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星灯りと明けない夜  作者: ひゐ
第十七話 世界のかたち ~カラスの物語~
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第十七話(07)


 * * *



 まずカラスは、改めて周囲に気を張り巡らせた。闇の中を見つめる。物音に耳を澄ませる。けれども、闇の中に人影は見つけられず、人の足音や声も聞こえない。あるのは水路と、そこを流れる水の音だけ。歩いたのなら、慣れない長靴が奇妙な足音を立てる。

 一人。水流がせせら笑っている。


 焦ることはなかった。思い出して、カラスは地図を取り出す。まさに迷宮のような地図は見にくいものの、ないよりはずっとよかった。


 先程いた場所はこの辺りだと、思い出す。地図上、ランタン使用禁止の印がある、その一つの通路だ。とすると、この道のどこかで、本来行くべきだったルートから別の道に入り込んだと考えられるが――それらしい通路は三つ。このうちのどれかに自分は入り込んで、しばらく歩いてここに来てしまったのだ。


 どちらが正面で、どちらが後ろかはわかる。

 来た道がどちらかはわかるのだ。


「……戻ってみるのは、ありね」


 地図を頭に叩き込んで、ランタンの光を消す。また光る苔のある通路を進む必要があるから。そうして来た道を戻る。


 ところがこれは間違いだったと、やがてカラスは表情を歪めた。


 ――地図通りなら、道は左に曲がっているか、突き当りになるはず。


 そのはずであるのに、何故か水路は右に曲がって、道もそちらへ続いている。記憶した地図と違う。

 目星が外れた。きっと、迷い込んだと想定した三つの通路以外に、自分は入り込んでしまったのだ。

 それでも戻っていけば人の声が聞こえるかもしれないと思ったが、いつの間にか、光る苔の領域を抜けてしまった。そしてやはり、誰の気配もない。


「誰か、いる? ……だめね」


 声を響かせてみるがすぐ諦めた。ランタンに儚い光を灯せば、深い溜息を吐く。


 目的地はわかっているのだから、そこに向かえばおのずと班員達と合流できるのではないか。考えてはみるが、そもそも自分がどこにいるのかわからない。地図は、自分がどこにいるのかわからなければ、下手に頼ると悪い方向へ向かうただの落書きも同然だった。


 できることはあと一つ。

 カラスは水流の流れを追うように、道を進み始めた。


 水源は地下にあり、それを構造によって地上まで流れるようにしているらしいから、この流れを追っていけば地上の街の光が見えてくるだろう。


 流れに沿って、慎重に進む。時折、あの光る苔が生息している場所もあり、通るたびにカラスはランタンの明かりを消した。植物は、なるべく枯らしたくなかった。


 耳を澄ませながら進むものの、やはり誰の声も、足音も聞こえない。他のランタンの光も見つけられない。いま自分は地上に向かって進んでいるのだから、それは仕方がないかもしれないとカラスは思う。採取班は、この水路の最奥へ向かっていっているのだから。

 もしかすると、消えた自分のことを探しているかもしれないが、地上に向かったのではないか、と考えて進んでくれていると信じることにする。ディアナのために万能薬のもととなる薬草を採りに来ているのだ、そちらを優先してほしい。


 そう思いながら進んでいると、


「……この香り」


 甘い香りが、カラスの鼻をかすめた。


 班員達とはぐれる前にも一度感じた奇妙な香りだった。確か「危険だ」と言われて通れなかった道から漂ってきた香りだった。


 ぴたりとカラスは足を止める。

 理由はわからないものの、この香りは危険なのだ。ならば、この道は通らない方がいいだろう。

 そう、踵を返そうと思ったものの。


「……」


 目の前には壁があった。おかしい、間違いなく、いま来た道であるのに。まるでいまの一瞬で壁が音もなく生えてきたかのようだった。


「――なにこれ」


 思わずそう呟いた。来た道がないのなら、そこはもう行き止まりだった。自分はいったい、どんな道を使ってここに来たというのだろうか。暗くてよくわからないだけか、と疑いランタンを掲げるが、目の前はやはり、行き止まりに見える。


 反射的に、後ずさりしてしまった。すると甘い香りが急に強くなり――背後で大きく蠢く気配を感じた。

 振り返ると――巨大な花が光を放ちながら咲いていた。


 白い花だった。蔓草らしく、壁に自身を這わせて咲き誇らせている。形こそ普通の花だが、異様なのはその大きさ。人の頭よりもずっと大きい。甘い香りは、どうやらこの花の香りらしい。

 花がぼんやり光っているおかげで、そこは暗くなかった。光る苔と違い、この花は光に弱くはないらしい、ランタンの光に当たっても、萎える様子を見せない。


 ただ明らかに異様だった。

 さっきまで、こんなものはなかったではないか。背後の壁といい。


 と、ずわ、と。

 花々が蠢く。頭をもたげるようにして、カラスに迫る。


 ――食われる。


 来た道を走り出したのは、本能的な恐怖からだった。走りにくい長靴でも、必死に足を動かす。

 とにかく花から距離を……。


 ――さっきの壁、どこにいったの?


 背後で蠢きを感じる。花が追ってきている。その中で、カラスは気付く。

 どうしていま、自分は道を戻ることができた?

 さっき壁があり、自分が来た道は何故か行き止まりだったじゃないか。

 そして脳裏をよぎるのは、シバロニとの少し前の会話。


『幻覚を見る者もいる』


 ――現実じゃ、ない。


 しかし気付くのが遅かった。


「――あっ」


 駆け出した先、足が石造りの通路に沈んだ。

 床が見えているのに、床がある感覚がなかった。

 いままで忘れていた水流の轟音が、近づいてくる。


 そうしてカラスは、冷たさに落ちてやっと気付く。

 あれは幻覚だ。壁も、床も幻覚。

 通路が伸びていると思っていた。でもなかった――水路だ。


 水路に落ちてしまった。冷たさになぶられながら、カラスは流されていく。

 とにかく上に。そう思うものの、身体は持ち上がらない。頭を何とか水面から上に出すものの、すぐに沈んで、その度に水を飲んでしまう。

 泳ぎ方なんて知らない。泳げる場所は、いままでになかったのだから。

 溺れながら、流されていく。

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