第十八話(04)
* * *
「そろそろ仕事に行かなきゃ」
しばらく遊んだあと、ディマは戦利品を抱えて酒場を出て行った。
「それじゃあみんな、また明日ね! ジェラームもまた来てよね!」
残されたメンバーは、ゲームを続ける者、酒を飲んだり食事をしたりする者、ディマと同じく店から去る者、様々だった。
ジェラームは席に着いて、ゲームから離脱した酒飲みと話していた。
「彼女、本当に負け知らずだな、俺が見ていた限り……今日は一回も負けてなかった」
――ディマはずっと『勝ち組』だった。悪くとも三位、まだ分け前がもらえる立場だった。
賭けた分よりも、三位で得た分が少なかった時もあるかもしれない。だから決して損をしていないとは言えないが、たとえどこかで損をしていても、事実彼女は勝負に一回も負けていなかった。
「あれ、毎日ゲームしてるのか? これじゃあそのうち財産の全部をあいつに持っていかれそうだ……」
半ばぼやくようにジェラームが笑うと、正面にいる酔っ払いは豪快に酒を呑みほし、ジョッキをテーブルに叩きつけた。
「ま、そうなったら自己責任よ! そもそもギャンブルっていうのは、そういうもんだぜ!」
げらげらと笑い声が響く。また近くに座っていた年寄りは、
「大昔は、わしらもディマから多く奪ってきたからねぇ」
「……ということは、彼女、最初から運が良かったわけじゃないのか」
気にしてはいなかったが、はっとしてジェラームは顔を上げる。
隣の女が答える。
「ディマは昔からこの酒場に遊びに来て、勝負もほどほどにやっていたんだけどね……ある日から、急に負けないようになったの。不思議でしょ?」
「それは、不思議と言うか……」
不自然。疑いの目を向けるほかない。
そんな考えが表情に出ていたのか、女はジェラームに向かって続ける。
「おかしな話でしょう? だから最初の内は、みんなディマがイカサマしてるんじゃないかって疑ったよ」
「ああ、あの時はぴりぴりしてたなぁ!」
別のテーブルでまだ賭け事を続けていた男が振り返る。
「ずるしてないか、みんなで見張ってたな。あらゆる角度から睨んでさ。動きにも怪しいところがないか、トランプ自体にも細工していないか調べてさ……」
「でも何にもなかった。ああ、何もさ!」
酔っ払いは大袈裟に両手を広げる。
「つまりあいつは、完全に『運』で勝ってたってワケだ! とんでもない奴だよ! 旅人さん、ほかの街でそんな話は聞いたことあるか?」
「いや、ないねぇ」
「だろう? 他の旅人にも聞いたけど……やっぱりそんな話はないし、あったとしてもイカサマしてたってオチだ」
「――いまじゃ、この酒場で遊ぶ人のみんなが、ディマに勝つことを望んでいるわ」
と、配膳の途中なのだろう、料理を手にし通り過ぎようとしていた従業員の一人が笑う。
「ディマに勝って彼女の財産を得ることが目的じゃないの。ディマに勝つこと、そのものが目的で、名誉なことだと考えて」
「そしてディマの方も、自分を負かす相手を待っているってわけ」
先程の勝負で大きく負け、突っ伏していた男が顔を上げた。
「今日も負けちゃったなぁ、もう資金ないし、しばらく勝負はできないな……旅人さんは、明日も来るかい?」
「どうしたものかねぇ」
椅子の背もたれによりかかり、ジェラームは腕組みをして考える。
恐ろしい程の負け知らず。イカサマも何もないという。
……そう言われると、本当なのか、何かあるのではないかと探りたくなるのが人の性だ。実際、街の人々も怪しんだ。
「……今日はたまたま偶然だったかもしれないし、明日も来るよ。いやあ、信じられない話だからな」
「そいじゃ、明日も失う分を持って来いよ! 換金がめんどくさかったら、そのままものを持ってくればいい、適当に価値をつけるからさ」
こういった酒場には、これまであまり入ったことがなかった。絵を描くにも、もう少し観察する必要がある。そのついでにまた少し遊ぶか。
幸い、換金もしなくていいというのだから、その準備もしなくていい。
「ものにちゃんとした価値つけてくれるのかい? ぼったくりなら俺はやらないよ?」
軽い気持ちでジェラームは笑っていた。
この時はまだ、あんな間抜けなミスをするなんて思っていなかったのだ。
* * *
翌日、多少の金銭は持ったものの、そのままでもいいということだったため、適当に特産物を酒場に持っていった。瓶詰や織物、工芸品……中にはいったい何だったか忘れてしまったものもあり、ジェラームは荷物の中から乱雑に掴んだものを、そのまま賭け事に使うことにした。
「あんた、なかなか面白いものを持ってるじゃないか」
ものの価値は、勝負に参加する老人が決めてくれた。妥当な価値をつけてもらい、ジェラームは少し驚く。
「これ、昨日同じものを交換屋へ持っていったら、そんなに価値をつけてくれなかったんだよなぁ、いいのか?」
「交換屋は安い価値で引き取り、高い価値で渡す。特にこの街は大きいからな。わしがつけたのが、真の価値さ」
ディマは昨日と同じように酒場にいた。また別の旅人を相手に勝負していた。その旅人は。
「た、頼む、賭けすぎた……これだけは返してくれないか?」
「だめだめ、賭けるものとしてテーブルに乗せたものは引っ込めちゃだめだし、負けてからそう言うのも反則だよ!」
相変わらずの豪運らしく、その旅人が去った後に、ジェラームも勝負に参加する。賭けるものとして、コインではなく、ものをいくつかテーブルの上に並べた。
「へえ! この絵、いいなぁ。他の街の絵だよね、私、この街から出たことがないんだ」
賭けるものの中には、ジェラームが描いた小さな絵もあり、その一つを手にしてディマは目を輝かせた。
「今日はいつもよりやる気出ちゃうな、ほしいもん、これ」
そうして昨日と同じように勝負が始まる。最初の内、ジェラームは不調だった。完全に負けては、ぎりぎりで負けて、新たに賭けるものを、次々にテーブルに乗せていく。あの小さな絵は最初の勝負でディマの手に渡った。ディマはその絵を心底気に入ったらしい。昨日は手にしたもの全てをそのまま賭け事に回していたにもかかわらず、その絵だけは「ごめんごめん、これだけはもらうね!」と引っ込めてしまった。
「珍しいねぇ、嬢ちゃんがそこまで気に入って、賭け事に使わないなんて」
仲間内からもそう言われていた。そこまで気に入られるとは、ジェラームとしては、いったいどこが気に入ったのか聞いてみたい気持ちがあった。
勝負は続く。勝ったと思ったらまた負ける。そして新しくものを賭けて、また負ける……。
「はい、全部私がもらうね!」
今日もディマは二十一を叩き出した。テーブルの上にあるもの、全てを回収していく。そこにはジェラームが賭けた織物もあり、ディマが持ち上げると、中から、ぽとりと小袋が落ちた。
「あっ……!」
思わずジェラームは声を上げた。
――絵の具瓶をまとめた小袋だった。何故そこに混じっていたのか、わからない。
「ん? これなんだろ」
ディマが小袋を開けて、小さなガラス瓶いくつかを取り出す。隣にいた男が「絵の具だね」と気付いた。それを聞いてディマがはっと顔を上げる。
「もしかして……賭けるつもりのないもの、賭けちゃった」
「あー……そういうこと」
ジェラームは苦笑いを浮かべるほかなかった。紛れもなく商売道具である。あれが自分の持つ絵の具の全てではないが、あれだけにしか出せない色もある。
「……間違えて賭けちまったから、返してくれっていうのは、ナシ?」
とりあえずは提案してみる。本当にその気はなかったのだ。
だが勝負に負けて、いまはディマのものになってしまった。
ディマはどこかきょとんとした様子で絵の具を眺めていた。瓶の手の中で回し、中にある練り絵の具を見つめる。
果てに、にい、と笑った。
「返して欲しかったら、私に勝ってみなよ! 私が負けたら、返してあげる!」
――それからその日、ジェラームは一度も勝てなかった。




