第十七話(06)
* * *
「――ここから先は、光なしで行く。みんな、ランタンの光を消してくれ」
さらに進んだところで、シバロニが不意にそう言った。
「……えっ?」
思わずカラスは声を漏らす。この暗闇の中で、ランタンの光を消すなんて。
旅人だから、暗闇には慣れている。一時的な暗闇もそう怖くはない。だが本当に光なしで進むなんて。
「みんな、念のため地図をよく確認してくれ。なに、そう難しい道じゃない」
言われてカラスは、他の班員と同じく地図を広げる……今いる場所から先、そこにはランタンの絵にバツがつけられたマークがあった。ランタン禁止のマーク。
やがて一人、また一人と光を消していく。だからカラスも渋々光を消すしかなかった。小さいものの、ないよりはずっとよかった光。消えてしまってはじめて、そう感じる。
最後の一つの光が消えたのなら、世界は暗闇に閉ざされた。水の流れる音だけか響いていて、心なしか、浮遊感を覚える。
「そう怖いことはないよ、俺の声の方へ来てくれ! 怖い奴は近くの班員の服を掴むんだ」
真っ暗闇の中、シバロニの声が聞こえる。その声の方へ周囲の気配が動くのを感じる。
「掴んでもいい?」
「むしろこっちからお願いしたい」
そんな会話が聞こえるが、カラスは誰も掴もうと思わなかった。掴まれるのも嫌で、少し気を張ったが、幸い誰も掴んでは来なかった。
「ゆっくり進むぞ、こっちだ」
シバロニの声が遠ざかっていく。
この暗闇の中を、いったいどのくらい歩くことになるのだろうか。
そのまま迷子になってしまう、なんてことにならないだろうか。
……でも冷静に考えたのなら、それはいつもと同じことかもしれない。
人を探して、旅はしている。でも道しるべはどこにもなく――やっていることは闇雲と言っていいかもしれない。
けれども歩くしかないから。
そして、カラスは息を呑んだ。
真っ暗だと思われていた先。そこが何故か、ぼんやり光っているように見えたのだ。
気のせいではない。ぼんやりとした光の中、人影が浮かび上がっている。シバロニだ。
「ここから先は、しばらくランタンはいらないはずだよ。でもよく注意するんだ、暗いことに変わりはないからね」
そこは、うっすらと明るい場所だった。壁や床が、どうしてか光を放っている。光を踏むとふかふかとしていて柔らかかった――植物だ。
「これは……苔?」
好奇心に、カラスは壁に張りついた光を見つめる。返事はなかったが、班員の一人の声が聞こえる。
「うわあ……光る苔の生えた場所があるって話には聞いてたけど、すごく綺麗ですね!」
どうやらこれは苔の一種で間違いがないらしい。光る植物の話なんて、聞いたことがなかった。そもそも、と、カラスは瞬きする。
「こんな暗い中で成長するなんて……」
光る苔があるからといっても、かなり暗いことに変わりはない。だから大丈夫だろうと、少しフードをあげた。苔をよく見たかったのだ。この暗闇の中なら、多少髪の毛が外に漏れてしまっても、色がないことに気付かれないだろうし、目の色も見えないだろう……。
本当は立ち止まってじっくり見たかったし、よく光を当てて観察したかった。
こんなものがあるなんて、信じられない。暗闇の中で光を見つけること自体はある。街の光だ。ところがそれとは全く違う感覚だ。こんなものが、存在していたなんて。
そう、自然と微笑んでいた時だった――背後から、悲鳴が聞こえたのは。
なんだ、どうしたんだ、とわずかな光の中、浮き上がっていた影達がざわめく。反響のせいで、声は近くから聞こえたのか、遠くから聞こえたのか、よくわからなかった。そして薄暗さのために、何が起きたのかわからない。
「誰かまた落ちたのか!」
「一体何があったんだ!」
「フェオの声だ! フェオ、どこにいるの?」
声と共に、乱れた足音が響く。その乱れた足音に、カラスは押されてよろめいた、誰かがぶつかって来たらしい。
「助けて!」
聞き覚えのある声。先程の悲鳴の主だろう。
混乱を塗り返すような声が返す。
「落ち着け! こっちに来るんだ、さっさとここを抜けてしまおう――」
――旅の中でパニックを起こすべきではない。
常に冷静に。それはたとえ、道を見失った時でも。
淡々と、カラスは声のする方へ向かう。おそらく、あの熟練者の声だと思われた。
「ランタンは、どうしてもつけちゃいけないの?」
試しに聞いてみる。が、返事はない。
……妙だ。周囲の闇の中に、班員の気配を感じない。
「……誰かいる?」
嫌な予感がした。返事は一つもなく、気配も水の音もしない。光る苔があたかも喪に服すかのように黙りこくっていて、水路の流れは何も聞き入れてはくれない。
数歩、進んでみる。だが考え直して、カラスは床にランタンを置いた。ポケットに手を滑り込ませればマッチがある。苔の明かりは本当にわずかだが、マッチを擦るには十分な光量だった。
しゅっ、と音がして、赤い光が生まれる。久しぶりのはっきりした光に、カラスは赤い瞳を細めた。そしてランタンに火を入れようとするが、気付く。
「あ……」
床を覆っていた苔が、力をなくすように萎れていってしまったことに。まるでマッチの光に焼かれてしまったかのようだ、光が当たっただけであるのに。
何故ランタンをつけてはいけないのか、これでわかった。
萎えてしまった苔は、枯れたようには見えなかった。ただ大きなダメージを受けたことに、違いはなさそうだった。
とはいっても、緊急事態ではある。カラスはランタンに火を入れたのなら、すぐさまマッチの火を消した。ランタンが再び弱々しい光を宿す。けれども苔はその光でもダメージを受けてしまうらしい。旅人の癖で、暗闇を晴らそうとランタンを掲げたのなら、それによって照らされた苔の光が消え失せる――難しい植物だ。カラスは小さなランタンを抱えるようにして持ち、光を隠した。
そして改めて、辺りを見回す。
誰もいない。
思い当たるのは、混乱の中でぶつかられたこと。そこでよろめいて――一行から外れてしまったこと。
はぐれてしまった。
 




