わたくしは悪役令嬢の取り巻きらしい
口やかましい姉こと「わたくし」と、「わたくし」が愛する妹、そしてそれを眺める婚約者。
ところが「わたくし」にはどうしても我慢できないことがある。
「お姉ちゃんは私が嫌いなの、だからいちいち怒るんでしょ」
目の前で、妹がいじけている。
そしてその横には、わたくしの婚約者がいて、おろおろしながら妹の機嫌をうかがっている。
ああ、腹立たしい!
なんて、腹立たしい!
「お姉ちゃんではなくて、お姉さま、でしょう?」
わたくしは努めて笑顔で妹に教え直す。
わたくしが気にしているのは、言葉遣いである。
可愛い可愛い妹には、キラッキラな声で、お姉さまと呼ばれたい!
妹は王都住まいに慣れず、田舎でのびのびと、近くの同年代の子供たちを友達にして育ってきた。そして姉であるわたくしのことを「お姉さま」と言ったことで、お友達に「どこのお嬢様?」と嗤われたのだという。どちらかというと末端の子爵家ですがなにか!? ……それはともかく、学業のために王都へ戻ってきた妹から、お姉ちゃんと呼ばれるのは、わたくしがやり切れない!
妹には、パワハラだ、姉ハラだと言われたが、反省はあとにしたい。
「お姉さまはあなたに、昔のように『お姉さま』と呼んでほしいの」
そう言いながらわたくしは、にっこりと、そう、できるだけ優しく微笑んで見せる。
「お姉ちゃ……お姉さま……笑顔が怖いですわ……」
あら、お姉さまと言い直してくれたのはよいけれど……。
「なんでも語尾に『ですわ』を付ければ上品になると思わないことよ」
「え……」
「わたくし、もう飽き飽きしているの、『ですわ』を付ければ上品になるとでも思っておいでなのではないかとすら感じられる昨今の流行!」
妹と婚約者が唖然とする。
「え……ええと……?」
「お姉ちゃ……お姉さま、何があっ……りましたのですの?」
妹よ、今の努力は認めます!
ええ認めます! 何も考えない言葉ではなく、どうにかしようとした努力を認めます!
わたくしの妹、可愛い! でもそれはそれこれはこれ!
「世の中に溢れるくどい二重敬語! あたかもその物自体が増減するかのように名詞化された助数詞! 取り違えられた謙譲語と尊敬語! わざとらしいお嬢様言葉に、きっと気品のある女性であろう、凛々しい女性であろうと思いながら読んでいた小説の翻訳にまで使われる役割語としてのお嬢様言葉! 気になって落ち着かないの!」
妹と婚約者の視線がぬるい。
「婚約者様、ごめんなさい。お姉ちゃま……言葉にうるさくて……」
「いや、別にいいんだけどね……こういう人なのは分かっているから……」
なんですその理解者然とした他人のごとき発言。
「婚約者様……動詞『わかつ』の用法は……」
ちらりとわたくしが婚約者に言えば、悄然としていた婚約者が背筋を伸ばす。
「解釈にもよるがエディアン期の活用にはそれ以前の時代と異なる用法が見られる。すなわちその解釈を以て文脈が成立する文章を含む古典または注釈の成立はエディアン期以降であるという説明が(以下略)」
婚約者が喋りつづけるのを妹が呆然と眺める。
彼はこういう人なのだ。
わたくしが言葉遣いにうるさい人間だと言うのなら、彼はさしずめ言葉の歴史にうるさい人間。
姉妹と婚約者、このときには、まさかわたくしが「ヒロイン」とやらの言葉遣いに顔をしかめ、「言葉を省略されると分かりませんわ」と言ったことが厭味と受け止められたり、「バーベキューとはなんです?」と訊いたことが嘲笑と受け止められたりという、様々なことが重なり、さらにそれが、わたくしの知人である「悪役令嬢」の差し金に違いないという「ヒロイン」からの謎の訴えになるという波乱を巻き起こすことになるなど、知る由もなかった。
*** *** *** ***
三年後。
栗色の髪の少女が王太子の腕に縋りついて喚いている。
「あの人……あの……侯爵令嬢の友達の人です! いちいちあたしの言葉遣いがなってないって言うんですぅ! きっとそう指摘するように侯爵令嬢に言われてるんですよぅ!」
「ああ、可哀想だったね! もう二度とそんな真似はさせない!」
……わたくしは、隣にたたずんでいる妹をちらりと見る。
妹は姉の視線を見ないまま、小さく首を振る。
「私だってもうちょっとマシな言葉遣いだと思う」
「そうね、姉さまもそう思うわ」
「それにお姉ちゃま、別に侯爵令嬢に言われたわけじゃないでしょ?」
「言われてないわよ」
「だよねえ」
「言葉を改めてちょうだい」
「……でしょう?」
「省略しないでちょうだい」
「……」
沈黙。
「お姉ちゃまが言葉にうるさいのはお姉ちゃまの性格でしょう?」
「そうよ、わたくしの性格よ」
わたくしたち姉妹は、冷ややかな目で栗色の髪の少女を眺めた。
栗色の髪の少女がわたくしを見る。
「あのっ……あのっ……! あたし怒りません! 王太子殿下もきっと怒りませんから!」
さて、なんのことでしょうか。
わたくしが首を傾げれば、栗色の髪の少女は、髪と似た薄茶色の瞳を潤ませた。
「侯爵令嬢に、言われてたんですよねっ! だから、あたしに意地悪したんですよね!」
わたくし別に侯爵令嬢からは何も言われておりませんわね。
「いいえ、わたくしには侯爵令嬢から何かを言われた覚えなどございません。あなたは何をおっしゃっているのでしょうか? わたくしがあなたの言葉遣いについて指摘したのは、常に、わたくしが、耐えがたいからです」
それだけです。
妹が隣で、死んだ魚のようにうつろな目で頷いている。
栗色の髪の少女は呆然とわたくしを見て、それから侯爵令嬢を振り返った。栗色の髪の少女から目を向けられた侯爵令嬢の視線はといえば、わたくしに向いている。
「もう一度申し上げますわね。侯爵令嬢から、あなたの言葉遣いについて指導するようにと言われたことはございません。単にあなたの言葉遣いがわたくしにとって耐えがたいものであった、それだけのことです。お分かりいただけまして?」
わたくしは栗色の髪の少女を眺める。
栗色の髪の少女は、慌てて王太子を振り返って首を振った。
「きっと、何か侯爵令嬢に脅されているんです! 可哀想じゃないですか!?」
「あのぅ……」
声を上げたのは妹だった。
栗色の髪の少女はさっと妹に目を向ける。
「なにか知ってるの!?」
妹は「なんとなく」と、相変わらず死んだ魚のようなうつろな目で頷く。
「うちの姉は、本当に、ただ自分が耐えられなかったんだと思うの」
「え……」
栗色の髪の少女がまた呆然とする。
「お姉ちゃん、うちにいても同じだから」
妹がわざと「お姉ちゃん」と言ったことには気付いたが、わたくしだってそれを無視して期待を裏切るような姉ではない。パシンと小さく扇子で妹の肩を軽く打つ。
「お姉ちゃんではなく」
「お姉さまです」
「言い直してくれてありがとう」
「どういたしまして」
わたくしたち姉妹のやりとりを見て、王太子は怪訝な顔になった。
「侯爵令嬢は、本当にあなたに何も指示していないのか?」
「重ねて申し上げます。何もございません。わたくしの独断と偏見で小言を述べてまいりました。そちらのご令嬢の言葉遣いは聞くに堪えません」
恭しくお辞儀をして言えば、王太子は栗色の髪の少女に目を向ける。
「私はきみが侯爵令嬢の差し金だと言うのを信じていたのだが、きみは証拠もなく侯爵令嬢のせいにしたのか?」
「だって侯爵令嬢は殿下の婚約者じゃないですかぁ! 女の嫉妬以外に嫌がらせの理由がないものぉ!」
腹が立つ!
「聞き苦しいので語尾を伸ばさず言い直していただけませんか!? あなたがいらっしゃるここは上流クラスです! 自由! 平等! 博愛! どれも美しい言葉ですが、世の中から知性と教養の階級がなくなることはございません! 人は自分と同じ知性と教養の階級を心地良く感じるものです! そして言葉遣いは、埋まり辛い知性と教養を手っ取り早く埋める手段たり得るのですから、言葉遣いという形式から、階級に馴染むための努力ぐらい、できませんか!?」
あら? 場が静まり返ってしまいました。
妹が横で、両手で顔を覆っている。
「お姉……さま、今のは平民差別と言われても仕方ないと思う……」
「致し方ないのよ、妹よ。この世の中、どう平等を叫んでも、感性の違いは埋めようがないの。あなただって仲の良い職人さんの一点物を愛でているときに、鋳型の量産品と比べてその味わい深い歪さを蔑むような品性とは反りが合わないでしょう?」
わたくしと妹が仲良きことは美しき哉を実践している横で、栗色の髪の少女は王太子とわたくしたち姉妹を見比べて「違います! 違うんです!」としつこく繰り返し、侯爵令嬢はわたくしを眺めて呆れている。
仕方がないので、わたくしが本筋に話題を戻して差し上げましょう。
「ねえ、栗色の髪をなさったあなた」
栗色の髪の少女がキッと目つきを鋭くしてわたくしを睨む。
「せめて名前で呼びなさいよ! 何年あなたに言葉遣い指摘されたと思ってるのよ!」
「……あらそれはごめんあそばせ。それでね、わたくし、今さら気付いたのですけれど、あなたのお名前を存じませんでした」
栗色の髪の少女が地団駄を踏む。
「なんなのよ! 名前も知らない人の言葉遣いに文句言うの!? あんた!」
「本当にそうですわね。でも、たった今、ようやく気が付きましたのよ」
妹がわたくしの袖を引く。
「お姉ちゃ……ま、もうやめて、恥ずかしい」
わたくしは妹を見る。
可愛い妹が恥ずかしい思いをしているというのであれば、これ以上あの栗色の髪の少女を相手にしているわけにはいかない。
「そうね、あとは王太子殿下と侯爵令嬢にお任せして、わたくしたちそろそろ帰りましょう」
そうしてわたくしは妹と婚約者と三人、なにやら混乱した場を去った。
後日、王太子は「ヒロイン」が侯爵令嬢について語ったことを後付けながら調べ上げ、侯爵令嬢に対し詰問しようとしていた内容の六割が言いがかりであり、残る四割がヒロインが上流クラスに馴染めるようにするための注意であったことが判明し、王太子から侯爵家に対してお詫び状が届けられたという。
その後の「ヒロイン」がどうなったか?
大変申し訳ないが、それはわたくしの知ったことではない。
風の便りに、わたくしが去った後で栗色の髪の少女はこう叫んだと聞いた。
「なんだったのよ、あんのクソ女ーっ!!」
悪役令嬢を書いてみたかったのですが、悪役令嬢は書けませんでした。そしてヒロインも書けませんでした。誰一人として名前がありません。容姿についてすら「ヒロインは栗色の髪と薄茶色の瞳である」という、ヒロインの描写にしかありません。
すべてが「わたくし」の一人称で完結いたしました。
*言葉の誤用につきご指摘くださった方、ありがとうございました。