の阻害は?」
「いえ、現時点では確認されておりません」
式神に搭載された盗聴器から、リンネアと彼女の上司である今村との通信機を通じたやり取りが聞き取れた。まさか連中が、俺の体から発せられる神性を検出、測定できる装置を開発していたとは思いもしなかった。
悔しいが、情報戦で優位に立っていても、技術力では奴らの方が上だ。おそらくその探知装置によって、精度は低くとも、遥々スコットランドから俺を追尾してきたのだろう。
であれば、気づかれないうちに、桔梗坂高等学校から密かに撤退をすればいいだけの話である。
ただ残念なのは、高和や海斗たちと最後まで高校生活を満喫することができない点だ。元々、卒業を機に彼らと別れ、自然な形で関係を絶とうとしたが、それすらも叶わなくなってしまったのは、何よりの心残りだ。
明日からまた新たな身分で、新しい潜伏場所から再出発となる。
心の中でそう割り切りながら、これからの新生活について考えていると、今村の口から恐ろしい言葉が発せられた――。
「これ以上の作戦継続は成果が見込めない。S-13067、明日の正午、拠点殲滅用術式爆弾『ニュートラライザー』を起爆し、学校内の全人物を抹殺しろ。その後はこちらで、市民に対する記憶の処理及びカバーストーリー『地盤沈下』を適用する。たった市民数百人の命と引き換えに、一人の要注意人物が排除できるなら、上層部も喜んで首を縦に振るだろう」
「……了解しました」
「見事任務を完遂し、自分の存在価値を示せ」
「はい……」
今村からの通信はそこで終わり、冷たい空気が場に漂った。
奴は、俺という一人の敵を排除するために、守るべき市民を虐殺しようとしている。その中には当然、俺の友人や知り合いも含まれる。正直、自分の耳を疑った。
いくら機構が人類を守る正義の団体だとしても、やろうとしていることは人間性の欠片もない。むしろ、理性の仮面を被った狂気――ただの暴力装置だ。
「……逃げ道を塞がれたか……味な真似を……」
俺の中で怒りが静かに湧き立つ。
確かに、何も知らない友人たちを見捨て、巻き添えを避けて離脱することもできる。だが、それでは俺や仲間たちが誓った理念――異常性を受け入れ、人々と共に生きるという信念に背くことになる。
あまりに急な展開に、思わずため息が漏れてしまう……。
「大丈夫よ、景明。私たちが付いているわ」
「そうですわ。あなたは一人ではありません」
「……ありがとう、ニリア、パウラ」
二人に励まされ、気持ちもだいぶ落ち着いた。
冷静になった今、改めて現状を整理する。
「リンネアを暗殺する案も浮かんだが、使い捨ての彼女を倒しても今村たちが作戦を止めるとは思えない。最悪、別の神格兵や機動部隊を送り込んでくるかもしれない」
「では、今村を直接排除するというのはいかがでしょうか? ですが、そうなるとこちらの戦力が明らかに足りませんわね……」
パウラの言う通り、問題を根本的に解決するには、悪の根を断ち切らなければならない。だが、二正面作戦を俺一人で同時にこなすのは、流石に骨が折れる。
最も、それは俺一人でやる場合の話だが――。
「日本に潜伏している味方に救援を要請する。俺が囮になってリンネアと戦い、敵の注意を引きつけている間に、彼らに今村たちがいる第2支部の破壊をしてもらう」
「それなら、まずは敵拠点の状況を確認しましょ」
「わかった」
ニリアの指示通り、パソコン内の別ウィンドウに解析済みの座標――山形県保越市の山奥にある敵施設の映像を映し出す。
すると、敵情が明らかになった。
「配置されている警備兵の数は中規模……セキュリティの方は少々厄介だが、突破は可能だな」
時刻は午前の3時。タイムリミットまで、残された時間は9時間を切っている。
俺は重要なポイントをまとめ、作戦内容とともに仲間の構成員たちへ急いで送信していく。
始末書に追われるサラリーマンのように、俺の残業はまだまだ終わらなかった――。
物語のペースはスローですが、ここまで付き合っていただいてありがとうございます。
よろしければ、リンネアについてどう思ったかをお聞かせください。




