第72話:理由を知りたかったのに
「フレア、大丈夫ですか?」
私の耳に母上の言葉が届いた。どうやらあのあと、与えられていた部屋に戻ってきて、勢いそのままに布団に倒れ込んでしまっていたらしい。顔を下にしていたから、体制を直して倒れ込んでいた場所を見ると、少し濡れているように見えた。それを見て、ルナとのやり取りを思い出してしまい、そして、別れ際のルナの一言の意味を、考えないようにしていたその意味を、認識してしまった。
「私、ルナに嫌われちゃったの…?」
いや、そんなはずはないと楽観的な考えを脳内で反芻するも、あの言葉が楔となって、現実へと引き戻されてしまう。
「何があったのですか?」
そんな私を心配してなのか、母上にそう尋ねられた。その言葉は普段の厳しくしつけてくるようなものではなく、穏やかで、優し気なものに感じられた。
「あのね、母上。」
私は、ルナと会ってから何があったのかを話した。声は震えてしまっていた。説明には主観が相当混じっているけれども、やり取りの中身を伝えるだけで精一杯だった。説明していくうちに、ルナに嫌われて拒絶されてしまったということが私の中に染みわたってしまう。ボロボロと流れた雫がスカートを濡らしていく。
「母上、どうするのが正解だったのかな…?」
最後にそう付け加えて私は言葉をつなぐのをやめた。母上の様子を伺ってみると、腕を組んで少し考え込んでいるようだった。窓の外では、雨がしとしとと降っているのが見える。
「フレア、とりあえず今日は休みなさい。今の状態だと、きっと空回りしてしまうわ。」
母上は私に対して、迷子になった子供に話しかけるような声色で語り掛けてくれた。事実、私もそれを否定することはできなかった。
「…わかりました、母上。おやすみなさい。」
私がそう言うのを確認して、母上は、ええ、おやすみなさい、とだけ言い残して部屋を後にした。部屋に一人取り残された私は、ただただ行き場のない感情を溜め込んだまま、目を閉じるしかなかった。今からどうにかしようなんて感情は浮かび上がらなかった。
翌日、目を覚ましても、気分が晴れる、ということは一切なかった。外を見ると、昨日から降っていた雨は未だに降り続いていて、少し強くなったようにさえ見える。
「ルナに会いに行こうかな…。」
そう思って、立ち上がろうとしたところで、空腹感を覚えてしまった。あ、そっか、昨日はあの後何も食べずに寝ちゃったから、そりゃお腹すくよね。何かもらえないかな、そんな派手なものじゃなくてもいいから、それこそパンとかだけでも。
「フレア、起きていますか?」
扉が叩かれた音がしたと思ったら、少し遅れて母上の声が聞こえてきた。私が入室して大丈夫の意を示すと扉が開き、母上の顔が見えた。その手には、私の考えを読んでいたのか、少しのパンと湯気が立っているカップを乗せたトレイが見えた。
「昨日あのあと何も食べずに寝てしまったでしょう?軽いものだけれどももらってきたので、とりあえず食べなさい。」
そう言って、母上は私のベッドの近くの机にお盆を置いて、これまた近くにある椅子に腰かけた。私も体を起こしてベッドに座った。顔を見合わせると、私たちの間に少しの静かな時間が生まれてしまった。
「食べないのですか?」
「あ、はい。ごめんなさい。」
では、いただきます、とだけ口にして、私は母上の持ってきてくれたパンを口にする。あ、普通においしい。カップの中の物にも口を付けてみると、中はどうやらスープだったらしく、その優しい味が身に染みわたる。私が食べ終わったころを見計らって、母上が語り掛けてきた。
「フレア、落ち着きましたか?」
「今は、落ち着きました。ちょっと今からルナにまた会いに行こうと思います。」
「そう。大丈夫なの?」
「はい、多分。どちらにしても、昨日のことを確かめないとなので。」
そう言って、私はベッドから立ち上がる。そして、そのままの勢いで扉を開けようとしたけれども、腕を後ろから掴まれた。母上のため息交じりの声が続いた。
「その前に着替えてた方がいいと思いますよ。貴方、昨日そのまま寝ちゃったでしょう?」
あ、そっか。私、昨日そのまま寝ちゃったんだった。普段だったら寝るときは、寝るときの服装になるし、朝起きたらすぐに着替えるんだけど。普段できていることができていないのは我ながら重症かもしれない。
その後、母上に少しだけ手伝ってもらいながらも、服を着替えて、部屋の外へと不安を抱えながらも繰り出した。母上と城内を並んで歩く。母上はどうやらやることがあるらしく、途中までは私と方向が同じらしい。普段過ごすことの多いヘカテリア王国の城内とは違って、エクスマキナ王国の城内は少し簡素に感じるが、それと裏腹に高級感を損なっておらず、また違う優美さを感じる。でも、その風景には、何故か少しだけ、少しだけ色が足りないように思えた。
「もうそろそろ目的地ですかね。フレア、一人で大丈夫ですか?」
「はい、多分。大丈夫、です。」
母上と私が別れようとしたところで、母上に確認される。昨日のルナの真意を知りたいから、何があっても行くつもりだから、当然大丈夫と返した。あ、でも不安そうに聞こえちゃったような気もする。まあ、実際そうだから仕方ない。
「フレアがそう言うのなら信じましょう。」
母上からそう言われて正直少しホッとした。少なくとも母上が信じてくれているということに。昨日あんなことを言われてしまったルナに会うのはどうしても怖い。でも、その理由を知らないと納得できないから。なんであんなことを言ってしまったのか知りたいから。
でも、その望みは叶わなくなってしまった。
私達が改めて別れようとした時、丁度私が行こうとした方向から、何やら慌ただしく侍従の人が走ってきた。ルナの世話をしている人の一人で、私とも顔馴染みだったりする。
「あ、フレア様。今からどこへ行かれるおつもりで?」
「少しルナに会いに行こうと思って。」
「その、すごく言いにくいことなんですが…。」
私はその尻すぼみ気味な言い方から何か嫌な雰囲気を感じ取ってしまった。そして、その不安の内容は最悪の形で告げられてしまった。
「ルナ様が、置き手紙を残して行方不明になってしまいました…。」
その一言は、私が暗闇の中で踏み出した足をそれこそ底の見えない真っ暗な谷に叩き落としてしまう一言だった。
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