第11話 復讐と清算
今回のエピソードで、今村に天誅が下り、リンネアは救われるはずです……。
若干刺激の強い描写もありますが、どうか最後までお付き合いください。
今村大輔は、非常灯で点滅する赤い避難通路を一人で走っていた。
耳に入ってくるのは、廊下に反響する自分の足音だけだ。
後ろからは銃声が全く聞こえない。おそらく身を挺して守ってくれた警備兵たちは、命を落としたのだろう。
思わず振り返って、真実を確かめたい気持ちはある。しかし、ここで足を止めてしまえば、それこそ彼らに申し訳が立たない。
彼らの想いを無駄にしないためにも、生きてここを脱出して、味方のいる第5支部まで辿り着く。そして、散っていった者たちの無念を晴らすため、自分が復讐の代行者となる。
そう決意しながら、彼は前に向かって駆けた――。
「今村博士、車はもう準備できてます! 早くお乗りください!」
駐車場に出ると、二人の護衛がすでに車のエンジンをかけ、出発の準備を整えていた。
彼らは、兵士の中でも特に実力の高い者たちであり、主に重要人物の身辺警護を担う。そんな彼らに守られながら、生還を果たす――この上ない頼もしさが感じられた。
「こちらの服装にお着換えください」
「ああ、ありがとう……」
今村は白衣を脱ぎ、護衛に手渡す。支給された民間人の服に着替えた後、車に乗り込んだ。
「時間は一刻を争う。車を出してくれ」
「はい」
運転席に座る護衛がアクセルを踏むと、車は陥落した施設から離れた。
◇
車はしばらく高速道路を走行していたが、よりによって料金所が工事中で閉鎖されていた。
ただでさえ一般人に紛れて危険な隠密行動をしているというのに、これ以上の時間の浪費は許されない。そのため、今村たちは高速道路を降り、一般道路を迂回せざるを得なかった。
「一旦、最寄りのサービスエリアに入って、休憩を取りましょう。そこで第5支部と連絡を取ります」
「……わかった。そうしよう」
時刻はすでに午後五時を過ぎ、事件発生から一度も休憩を取っていない。心身ともに疲弊したことを考慮すると、今村は少しでも長く休息を取る必要があると感じた。
彼らはサービスエリアに車を停め、運転席の護衛が売店で食事を買ってきた。それらは、おにぎりやお茶など、手軽に食べられるものだった。
護衛はそのうちのひとつを手に取り、今村に渡した。
「博士、食事です」
「あぁ、ありがとう。君たちも長時間の運転で疲れているだろうから、遠慮せず食事を取ってくれ」
「わかりました。それと、第5支部に我々の現状を伝えたところ、向こうからも増援としてエージェント数名が派遣されるそうです。合流地点は岐阜県の戸雪駅前です」
「私はまだ見放されていなかった……これで、危機は去ったのだな」
「はい。ひとまずは、力を抜いても大丈夫だと思います」
安堵の言葉を聞いた今村は、今まで背負っていた重荷をようやく降ろすことができた。すると、先ほどまで食欲が湧かなかった体が、いつの間にか食事を求めていた。
おにぎりを一口食べると、ほど良い塩気が味覚を刺激し、気づけばあっという間に平らげていた。
今村は思わず、涙を溢してしまいそうになった。
その光景を、護衛たちはただ無心な眼差しで眺めるだけだった……。
その後、食事を済ませた一行は、再び旅路を再開した。
空は暗くなり、進む先は人気のない田舎道。
一般車道から外れ、怪談話に登場しそうな不穏な場所に車は進んでいく。
「なぜ、この道を進むんだ? ナビゲーションでは、左側の道が正しいと示されていたぞ?」
「はい。ですが、この道の先でエージェントたちと合流する予定です。何も心配はありません」
「そうか……」
腹も満たされて安心していた今村だったが、自分たちの進んでいる道が本当に合っているのか疑問に思い始めた。しかし、信頼する護衛がうまく説得したため、今村も納得するしかなかった。
とは言ったものの、機構の職員が人混みの多い場所ではなく、わざわざ人里から離れた地点で合流をするのは些かおかしい気がする。
そう思った今村は、同じ質問を繰り返し護衛に尋ねたが、返ってくるのは全部同じ返答――まるで、壊れた録音テープを何度も聴いているようだった。
「おい、 本当にこの道で合っているのか!? 森の中に入ったぞ」
「はい。勿論、合っていますよ。大丈夫です、全てうまくいきますから」
何がうまくいくのか分からず、今村は我慢の限界に達し、大声を上げてしまった。
けれども、護衛は怯むことなく、軽く受け流して運転を続けた。
流石の今村も、これには違和感を覚えた。
「違う……お前たちは、護衛じゃない……誰なんだ……?」
今村が静かに声を喉から絞り出すと、護衛は車を緩やかにその場に止めた。
すると、助手席の者はそのまま動かず、運転席の者だけがゆっくりとその顔を振り向かせ、意味深な言葉を彼に投げかけた。
「さっきぶりだな、今村大輔。いや、初めましてと言うべきか?」
「初めまして……ッ!? お前は、エントロピー……!」
死んだはずの者が、目の前にいる。
「初めまして」――その一言が、今村の記憶を揺れ動かした。
相手は、あの異能力持ちの異端者。エルフの人型兵器に自我を芽生えさせ、しかも自分に屈辱を味わわせた忌むべき存在だ。さらには、どういうわけか圧縮する異空間を脱け出し、護衛に成り代わり、あまつさえ自分は恨むべき敵に命を預けていた。
屈辱がいつしか恥辱へと変わり、今村は自分の浅はかさに歯を食いしばった。
「いつ入れ替わった……?」
「さあ? 第2支部の駐車場、それとも途中のサービスエリア。果たして、いつなんだろうな?」
またしても煮え切らない態度を取られたことに、顔から火が出そうになる。だが、同時に嫌な汗をかいた。
今村は懐から拳銃を取り出し、目の前の怪物を狙おうとしたが、着替える時に武器を護衛に渡していたことを見落としていた。
恐怖に駆られた彼は、ドアを開けて逃げようとしたが、完全に閉まっていて開かない。その上、緊迫した状況なのに、なぜかめまいがして体に力が入らなかった。
「食べ物に混ぜた睡眠薬が効いたようだな。しばらくそのまま寝ていろ」
今村は襲いかかる猛烈な眠気に抗えず、崩れ落ちてしまう。
彼を乗せた車は、光が差さない森の奥深くへと入って行った――。
◇
眠っている今村を担いで森を歩いていると、ちょうどいい太さの樹木を見つけた。
俺はこの場所が奴の終着点に相応しいと思い、縄で奴を縛り上げる。その様子を、もう一人の護衛に扮したリンネアが、複雑な感情を胸に秘めたまま、黙って見つめていた。
「ニリア、パウラ。念のため確認するが、俺たち以外の人の気配は周囲にないな?」
「ええ、小動物以外は感じられないわ」
「はい、わたくしも感じられませんでした。ですが、自分が支配者だと思い上がった人物が、最後には小物のように怯え、このような末路を辿るのは哀れですわね」
「馬鹿が自分を神だと勘違いした結果だ。これからその清算をする」
音を遮る措置として、念のために防音用の呪符を使用する。
その間、今村はまだ夢の中だった。
IDカードや携帯などは、すでに第2支部の駐車場にいたときに奴の手から直接受け取っているから問題はない。
残るのは、奴自身――復讐のための贄だ。
俺は奴の口と鼻孔を塞ぎ、息を詰まらせた。
すると、奴は苦しそうにもがきながら意識を取り戻した。
「むごっ!? けほっ、けほっ……」
「やっと目を覚ましたか? 機構の博士」
「お前は、今朝に接触してきた生徒……役立たずのエルフまで……私に復讐でもするつもりか?」
言わずとも、自分に待ち構える運命を悟った今村。
朝にリンネアと交わした会話を観察していたようだが、今となっては価値のない情報だ。出遅れたが故の負け惜しみに過ぎない。
「リンネアのことを名前で呼ばないんだな」
「名前……死に損ないの道具を名前で呼ぶなど、気が狂いそうになる。お前たちは、世界から取り除かなければならない腫瘍だ」
「異常性の何をそんなに恐れる?」
「恐れる……? ああ、恐れるとも! 次元の穴という忌まわしいウイルスの温床があることで、怪物が生み出され、感染した人間は異常な化け物に変わる! お前やエルフのような疫病の媒体を殺し尽くさない限り、世界は崩壊する! それを共存できるだと? 見ているだけで反吐が出る!」
今村は憎しみを込めて暴言を吐き捨てた。
神の暗示による効力かと思われたが、少なくともこれは奴の本心から来るもので、完全に自分の正義を盲信している。
確かに、奴のウイルスを使った例えは、あながち間違いではない。
この世界の住民の大半は、次元の向こうに別の世界が広がっていることを知らず、穴をただの異形の天体としか認識していない。機構ですら、科学的に別世界の存在を解明しているとは考え難い。
ましてや、世界全体を一つの免疫機能として捉えた場合、特異的な実体や概念が穴から流入してくれば、白血球が浸食したウイルスを撃退しようとするのも当然だ。
けれど、お互いに見ている世界の隔たりが大きいため、会話は成立しないと思っていい。
「お前たち腐ったテロリストどもは、いずれ私の同僚たちが一人残らず根絶やしに――」
今村がまだ話している最中、俺は無言でナイフを取り出し、それを奴の太股に突き刺した。
すると、奴は獣のような悲鳴を上げた。
「ぎゃあああぁあぁあああ!?」
「これは俺の日常を壊し、大切な友人たちを巻き込もうとした分だ」
「あ、あ、脚がぁっ!? 私の脚があぁああぁっ!?」
もはや、語る言葉なし。
今村の太股からナイフを抜くと、刺し傷から徐々に腐敗が浸透し、奴の右足は黒く変色――肉と服が腐り落ち、灰となって土へと還った。
そして、激痛で喚き散らす奴を尻目に、俺は後ろで立っているリンネアの方へ向いた。
「ナイフには、夜闇の女神の加護が付与されてある。見ての通り、刺した者の体を服ごと腐敗させ、証拠を残さない」
「……」
「俺は車の方で待っている。あとはお前自身の手で過去と決着をつけろ、リンネア」
そう言って、俺はナイフをリンネアに渡した。
彼女はそれを受け取ったが、手をカタカタと震わせている。
そして、顔には深い苦悶の色が刻まれていた。
無理もない。けれど、恐怖に囚われた過去を乗り越えるためには、今村という枷から抜け出さなければならない。
たとえ、それがこんな強制的な方法だとしても……。
「ま、待て! 私にも妻と子供がいる! 家族を大切に思うお前ならわかるはずだ!?」
「そんなの……関係ない! アネットも、カイムも、ウィルマも、みんな死んだ……私たちはあなたの道具じゃないッ!!」
葛藤しながらも、縛られて身動きが取れない今村に歩み寄るリンネア。
その言葉を皮切りに、感情が抑えられなくなったリンネアは、悲痛な叫び声を上げながら、ナイフで今村の体を滅多刺しにしていく。
「なぜだ……私は……正しいはずなのに……」
三途の川が見えても、今村は自分の非を認めなかった。
リンネアは泣き崩れ、嘔吐しながらもなお、哀れな研究者を刺し続けた。涙混じりの怒声は、茂みから少し離れた俺のいる場所まで届いた。
自らの手で作り出した兵器に殺される――今村の最後は、まさに因果応報の言葉に尽きる。
「何だか浮かない顔をしているわね」
「当たり前だ。リンネアが今村を殺したところで、彼女の失った記憶は戻ってこない。死んだ方が幸せだったかもしれない彼女を、俺は自分の都合で生かした。彼女にとっては、この上ないありがた迷惑だ」
「そうかもしれないけど、私はあなたが正しいことをしたと思うわ。それに、リンネアの今後のことも真剣に考えているし、ね?」
「……どこかの誰かが、俺に教えてくれたことだ。その人はたいそう、昔の頭でっかちだった俺に手を焼いていたようだがな」
「ふふふ、すっかり大人になって。お姉ちゃん、感動しちゃったわ」
ニリアが俺の行いを褒めてくれた。
言葉通り、過去の俺は機構におばあちゃんを傷つけられたことで、一時期復讐に心を支配されていた。そんなどうしようもないクソガキだった俺は、あろうことか家族であるニリアを復讐の道具として扱った。
彼女はそれを止めようとしたが、当時の俺は聞く耳を持たなかった。だから、彼女は俺が改心するまで、俺の意識の奥深くに沈んでいた。今思えば、これは彼女なりの愛情だった。
その経験のおかげで、俺は視野を広げられるようになった。自分がどれほど未熟だったのかも、ようやく理解できた――。
そして、俺が感傷に浸っていると、事を終えたリンネアが森の中から今にも消えてしまいそうなくらい弱々しい姿で歩いてきた。
「復讐は終わったのか?」
「うん……でも……胸が苦しくて……悲しい……」
「復讐が虚しいのは、むしろ当然だ。それは、お前が人として生きている証拠でもある」
リンネアは疲れ切った表情で、幼い子供のように切なげに自分の心情を明かした。
よく復讐は何も生まないと言うが、そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。結局のところ、復讐者が得られる達成感はほんの一瞬に過ぎず、その後に押し寄せてくる空虚さに苛まれる。
それは、リンネアであっても例外ではない。
「……私……これから、どうすればいいの……?」
「今後のことを考えると、俺一人では手が回らなくなる。お前さえ良ければ、俺の助手にならないか?」
「……いいの……? どうして私によくしてくれるの……?」
「俺も同じだったからだ」
リンネアと昔の自分が重なる部分がある。
俺は彼女を優しく抱き寄せた。
かつて奴隷兵士時代に、地獄のような野外訓練で絶望していた妹分のシーナを慰めた時のように、そっとリンネアの頭を撫でた。
「支えてやるから、自分の足で歩けるようになれ。ゆっくりでいいから、自分の生き方を見つけるんだ」
「っ、うぅ……う゛ん……」
リンネアは俺の胸に顔を当て、涙をこぼした。
そんな俺たち二人を包み込むように、月光が柔らかく差し込み、静かに照らしていた――。
第一章、最後まで読んでくださってありがとうございます。
感想やレビューをいただけると、すごく嬉しいです。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。